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ルーマニア滞在記(6章続)

2006年02月04日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第6章・続) By Harry H.

ルーマニア食生活 (その2) 買い物

買い物は市場・小売店・ショッピングセンターなどで出来る。果物はリンゴ・ナシ・スイカ・オレンジ・ブドウ・バナナ・チェリー・イチゴなど豊富ですが冬場になると輸入品となって値段は上がる。トマトも夏は15,000Lei/Kg(45円)くらいですが冬になると一挙に倍の値段になる。日常生活に必要なものは小売店で求められるし、セルグロス、カールフール、メトロのような大規模のショッピングセンターもある。

ルーマニア食生活で特記しておくものに、日本にはほとんど輸入されていないので知られていないが、ビールとワインである。ビールはシルバ、チュカス、チウク、オーロラなどの国産ビールがあり、カールスバーグやツボルクのようなライセンス生産のものもある。500mlサイズが標準で小売店で買うとビンが50円、アルミ缶が70円程度、レストランで飲んでも100円くらいでコーラと同じ値段。従って飲み物をオーダーするときはついついビールになってしまう(笑)。ワインは750mlビンで普段買うのは6-8万Lei(200-300円)のもの。白・赤・ロゼとあり、ボホティン、コトナリ、ムルファトラー、ジュデュベなどが代表的で美味しいルーマニアワイン。プラム(すもも)から作る40度の強いアルコール(ツイカ)はちょっとウォッカに似た味、アルコールの好きな人にとって、ルーマニアは天国だ。

次章ではいよいよ “料理の鉄人” の登場、乞うご期待!!

(写真上・左)青空市場 (写真上・右)青空市場で売られているスイカ、なんとも豪快である  (写真下・左)大型ショッピングセンター「セルグロス」 (写真下・左)市内唯一のデパート「STAR」

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(UncleSam)Lei(ルーマニア・ルー)が出てきたが、換算値にはびっくりである。約300倍、アンクルサムは韓国にも行くがウォンが円と一桁違うのにウロウロしてしまう。コーヒーが3000?高いなーなんて思ってしまう。それがルーマニアでコーラが3万、アンクルサムは街に出るのが怖くなってしまう? 欧米人は日本に来て二桁違うので感が狂うらしいがルーマニアじゃもっと大変だろう。通貨切り上げも近いのかなと思ったりする。

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ルーマニア滞在記 第6章 

2006年02月04日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア料理 ママリガ

一年間ルーマニア・ブラショフで過ごしたHarryがレポートするルーマニア食生活。トウモロコシの粉に牛乳とバターを練りこんで煮たものがママリガ(写真上・左の黄色いもの)がルーマニアの主食だそうだ。アンクルサムの友人・ハリーのルーマニア滞在記は序章から第6章(食生活),第7章(ルーマニア通貨)まで連載中。

詳しくは 「ルーマニア滞在記第6章・ルーマニア食生活」をご覧下さい。

 

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ルーマニア滞在記(第6章)

2006年02月04日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第6章) By Harry H.

ルーマニア食生活 (その1) ルーマニア料理

アンクルサムは海外で日本食料理店を探すようだが私は少し違う。海外での“食”の基本方針は ① 自炊をしない (=すべて外食) ② 現地の一般的なレストランで摂る ③ 日本食のレストランは +α と考える。

“我が一人のために食事を作り、一人で寂しく食べ、そして後片付け” というスタイルは私には受け入れられない。と言ってもハリーは料理が作れないことが最大理由かも知れない。と言うことだからその国のレストラン探しから始まるが、簡単に見つけられるのがその国の家庭的なレストラン、次が中国料理店。最近は日本食レストランも増えてきているがさほど美味くなく高いことが難点だ。従って私のルーマニアでの食生活は“外食一本”、さて東欧のルーマニアでどんな食べ物やレストランがあるのか紹介しよう。

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ブラショフ市に来て驚いたのは、それは数多くのレストランがあることだ。外食派のハリーにとって有難いこと、ルーマニア料理(サルマーレ、ママリガ、チョルバデブルタ・・・)だけではなく、ごく普通の洋食メニューもある。中でもチキンが安くて一番人気、ポークやビーフもあるが、魚は黒海で多少の品種が取れるだけなのでメニューに出てくるのはサーモンと鱒くらいで貝類はほとんど無い。スープはお勧めで、どの店で食しても美味しい、ビーフスープ・チキンスープ・野菜スープもあるが、トマトスープが絶品、寒い冬などは暖かで濃厚なトマトスープが最高。

ランチで600円前後、ディナーでも1000円出せば、最高の満足いく料理が食べられる。概ねのレストランは空いている、平均月収200ドルの市民にとって日常的にレストランで食事を摂る余裕がないのだろう。レストランの雰囲気はとてもお洒落でいくつかの店ではピアノの生演奏のサービスがあり、我々日本人が入ると「桜さくら」や「黒田節」など日本の曲を演奏してくれる。

ルーマニア料理

サルマーレ: ルーマニア風のロールキャベツで、酢漬けのキャベツにひき肉・玉ねぎを包み込み煮込んだもの  ママリガ: 主食の一つでトウモロコシの粉に牛乳とバターを練りこんで煮たもの  チョルバデブルタ: 牛の胃袋を煮込んだスープ

(写真上段・左)スープとビール (写真上段・右)ママリガ 

(写真中段)ハリーが良く利用したレストラン内部 

(写真下段・左)一押しのビストロ・デ・アルテのトマトスープ (写真下段・右)スープとサラダのランチメニュー

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(UncleSam)いずれも美味しそうだな。ランチで600円は日本では少し安めだが、日本との平均月収の比較で言うと10倍以上だから・・・6000円相当?、これじゃ一流割烹で昼食会席の値段くらい、現地の人では相当な収入ある人しかこのようなレストランは利用出来ないはずだ。

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ルーマニア滞在記(第5章)

2006年01月15日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第5章) By Harry H.

Romanian Way  (ルーマニア方式)

BLACK NIGHTの出来事は日本では考えられないことですが、ルーマニアではごくごく日常的なことです。ラテン系民族ということもあり、仕事の進め方は大体こういった感じで実に悠長です。日本人のように事前に準備し、計画的に取り進めるなどということは一切ありません。のんびりと構えていて直前になってやっと腰を上げ準備にかかるというのがルーマニアウェイ。

私が日常接触するのは、市役所・銀行・裁判所・弁護士などです。役所に提出した提案書はなかなか返事が来ない(これは“お役所仕事”で、どの国も同じか?)。 裁判所に出した役員変更登記は承認が下るまで何と4ヶ月もかかった。銀行の口座開設に提出書類が何と30枚近くも、また勘定をAからBに移動するのにも2時間も行員と話さなくてはならないのにはうんざりです。顧問弁護士などはアポを取っても来ないこともたびたび、来たとしても2-3時間遅れはざらにある。

ルーマニア方式は、ルーマニア人気質と遅れた社会システムから生成されたものだと思う。と分かっていても何十年日本人をやっている私には物事がなかなか進まないことにどうしてもイライラしてストレスが溜まってしまう。

(写真:上) 中央広場、中央奥に見えるのが“黒の教会”、ブラショフ市のシンボルで14-15世紀にかけて建設されたプロテスタント教会。内部の装飾は質素であるがヨーロッパ最大級のパイプオルガンがある。なぜ黒の教会と言われる理由は1684年の火災で壁が黒くなったから、現在は修復されて黒くはない。高さは65mもあり第1章で紹介したツンバ山からもよく見える。

(写真:下) 中央公園でゲーム(ルーマニア式麻雀?)を楽しんでいる市民

 

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(UncleSam) 1年経ってから配達された年賀はがき、これが Japanese Way だったら日本はもっとひどい、民営化されての改善が望まれる。黒の教会、ハリーはここへコンサートを何回か聞きに行ったそうだ。ところでアンクルサムは海外出張するとよく日本食が食べられるところを探す。本当はその国の料理を楽しむべきと考えるがついつい用心してしまう。ルーマニア料理ってあるのかな?

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ルーマニア滞在記(第4章)

2006年01月11日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第4章)  By Harry H.

BLACK NIGHT !!

いつ何が起きてもおかしくない我が古アパート、大事件は2004年11月に発生した。夜アパートに戻ると部屋の電気が点かない、ヒューズかな? と思い点検したが異常はない。その夜は仕方なくローソクに火を点してのロマンチック?な一夜を過ごす羽目となった。まあ少し早いクリスマスの一夜とでも思うしかない。

ロマンチックな夜を毎晩は味わいたくないので、翌日市役所に早急の対応をお願いした。しかし1日・2日・3日と経っても修理に来る気配もない。日本であればすぐにでも修復するのだが、ここはルーマニア、そうは行かないのだろう。一週間経っても音沙汰なしで、我が家はBLACK NIGHTのまま。これは長期戦になるなと思い、ローソクの予備を購入した。はじめのうちはロマンチックなものだと思っていたが、ローソクだけの明かりでは本を読むことすら不便。ルーマニアだから、また両国の親善のためとの我慢もほぼ限界状態。結局2週間ほど経って、やっと重い腰を上げ担当者を派遣してくれ修復出来た。原因はアパートの配電盤で私の部屋への電線が外れていたそうだ。やれやれ!!

写真はHarryが滞在していた部屋、窓の下にあるパネルは暖房装置で中を温水が循環している。地域暖房なので調整なしで24時間運転。

(UncleSam)大事件は停電だったのだ。しかしよく我慢したものだ。アンクルサムはよく中国に出かけるがこの国は停電が多い、曜日を決めて一日中停電することもある。最近の日本は災害時以外ほとんど停電がない。戦後間もないころは大都市でもよく長時間の停電があった。電灯のほかに部屋にガス灯を点けていたのを思い出す。ガスのノズルに石綿の袋を付けて軽く燃焼させてから点灯する。これは電灯より明るかった。最近レトロブームでアチコチにガス灯(街灯)設置の話がある。

 

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