写真左:ブラショフ中央公園 右:街の通りからツンバ山を望む
ルーマニア滞在記 (第15章) By Haary H.
Street Children
異文化国家ルーマニアでの最初のカルチャーショックは、ジプシーのSTREET CHILDRENだった。赴任した2004年1月の真冬、激寒の中、街のメインストリートであるリパブリック通にジプシーの子供が雪の上に座ってお金を無心している姿は、日本から来たHARRYには余りにも強烈に写った。
STREET CHILDRENは、街のあちこちで見かける。人が集まるところ、街の中心部、駅前、食料品店の入り口など、一人で行動する子もいれば、複数でグループを作っているのもいる。単にお金や食べ物を求める子供がいれば、歌を歌ったり、楽器を演奏して、などいろいろな形でお金を手に入れる工夫をしている。以下はHARRYが経験した幾つかの体験である。
- 冬の朝センターへ出勤途上のバスの中での出来事。車内前方からアコーディオンの音色が聞こえてくる。ラジオ放送でも車内に流しているのかなと思ったら、前方から3人のジプシーの子供が、一人はアコーディオンを、残りの二人がお金を無心しながら向かってくる。男の子は弾くことに慣れているというか、同じ曲を繰り返しているのだが、結構弾きなれた感じで演奏している。彼らにとってはアコーディオンに生活がかかっているのである。車内での乗客の反応は、小銭をあげる人もいるが概ね冷ややかというか無関心。
- 昼時リパブリック通の小売店で、サンドイッチを買おうとしていると、HARRYの腰の辺りを後ろからポンポンと叩く。誰かと思い振り向くと小さなジプシーの子供が、お腹を押さえて、「お腹が空いているので、食べ物を恵んで」というジェスチャーをして訴える。
- 朝アパートを出てバス停に向かう途中、ジプシー親子とすれ違うと、子供がHARRYを見つけるや否や手を出して、“お金”と言いながらずっとついて来る。そしてもらえないと分かると、何か“捨て台詞”を言いながら去ってゆく。
- BRASOV駅に行くとジプシーの子供たちが、手にモップと雑巾を持って、駅前に駐車する車を待っている。車が来ると汚れた窓ガラスを水に濡らしたモップと雑巾で綺麗にしてチップをもらっている。
- 交差点で信号が赤になると、ジプシーの子供たちが駆け寄ってきて手を差し出しお金を無心する。
- 街中の駐車が難しい場所では、空いたところへ誘導することでチップを要求する子供もいる。
ブラショフ市(人口:30万弱)に日本人はHARRYを含めて7-8人である。だから超マイナーな集団なのだ。従って何かにつけ目立つ存在である。ジプシーの子供たちは、我々外国人を見つけると、すぐに近寄って来てお金や食べ物を無心する。
大人のジプシーが街中で物乞いをするケースは少なく、もっぱらゴミ捨て場で廃棄物を物色している。ゴミ捨て場にはまだ金目になるものも集まってくるからであろう。子供を持つジプシーの親の多くは自分は何もせず、子供にお金の無心をさせ、彼らを遠くから見ているだけである。
HARRYは赴任しての暫くは、こういったジプシーたちを無視していた。が、生活していくうちに、夕暮れ時スーパーの入り口に小さな子供を抱きかかえているジプシー親子なんか見ると、レストランから持ち帰ったパン(どのレストランのパンは美味しく、残したパンは翌日の朝食用に持ち帰ることにしていた)や、買い物をしたときの小銭のおつりを、時々彼らに恵むようになった。
政府もこのSTREET CHILDRENの問題を社会問題として認識はしているが、ブラショフ市の担当者と話をすると、財政の問題もあるが、このような問題を扱うスペシャリストがいないというのである。EU加盟を目指すルーマニアの悩ましき社会問題の一つと言える。
写真左:ブカレスト通(首都と結ぶ幹線道路) 右:市庁舎の前に立つHARRY
(UncleSam) 少なくなったが今でも香港から九広鉄路で広東省に入る入り口(羅湖:ローフ)の駅広場には物乞いをする乞食やその子供を見かける。日本も終戦後に傷痍軍人、戦争で負傷したのか義足をつけ白の衣装に戦闘帽をかぶった人がアコーディオンを弾きながらお金を恵んでもらっている人をよく街角で見かけたを思い出した。アコーディオンというのは音色から人の心を優しくするから効果があるのであろう。また日本に駐留していた米国軍人やその家族にお金やチョコレートを無心する大人や子供を見かけた。国が貧しさから開放されないとジプシーだけではなくこういった光景はなくならないと思う。