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ルーマニア滞在記第10章

2006年03月11日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第10章) By Harry H.

日本語クラス

日本武蔵野文化センターでの日本語クラスは1995年から始まっており、すでに10年の歴史がある。Harry が滞在した年には初級から上級まで9クラスが、1月から12月まで1年を通して、毎日(月曜日から金曜日)開催された。授業料は無料である。平均年齢は20歳で高校生や大学生が中心だ。開講時にアンケートをとると、日本語を学ぶ動機は日本や日本文化に対する興味・関心というのが多い。日本語を学んでも、即就職に有利になるという環境ではないが、知的好奇心が強い国なのである。

初級はスタート時の1月には120人くらいと大勢だが、12月になると20人ほどになり開講時に比べると六分の一まで落ち込む。授業についてゆけなくて止める人もいれば、大学のクラスの都合で来られなく生徒もいる。進捗状況を確認する意味で、ときどきミニテストを実施するが、概して成績が良いのは女性で、しかも最後まで続くのも女性だ。どの国も同じか!?

当センターには、先に登場した“料理の鉄人”ことMさんが日本語教師としているが、一人で9クラスを担当するのは大変なので、Harryも2クラスを受け持った。Haaryはここルーマニアに来る前に、アメリカのアラバマ州の大学で日本語教師として教鞭を取っていた経験がある。最初はまったく日本語が分からない生徒たちが、1年近くも経つと平仮名や片仮名を読んだり書いたりできるようになるのを見ているとやりがいがある。漢字は、カナやローマ字に比べて複雑なこともあって、どうも苦手な生徒が多い。

毎年3月、在ルーマニア日本大使館主催の日本語弁論大会がブカレストで開催される。わがセンターからも毎年エントリーして、常に上位を占めている。2004年には、初級と中級からそれぞれ1名がエントリーし、初級は特別賞、中級では3位に入賞した。さらにブカレスト大学から上級でエントリーした学生は優勝をしたが、彼女は我がセンターで日本語を勉強した学生である。まさに10年間の日本語クラスの歴史がもたらした効果であるが、大会に出席したHarryは日本語教師のMさん共々大いに感激した。日本語教育に関しては、“ルーマニアに武蔵野センターあり”である。

*写真上と下・右は日本語クラスの授業風景、下・左は日本語弁論大会あとレセプション会場で、Harryと生徒たち

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(UncleSam) アンクルサムは45歳のころ、英会話のスクールに1年ほど通学した。理由は中学・高校・大学と10年間英語を学んできたのに、旅行は別として仕事では(英語なのに)ヒアリングも出来なければ話すこともままならないからだ。今でも英会話は苦手だ。日本語になじむ機会がまったくなかったブラショフのセンターの生徒たち、1年経つとそこそこに話すというからルーマニア人がすごいのか、M先生がすごいのか、ビックリである。

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ルーマニア滞在記第9章

2006年03月04日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第9章) By Harry H.

日本武蔵野文化センター

先にも書いたが、日本文化をブラショフ市民に紹介する場として、1998年県立図書館分室の中に設置され活動を開始した。30㎡と手狭なこともあり、2003年にはより効果的な活動が出来るように広い賃貸ビルに移転した。町の中心部に近い4階建ビルの1階と3、4階を借り、各階100㎡だから合計で300㎡と十分な広さとなり余裕をもっていろいろな活動が出来るようになった。

1階は ITセンターで日本のNGOから寄贈された10台のパソコンが設置されており、ブラショフ市の主催で定期的にパソコン教室が市民に無料で開放されている。3階は我々の使用する事務所と図書室で、図書室には日本に関する書籍(文化・習慣・小説・辞書・写真集・日本語関係図書など)が1000冊以上所蔵されている。4階は日本語クラスをはじめ種々活動のための大小3つの教室がある。因みに2階はビルのオーナーの事務所で、何かビルに不具合があれば一つ下の階であるから、話が出来るので便利である。特に冬場は暖房の調子が悪いと事務所が寒くて堪らないからよく家主の事務所を訪ねたものだ。

Harryが赴任した直後に家主から難題を投げかけられた。2003年後半からルーマニアはEU加盟熱が盛り上がり、それに伴って国内の Reference Currency がドルからユーロに変わりつつあった。具体的にはホテルでの宿泊決済が今までは100ドルだったが100ユーロに、1000ドルの航空券代が1000ユーロに、数値の絶対値を変えないで単純に通貨だけをドルからユーロに変えるのである。当時も1ユーロ=1.2ドル前後の為替レートだったから、実際は約2割の値上げを意味している。家主もこの方式を我々にぶつけてきた。つまりドル建の家賃をユーロ建への変更を要求、受け入れなければ別の店子を入れるので出て行ってくれと強気、間に立つ赴任したばかりの所長Harryは現地の事情を未だ把握していない状況、その対応には大変頭が痛い話であった。最終的にはセンターの意義や予算措置の事情を説明して次年度からの改定ということで合意した。

武蔵野センターでは、日本語クラスをはじめ、習字、切り紙、お手前、絵手紙、着付け、漫画クラス、料理クラスといろいろな活動をしている。次回にはこれらの活動のことをお話ししよう。

(写真上)図書室とHarry (写真下)パソコン教室

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(UncleSam) 香港の事務所も駐在員の住宅も値上げを要求してきた。それも2割アップである。拒否すると出て行ってくれと言われる。第9章を読んでそんなことを思い出した。それに香港のホテル事情は未だに理解できない。例えば同じ部屋で連続7泊なのに日よって値段が違う。それも5割も上がる日が入ったりする。日本人には全く理解できない。

ところで最近ニュースで見たが欧州でのガイドブックに日本人は桜吹雪の刺青をしているとか大阪はヤクザの街とか紹介されているらしい。世界各地でHarryが体験したような活動が盛んになればこんなこともなくなるであろう。

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ルーマニア滞在記第8章

2006年02月25日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第8章) By Harry H.

ルーマニア(ブラショフ)の交通事情

国内での長距離移動には飛行機より安い鉄道を利用する人が多い。ブラショフ市と首都ブカレストは150Kmほど離れているが、列車だとAccelerat(普通)で3時間、Intercity(インターシティ)でも2時間20分もかかる。乗車券の販売はブカレストでは電子化されているが、ブラショフではまだマニュアルである。従ってブラショフでは往復切符を買うことが出来ない。ルーマニア第2の都市でこのような具合だから社会インフラは遅れている。

車は、ルーマニアの国産車はDACIA(ダチア)だが、欧州車(ベンツ、アウディ、ルノー、プジョー、BMW・・・)も走っている。ほとんどの車がMANUAL車で、AUTOMATIC車は価格が高いせいかごく稀にしか見かけない。少し古い統計だが2002年ブラショフ県の車保有率は0.17台/人と、自家用車を所有しているのはある程度以上の収入がある層である。更に欧州車などの外車を所有しているのはごく一部の“勝ち組”の人達のみであろう。

従って多くの市民の交通手段はバスとなる。バス網は市内を満遍なく張り巡らされており24時間運転である。1回乗車が8千レイ(25円)。日本ではもう見られなくなったトロリーバスも走っている。乗車券を買って、バスの中で自分でパンチで穴をあける。ときどき乗車券をチェックするために検査員が抜き打ち的に乗ってきて、若し乗車券がないことが見つかると、30万レイ(約1000円)という高い罰金を取られる。Harryは市役所からバス定期券を提供されており、市内のバスはすべて無料だった。

タクシーは沢山走っており、市内では1Kmあたり7千レイ(20円)と安く、気軽に乗ることが出来る。これがブカレストだと事情が一変して、ほとんどのタクシーは料金メーターを倒さない。乗車する前に料金交渉をしなければならないから、外国人など言葉が分からない人は自然高い値段で乗ることになる。なんとも悩ましいことだ。国際社会の一員になるにはこういった点の改善も求められるだろう。

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(UncleSam)だいぶ前のことだがローマに行ったとき、路面電車に乗って(当然車内で切符を買うのだと思って)、検札に来た係員に法外な罰金をリクエストされたことを思い出した。タクシーがすごく安いのはビックリしたが、諸外国と比べると日本は高すぎる。成田に着いた外人が(他の国と同じつもりで)都内までタクシーに乗って2万円取られたら、たぶんボラれたと思うだろう。Harryのレポートでだんだんブラショフのことが分かってきたが、Harryが所長していた文化センターってどんなことをしていた事務所なのだろうか。

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ルーマニア滞在記第7章

2006年02月17日 | ルーマニア滞在記

 

ルーマニア滞在記 (第7章) By Harry H.

ルーマニア通貨

ルーマニアの通貨はLEI(レイ)である。(1円=約300レイ、2004年当時のレート) 紙幣は現地に赴任してかなり経ってから、紙ではなくプラスチックで出来ていることを知った。耐久性が紙より優れているからであろう。

2005年7月、ルーマニアはデノミを実行し従来の10,000レイが新1レイになった。現在は経過措置として新旧貨幣が流通している。

インフレの高い国で、ブラショフ県の数字で言うと2003年で14%強。県民の平均月収が200ドル前後ではいかに物価が安くても、インフレに給与アップ率が追いつかず生活は楽ではない。夫婦共稼ぎで家計を遣り繰りしているのが現状だ。

革命以前は共産国家として中国、北朝鮮、そしてソ連などを相手にトラクターやヘリコプターなどの機械類の輸出があったが、革命後は西欧市場での競争となり、品質・価格面では西欧諸国と競争できず、ブラショフ市内の工場も大部分閉鎖されたとのことだ。

2003年の失業率は、ブラショフ県で10%強と日本の倍レベルだ。大学を卒業しても首都ブカレストならまだしも、地方に行けば行くほど職につくのは難しく、200万人とも300万人ともいわれる人達が海外に出稼ぎに出ている。

市街のいたるところに両替所がある。海外からの観光客が多くないのに、どうしてこんなに多くの両替所があるのか、赴任当初は疑問に思った。観光客用ではなく、出稼ぎに(スペインやイタリア方面が多い)出ている家族からの仕送り(ユーロ)を現地通貨(レイ)に両替するための両替所なのだ。また国民は不安定なレイの手持ちは生活に必要な最低額にして、残ったレイはユーロやドルに両替しているのが一般的だ。

(写真)旧100万レイ紙幣(約3000円)、右は両替所にある交換レート表(1日に何度も書き換えられる)

(UncleSam)Harryの追記レポートによると現在もブラショフ市内のATMでは旧紙幣しか出てこないそうで、ほとんど人が新紙幣を手にしたことがないそうだ。皆さんの手持ちのお金、旧レイに換算したら大金持ちになった気分味わえるかも。100円ショップも3万レイショップ?

日本で1946年新円発行と預金封鎖が行われた。旧円は銀行に期限までに入れないと紙くずに、預金から新円での引き出しはひと月に世帯主300円、家族1名あたり100円までと制限、給与は現金500円、超過分は預金に、こんなことから「500円生活」という言葉が生まれた。急激なインフレを抑えるために施策だ。もうそんなことが日本であったことを知る人は少なくなった。

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ルーマニア滞在記第6章(続々)

2006年02月11日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記第6章・続々) By Harry H.

料理の鉄人

外食派のHARRYはいつもレストランで食事、というわけではない。朝食はアパートでバナナ&コーラで簡単に済ます。昼と夜はレストランということになるが、ときどきマクドナルドでテイクアウト(ハンバーガーと飲み物で300円くらい・現地の人にとっては結構高い)を買って来て食べることもある。たまに “料理の鉄人”の手作り料理のご相伴に友人とともにあずかることもある。

この料理の鉄人とは、我がセンターの日本語教師である M さんである。同じアパートに住んでいることもあり、ときどき外食派の私に声をかけてくれた。「ハリーさん、今晩夕食を食べに来ませんか?」 と、もちろん No Objection ! 私はルーマニア産のビールかワインを持参するのが常だった。

彼女はルーマニアに来る前は長くタイに住んでいた。それで香辛料たっぷりのタイ料理がお得意だが、鍋・カレー・コロッケ・ちらし・天ぷら・肉詰めピーマン・スパゲティ・肉まん・麻婆豆腐・お好み焼き・味噌煮込みうどん・・・・・とそのメニューはバラエティに富んでいる。レストランの食事はいかに美味しくとも所詮外食。たしかに彼女の手料理は美味であるが、それと楽しく会話しながら食べる食事は格別だ。

あるとき彼女はスーパーで “骨付き牛” を買ってきたが、どうも食用ではなくダシ取り用だったみたいで、数日煮込んでダシを取り、我々に “野菜鍋” をご馳走してくれた。その味の絶妙なことこの上なし!! ハリーはそれ以来、彼女を “料理の鉄人” と呼ぶことにした。その鍋を食べながら「このダシを使ってラーメンを作ってみては」と彼女に提案した。ルーマニアではベトナム製の麺が手に入る。

そして翌日ハリーは STARデパート(前述・ルーマニア食生活・その2)の地下食料品売り場で麺を買い求め、M さんのところで例のダシを使ってラーメンとなる。その味といったら今日本各地でラーメン店が大流行だが、そんな激戦区でも行列が出来て TV でも紹介されるラーメンと言っても過言ではないくらいの出来だった。遥か離れたルーマニアで絶品のラーメン?!!? 嗚呼、幸せ。

(写真上)料理の鉄人・M さん(目の前にある料理は、レストラン・ベラムジーカでの豆スープ、パンの器に入っておりこのパンを崩しながら頂くこの店の名物) (写真下)鉄人が作ったタイ料理、焼きそば、シュウマイ)

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(UncleSam) 料理の鉄人・M さんはタイで料理の腕を磨いたのであろうが、この国の女性、特にバンコック市内のオフィスで働く多く女性はほとんど家で料理を作らない。そんな環境でタイ料理を勉強したのだから尊敬する。タイでよく出てくるスープにトムヤムクンがある。何でもトムヤムクンと思ったら中味の具で名前が変わる。海老が入ったのをトムヤムクン、鶏肉が入っているのをトムヤムガイ、魚貝のはトムヤムタレー、そして鶏肉とココナツのはトムカーガイという。アンクルサムはタイによく出かけるがトムカーガイ以外は苦手だ。写真にあるタレはナムプラーと思うがこれはパクチとともに慣れるとこれがないと思うようになるから怖い。サワディ・クラップ !

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