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【中東の国-1】 古代メソポタミア文明はオリエント

2020年12月04日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【BC5000:シュメールはメソポタミア文明の基礎】  シュメールは完成状態で現れ、メソポタミア文明の基礎を形成した。BC8000年には農耕が始まり、数万人規模の都市ではビール(ビールの女神ニンカシ)が飲まれていたという。初めて楔型文字(メソポタミア全域で用いられた)が用いられ粘土板に残っている。これは交易、文学、天文学にも生かされた。ゼカリア・シッチン1920-2010は、シュメール文明の創造は二ビル星のアナンヌキという種族が関わっているという。自信をウンサンギガと呼ぶ。「天の神;アヌ」「地球の神:エンリル」「水の神:エンキ」の3神を崇拝。

ところでこのシュメールの地(メソポタミアの南部)は4500年前にノアの家族が移り住んだ場所で、ノアの箱舟が到着したアララテ山があるところ。洪水に備えて煉瓦とアスファルトで建てたのがバベルの塔である。ところがこれは神への反逆行為だとして、70の異言語(インド・ヨーロッパ語族、チャイナチベット、ウラルアルタイル、日本語族・・・・・)に分けられ全世界に散らばったというのが、旧約聖書創世記第11章にある。やがてシュメール人はアッカド人によって滅ぼされた。

【BC4000:彩文土器】  

【BC3000:祭祀-農耕】   シュメールは南部メソポタミアに定住 洪水多く粘土文化

【BC2700:ウルク、ウル、ラガシュ都市国家 by シュメール人

【BC2300:アッカド帝国】  サルゴン王、セム人、首都はアガデ メソポタミア統一 シュメール滅亡

【BC2200:ウル第3王朝】  聖塔建設--ジックラト 異民族(アラム、エラム)台頭

              バビロンのジックラト:バベルの塔

【BC2100:シュメール復興】  エラム人侵攻でウル第3王朝、シュメール滅亡

【BC2000:イシン、ラルサ時代】   アムル人侵攻、古バビロニア王国建設@バビロン 古代オリエントの始まり⇒東西に伝播

【BC1700:バビロニア王国】ハンムラビ王--ハンブラビ法典(文字はシュメール人の楔形文字)

              侵略され続けるメソポタミア---ハンブラビ法典発見は20世紀@スサ

【BC1600:ヒッタイト古王国:製鉄 馬車 戦車】  古バビロニア王国を滅ぼしたヒッタイトはインド・ヨーロッパ語族、これまでは700℃で作れる青銅器であったが、ヒッタイトは1200℃を扱うことにより鉄鉱石から鉄製品を作る。彼らは黒海と地中海に挟まれた地域の山岳民族(1200℃の高温を生み出すために山岳地帯の安定した風が必要だった)で、ビュクリュカレ遺跡(アンカラの東)やハトゥーシャ遺跡(BC18世紀)にみることができる(強かった証拠でもある)彼らはBC10世紀には黒海とカスピ海の間に移動、やがて8世紀には黒海の北部に移動(ビルスクヒルフォート遺跡)して、BC6世紀にはスキタイという遊牧騎馬民族として生き残ったようである。鉄器を持つ遊牧騎馬民族は最強で、ギリシャやペルシャからの侵略を退けている。そしてアルタイというモンゴルの遊牧民と交流を持つ。この交流の道をアイアンロードと呼び、シルクロードよりもずっと昔に東西4000kmに渡って栄えた。鉄を持ったことで「はみ」という馬を制御する技術を備えたことが、はるか中央アジアまで交易路を作った。トゥング古墳はスキタイ最古の古墳らしい。

【BC1500:アッシリア】セム系 古代オリエントを統一⇒ミタンニに服従⇒領土拡大@BC9世紀⇒エジプト征服@BC7世紀

  ヒッタイト、ミタンニ、カッシート、エジプトを統一、首都はニネヴェ---言葉が通じない:奴隷扱い--約50年で滅亡分裂

                             → ニネヴェ遺跡が過激イスラム教徒により破壊される

  数十年後に4っつに分裂--リディア:貨幣の概念---ギリシャに伝搬

             エジプト

             カルデア(新バビロニア):

             メディア:

  再び統合--ペルシャ王国(アケメネス朝)---それぞれ自由に発展させることで約150年続く:今のイラン

       王の道建設:交流、交易  スサからサルデス

       政治的首都:スサ

       夏の首都 :メディア-エクバタナ

       冬の首都 :バビロン

       祭の首都 :ペルセポリス(遺跡はアレクサンドロス大王が破壊)

【BC800:バビロニア バビロンの王・ネブカドネザルはユダヤ王国を征服】   この頃、ペルシャ湾沿岸には、ヒッタイトに代わってバビロニア王国が栄えて居た。

【BC626:新バビロニア】   バビロンの王・ネブカドネザルBC634-BC562はエルサレムを攻略、ユダヤ王国を征服し(7割死亡)、ユダ王国のユダヤ人を捕虜(バビロン捕囚:3割 BC586-538)として連行された。鉄壁の要塞を誇り、29年分の食糧備蓄もあったバビロニア王国であったが、メドペルシャ(メディア人)のアステュアゲス王に征服され、バビロニア王国が亡びる(BC550年)。

【BC550:アケメネス朝ペルシャの初代王・キュロス2世】   アステュアゲス王は魔術師のマゴスのお告げに従って、娘のマンダネBC584-BC559をメドペルシャの王子・カンビュセツBC580-BC559に嫁がせた。そして生まれたのが後に大帝国を建設したキュロス2世?-BC529である。実はキュロスは赤ん坊の時に、アステュアゲス王の命令で暗殺されかかった。命を受けたのは将軍ハハパゴス。キュロスは牛飼いに助けられて奴隷の子として育てられたが、のちに暗殺のことを知って激怒。祖父アステュアゲス王を打倒しメディアを滅ぼした。かくしてアケメネス朝が始まり、メディア全域を制圧した。BC538年にはアケメネス朝ペルシャの初代王・キュロス2世によりユダヤ人は解放され故国に戻ってエルサレム神殿の建設が許された。聖書預言者の一人であるダニエルは、バビロン、ペルシャ王国の政治顧問で、「ダニエル書」はBC538年頃に書かれ、ダニエルは旧約聖書を持って、キュロス2世に会っている。

【ここでユダヤ人について】ユダヤ人のことをハビル人とかヘブライ人というが、メソポタミア、ユーフラテス川の対岸から来た・・・という意味らしい。アブラハム(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の始祖)の子イサクの子・ヤコブが新生イスラエルを建国するが北王国(イスラエル)と南王国(ユダ)に分裂した。北王国をつくった支族が今のユダヤ人の祖。

  ユダヤの紋章・六芒星はイスラエル2代目ダビデ王家の紋章

  400年に渡ってエジプトで奴隷生活していたユダヤ人をモーゼは引き連れてシナイ山に上る(頂上にはモーゼの教会がある)

  やがてユダヤ人が故郷カナンの地へ行くと、ペリシテ人が住み着いていて争いとなる

  怪獣?ゴリアテに投石して勝利する。この瞬間の石像がミケランジェロのダビデ像。

  つまりダビデが勝利して第二代の王となる@イスラエル王国。

  その息子が第三代ソロモン国王。ソロモンの死後北側イスラエル王国、南側ユダ王国に分裂する。

  バビロンの王・ネブカドネザルBC634-BC562はエルサレムを攻略

  ユダヤ王国を征服し(7割死亡)、ユダ王国のユダヤ人を捕虜(バビロン捕囚:3割 BC586-538)として連行された

  鉄壁のバビロニア王国であったが、メドペルシャ(メディア人)のアステュアゲス王に征服される

  バビロニア王国が亡び、ユダヤ人捕虜は自由の身となる(BC550年)

  これだけ苦しんだユダヤ人---選民思想

  

【フェニキア人は海上交易で富を得た】   一大帝国を作ったアケメネス朝ペルシャであったが、BC350年にギリシャ・アレクサンドロスにより滅ぼされた。当時のペルシャ王はダリオス王。因みにダリオスの王国はゾロアスター教(二神教)正義(アフラ・マズダ)と悪(アーリマン)を司る二神で、光明神のアフラ・マズダを最高神とする(聖典はアヴェスター)。この神が由来となって広島マツダは誕生した。またこれはインドのビローシュダイムで、日本の盧舎那仏の語源でもある。当時のペルシャにはフェニキア人のツロが立ちはだかった。ツロはフェニキアの都市国家で現在のレバノン(2020年に港の倉庫で大爆発を起こした地)に位置するレバノン杉といって国旗にも杉が描かれているが、この杉の交易によって巨万の富を得た。エジプト神殿のレリーフにも杉の大木を船で運ぶ様子が描かれている。交易先はエジプトだったのである。ネブカデネザルBC604-561がエルサレムを崩壊した時、ツロは道路税を払う必要がなくなったため喜んだというが、ツロは裁かれた。この240年後にアレクサンドロスBC356-323により滅ぼされたのである。因みにフェニキア人はレバノン山脈の西で海上交易で富を得たが、陸上交易・レバノン山脈の東で富を得たのはアラム人である。アラム人は以下に影響を与える---セム系

  ソグド--ウイグル--中国

  ヘブライ(祖はカナン人)--アラビア

 

4大文明は砂漠にある川沿いで発祥する

世界中が恐れた最強の騎馬民族・遊牧民族

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