ルーマニア滞在記 (第3章) By Harry H.
ブラショフでの住まい
UncleSamからの要望もあったので今回は「住まい」についてレポートすることにしよう。ブラショフ市内は高い建物でも10階建てくらいで日本のように30階を超えるような高層マンションはない。ルーマニアも土地の価格は年々高くなったことから、若者が自分の家を持つことは段々と難しくなって、そして結婚する時期が遅れるようになり、それで両親の家に同居し続ける傾向が増えている。賃貸物件だと市内で3K(60-70㎡)で、100ユーロくらいが相場。14000円くらいなら安いと思われるが彼らの収入からだと大きな負担額だ。
私がブラショフ市側から与えられたのは5階建ての古いアパートメントの一室だ。ワンルームで8畳くらいの居間(兼寝室)と台所で、私は自炊をしないので台所ではお湯を沸かすくらいだった。建物は革命前のもので築数十年は経っていると思われる古いもので、アチコチ欠陥だらけ。トイレの排水、シャワーの蛇口や洗面台は水漏れ、トイレのドアは閉まらないし、玄関のドアはガタガタ、こんな状態であった。
シャツなど白い下着を洗濯していると、突然に茶褐色のお湯が出てきて本来白の下着が茶色に染まったり、寒い冬の朝、お湯が出ないときなどは最悪だった。さすがに冬の生命線である暖房は故障することはなかった。地域暖房が主で部屋の中に温水のパイプが設置されて、常に25度を暖かく快適である。
そして、この古いアパートで大事件が11月に起きたのだ。(続・第4章に)
写真上:ブカレスト通り(首都ブカレストと結ぶ幹線道路) 写真下・左:Harryが住んだアパート 写真下・右:部屋からの眺め
(UncleSam) ブカレスト通りの写真を良く見ると道路の上に架線が走っている。アンクルサムはそれなりの歳だから日本の昔が多少分かるので、たぶんトロリーバスの架線だと思う。懐かしいなー。学生時代そして社会人になってもトロバスを良く利用した。戦前の宝塚(新花屋敷)は知らないが、戦後に開業した川崎市・東京都・大阪・横浜のトロバスは利用した。いずれも地下鉄化や道路渋滞解消のため1971年横浜を最後に廃止となった。(アンクルサムは交通関係にもうるさいのだ) 現在は黒部ダムに「関電トロリーバス」が走っている。でもこれはトンネルの中を走るだけ、これでは昔は偲べない。
ところで 「大事件とは」 ハリー早く第4章を急いでくれ!