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プラチンブリの風 第16章

2010年09月22日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 第16章 SEPTEMBER 19  By Harry H.

アメリカのSEPTEMBER 11(eleven)は、9周年を迎えるが、タイの9月19日は、革命4周年記念日に当たる。2006年、タクシン氏が海外に出かけている間、軍部が革命を起こした日だ。

 

19日、首都バンコクとタクシン氏出身の北部チェンマイで、大規模な集会が催された。バンコクでは、5000人ほどの赤シャツ隊が、伊勢丹前のラチャプラソン交差A_sept_19_2010_016点に集まり、気勢を挙げたが、特段の混乱もなく解散した。HARRYは、この日、日本から来た友人に会うために、バンコクに出向いたが、赤シャツ隊の姿を見ることはなく、普段の週末のように人出が多く、平穏だった。

 

バンコク首都を初め七つの県で、いまだ、非常事態宣言(EMERGENCY DECREE)が出されたままだ。バンコクでは、このところ、BTS(スカイトレイン:高架鉄道)の各駅には、銃を構えた兵士が2名ほど警戒にあたっている。5月19日に、バンコク中心街でのUDDの不法占拠が解除されてからも、バンコクをはじめ、各地で爆破(未遂)事件が起きている。


 

4年前の2006年9月19日は、正に、HARRYが、タイのシーラチャ(チョンブリ県)に赴任すべく、深夜スワナプーム空港に到着した日であるので、鮮明に覚えてA_sept_19_2010_028いる。搭乗した機長から、バンコクで何か事件があったが、今は、平穏に戻っているーーという機内アナウンスがあったが、まさか革命があったとは、その時はわからなかった。空港には、兵士の姿は、一人も見当たらず、HARRYが、革命が起きたことを知ったのは、翌日20日になってからである。

 

長引く政治不安で、海外からの観光客は、減っており、つい最近、スワナプーム空港へ海外から来る外国人客の数が、いままで一番だった日本が、中国に抜かれた。8月にアユタヤに行った時も、日本人観光客は、数えるほどしか居なかった。

 

最近のいろいろな調査結果を見ると、今のタイの不安定な政情が反映されている。

    NEWSWEEK紙が、8月に実施した調査:【世界の住みやすい国】

100カ国中、タイは58位。因みに、1位はフィンランド、日本は9位。

    バンコクポールが、7月に実施した調査:【バンコクの最大生活リスクは?】

1146人の有権者を対象に調査。10点満点で、政治が7.59とトップ。

    ECONOMIST INTELLIGENCE UNITが、6月に実施した調査:【世界の平和度】

149カ国中、タイは124位。因みに、1位はニュージーランド、日本は3位。

 

          (2010年9月22日記)

 


プラチンブリの風 第15章

2010年08月28日 | プラチンブリの風

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          チャオプラヤ川の水上生活 (記事との関連性はありません)

 

プラチンブリの風 第15章 失業率 By Harry H.

日本の2010年7月の完全失業率が、5.2%と発表された。6カ月ぶりに改善したとはいえ、依然高い水準にある。驚いたのは、19歳~24歳のそれが、9.2%と高いことだ。

2010年2月、タイ国家統計室が、2009年11月の完全失業率を発表した。労働人口 3880万2000人に対し、完全失業者が39万2000人。失業率で、1%という低さーーー驚きだ。 ほぼ完全雇用状態と言える。日本では、ここ数年5%前後、アメリカでは、二桁の10%にも達するかも知れないと言うのに、ここタイでは僅か1%。

タイの産業構造、給料、生活費等について、いろいろと資料を当たってみた。

○過去の失業率:

1997年--------1.9%、1998年-------4.4%、1999年-------4.2%、

2000年--------3.6%、2001年-------3.3%、2004年-------2.1% 

→1998年以降、漸減している

 

○産業別就業人口:総就業者数―――3473万人(2004年資料)

産業

就業者(%)

GDPに占める割合(%)

農林・水産業

40

10

製造業

16

34

建設業

小売り・卸売り業

16

15

ホテル・レストラン

運輸・通信

その他サービス

13

25

 

 

○1990-2005年にかけて、製造業が、近年タイの経済成長の中核的な存在となっており、2004年において、GDPに占める割合は、34%と3分の一になっている。

○農業・林業は就業人口数では、2004年で40%と一番大きなSHAREとなっているが、GDP(国民総生産)で見ると、僅か10%と、そのSHAREは低い。

○失業率の減少は、製造業の躍進による労働力需要増大が大きな要因であり、また、景気変動に伴う製造業等における労働力需要の変動を、農村で吸収している。

○タイのリゾートHUA -HINに住んでいるカロン一家の家計は、

家族:6人(祖母、祖父、父、母、子どもX2人)

職業:(父)HUA -HIN市役所勤務

月収:(祖父母の年金と父親の収入)67,700BAHT(≒20万円)

支出:明細

食費

12,000 BAHT

光熱費

    900

電気代

  1,100

教育費

  3,000

医療費

  3,000

その他

5,000

貯蓄

 42,700

合計

67,700 BAHT

 

*食費は、一日僅か400BAHT (1200)

*貯蓄が、収入の6割強と、極めて高い

*6人家族で、一ヶ月の生活費が、25,000BAHT(≒75000円)  

○タイ人事院は、8月19日、公務員の初任給を民間並みにし、優秀な人材を確保すべく、

10月より引き上げると発表した。

大卒:7940→8700BAHT、 修士:11000→12000BAHT,

博士:13000→16000BAHT

                                           (2010年8月28日記)

 

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      タイにある精密鋳造(ダイキャスト)工場(記事との関連性はありません)

 

 

 

 


プラチンブリの風 第14章

2010年06月25日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 (第14章) 首都バンコク By Harry H.

タクシン派(UDD)のデモの中心地となったバンコク。5月19日に、デモ隊が解散し、今は、一頃の賑わいを取り戻してきているバンコク。6月24日には、バンコクJune6_006 最大の商業ビルCENTRAL WORLDに入っている伊勢丹デパートや紀伊国屋書店が、再開した。

バンコクは、バンコク市ではなく、首都府であるので、バンコク都という表現が正しい。2010年1月のバンコクの人口は、910万人。大都会である。日本の1都1道2府47県に対し、タイは1都75県である。バンコクの正式名は長いーーということは、以前から聞いていたが、どんな名前なのかわからず、今回、WIKIPEDIA等で調べて見た。

 

1782年、ラーマ一世(今のプミポン国王は、ラーマ九世)が遷都の際、命名したもので、そのフル・ネームは歌にもなっており、会社の日本語の生徒に言うと、歌ってくれた。

仮名で書くと、“グルンテープ マハーナコーン・アモーンラッタナゴーシン・マレンタラーユッタヤーマハーディロックボップ・ノッパラットラシャターニーブリーロム・ウドムラシャニウェートマハーサターン・アモーンピマーンアワータンサティット・サッカタッティヤウィッサムカムプラシット”。

日本語訳は、“イン神がウィッサヌカム神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の卓越した宝石のような、偉大な天使の都”

 

HARRYがいるプラチンブリ県は、バンコクの東150KMにある田舎街。タイ人でも、“プラチンブリ”という名前を知らない人もいるというくらいの知名度の低い県June6_030である。マクドナルドが一軒もないーーーといえば、その田舎度がおわかり頂けるであろうか。そんなわけで、ここに居るタイ人および滞在客は、週末にはバンコクに遊びに、ショッピングに出かける人が多い。地元の老舗ホテルTAWARAVADEE HOTELには週末、プールに行くことがあるが、ホテル内はシーンとしている。プラチンブリの専門学校の生徒達に、“週末は、どこに行きましたか”という質問をすると、“バンコクに行きました”という答えが多い。都会のバンコクに刺激・娯楽を求めて、皆集まるのである。   6月25日記

 


プラチンブリの風 第13章

2010年05月30日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 (第13章) タイ政局(#2) By HARRY H.

【5月19日 治安部隊は、UDDが占拠しているバンコク中心商業地区の強制排除を開始し、UDDが、抗議終結宣言をして終わった。前回の掲載から、時系列的に振り返って見る】

タクシン派(UDD:赤シャツ隊)と、現政権(アピシット首相)との抗争は、4月3日に、UDDがバンコクの中心にある商業地域を占拠し、7日にはバンコクに非情事態宣言が出された。そして、とうとう4月10日には、UDDと治安部隊との衝突で、日本人カメラマン一人(村本氏)を含む25名の死者を出した。

 4月10日の衝突以降は、タイ正月(ソンクラン)の休暇もあり、両者が、バンコA_004クSILOM地区を中心に、にらみあいの状態となった。その後、現政権をサポートするデモ隊(赤シャツ隊に対し、黄色いシャツを着ている)も出てきて、三つ巴の状態になった。

 抗争が長期化する中、知識人の中には、国民投票をして国民の意志を確認しようという動きや、一般市民団体A_006の中にも、力ではなくて、平和的な解決策を模索して欲しいと、両陣営に所信を送るなどの行動も起きてきた。また、国王の介入を期待する声もあったが、国王は、入院中であり82歳と高齢でもあり、政治に介入することには積極的ではない。

 こうした中、現政権のアピシット首相は、5月3日A_005に、現状打開のため、5項目の行程表(ROAD MAP)と、11月14日に総選挙を実施することを発表。これにより、国会は9月15日~30日の間に解散することになり、UDDは、このアピシット首相の提案を受け入れることを表明し、事態は収拾するかに見えた。

 が、UDD強硬派が、バンコク中心部の占拠を解かないことから、治安部隊は、5月13日に、占拠地区を封A_003鎖し、電気・水・地下鉄・BTS・携帯電話等の社会インフラをストップする兵糧作戦に出た。両者の睨みあいが続く中、同日の夜、爆破・銃撃事件が起き、タクシン派の重鎮・SEH DAENG少将が狙撃され重傷を負ったほか、一人の死者と9名の負傷者を出して、緊張感が一層高まった。

 UDDは、現政権側のこうした対応に、更に団結を強め、占拠地区の死守を宣言し、バンコク・ポスト紙では、生々しA_002い写真と共に、“WAR ZONE”と表現して、記事を掲載した。占拠地区には、多くの商業施設、ホテル、学校、病院、大使館があり、閉鎖したり、場所を移したり、その影響は大である。日本大使館も、14日午後から窓口を閉鎖し、近くのホテル内に仮事務所をOPENした。

 治安部隊は、ついに19日にデモ隊の強制排除を開始した。その結果、19日の午後になって、UDD幹部が、デモの終結・解散を宣言した。これで、一段落かとおもいきや、強硬派は、都内各所や地方で、放火や略奪を起こし、政府は、バンコクと23県に夜間外出禁止令(CURFEW)を発令した。バンコクは、17日の週は、公休日となり、学校や官公庁は休みとなった。

 23日の日曜日には、バンコク都内に、4000人ものボランティアが参加して、占拠された地域を中心に、清掃作業を実施し、タイ国民の団結が垣間見られ、将来に対する希望が若干だが見えてきた。

 5月24日の週から、多くのホテルおよび商業施設が、営業を再開させたこともあり、HARRYは、5月28日(祝日:VISAKHA BUCHA DAY)、2カ月ぶりのバンコクに足を運んだ。ビルの3割を消失したCENTRAL WORLD(伊勢丹や紀伊国屋書店が入っている)の黒く焦げた鉄骨は無残であったが、街中は平穏で、車も人出も、ひところの賑わいを取り戻している。被害に会わなかったSIAM PARAGON, SIAM CENTER,MBKの大型SHOPPING・センターには、大勢の人で賑わっていた。SILOM通りは、歩行者天国になっていて、今回の紛争で、店を閉めざるを得なくなった小売店が臨時に店を開いており、そこも賑わっていた。どの店も、GRAND SALEとかMIDYEAR BARGAINと銘打って、30-50%といA_008う大きなDISCOUNT SALEをしていた。

 街中は明るい雰囲気になってきてはいるが、今回の政治紛争は、タイの歴史で最悪ともいわれ、国内外に大きな禍根をのこした。バンコクおよび23県には、まだ非常事態宣言が出されたままであるし、第二UDDが6月には、デモを再開するとの情報もあり、タイが本当の意味で民主国家となり、“微笑みの国”の国民が、微笑みを取り戻すのは、いつの日であろうか。   5月29日記

 

QT 2007年より、イギリスのエコノミスト紙の調査機関が世界中の149カ国を対象に、24項目(暴力・犯罪・軍事費・戦争等)にわたって分析し、国ごとの平和度(GLOBAL PEACE INDEX = GPI)を数値化して発表している。2010年6月現在の数値がつい最近発表された。政治紛争が大きく影響して、タイは前年の118位から124位と後退している。参考までに、我が日本は前年7位から3位とアップ。因みに最下位はイラクである。7月1日記 UNQT

  

 

 


プラチンブリの風 第12章

2010年05月09日 | プラチンブリの風

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プラチンブリの風 (第12章) フルーツ天国 BY HARRY H.

 常夏のタイは、フルーツ天国である。日本ではめったにお目にかかれない果物が、沢山ある。果物には、それほどの関心がなかったHARRYは、3年前のシーラチャ時代は、日本で馴染みのあるバナナとかミカンとかリンゴを食べる程度であった。

 今回、PRACHINBURIに来てからは、近くのマーケットに行くと、いつも多くの種類の果物が、店頭に並べられているのを目にしたり、友人・知人が、名前を知らない果物を紹介してくれたりで、少しずつ果物に対する興味が湧いて来た。

 バナナ・スイカ・ブドウ・パイナップル・ミカン・ココナッツ・パパイヤなどは、一年中お目にかかれるが、ドリアン・マンゴー・ランプータン・マンゴスティンなどは季節物であることを初めて知った。季節物は、3-4月から始まり、7-9月までである。3月から出始めるマンゴーは、4月の終わりには、豊富にマーケットに出てくる。甘さや大きさや食べる時期で値段が異なるが、30-35BAHTが平均価格。15CM程の大きさのものを10個買うと、3KGで100BAHT(=300円)。日本だと、一個300はするであろうから、10分の一である。4月に入ってから、マーケットに行くと、ドリアン・マンゴスティン・ランプータンが3つが主役となる。出始めの頃のドリアンは、KG当たり50BAHT(=150円)と高いが、これが、徐々に下がって来て、5月に入ると、35-40BAHTになって来ている。マンゴスティンとランプータンは、KG当たり35BAHTといったところ。

 サービス・アパートの朝食のデザートは、一年中取れるスイカとパイナップルが定番である。今年初め、アパートの一階にタイ・レストランがオープンした。名前が、MAFEUNG(マッフラン)。果物の名前で、英語だとSTAR FRUIT。マーケットでは、あまり見かけなく、甘くなく酸っぱいそうだ。

 ドラゴン・フルーツ、ジャック・フルーツ、チャンプ―(ジャワフトモモ)、ラムヤイ(リュ―ガン)などの果物も、ここPRACINBURIに来てから初めて食した果物だ。果物好きには、たまらない“フルーツ天国”タイである。(2010年5月7日記)

写真:(トップ)ドリアン、(中段左)ランブータン、(下・左から)レモン、マンゴスティン、ライチ

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(アンクルサム) 5月3日アピシット首相が11月14日に総選挙を行うと発表して鎮静化すると思っていたら、7日夜バンコク繁華街で爆発事件が起き死傷者が出た。プラチンブリは150Km離れていて住民の政局への関心度が低いようで、プラチンブリでの生活では危険性をあまり感じていないとハリーは伝えてきている。