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ルーマニア滞在記第15章

2006年04月16日 | ルーマニア滞在記

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写真左:ブラショフ中央公園  右:街の通りからツンバ山を望む

ルーマニア滞在記 (第15章) By Haary H.

Street Children

異文化国家ルーマニアでの最初のカルチャーショックは、ジプシーのSTREET CHILDRENだった。赴任した2004年1月の真冬、激寒の中、街のメインストリートであるリパブリック通にジプシーの子供が雪の上に座ってお金を無心している姿は、日本から来たHARRYには余りにも強烈に写った。

STREET CHILDRENは、街のあちこちで見かける。人が集まるところ、街の中心部、駅前、食料品店の入り口など、一人で行動する子もいれば、複数でグループを作っているのもいる。単にお金や食べ物を求める子供がいれば、歌を歌ったり、楽器を演奏して、などいろいろな形でお金を手に入れる工夫をしている。以下はHARRYが経験した幾つかの体験である。

  • 冬の朝センターへ出勤途上のバスの中での出来事。車内前方からアコーディオンの音色が聞こえてくる。ラジオ放送でも車内に流しているのかなと思ったら、前方から3人のジプシーの子供が、一人はアコーディオンを、残りの二人がお金を無心しながら向かってくる。男の子は弾くことに慣れているというか、同じ曲を繰り返しているのだが、結構弾きなれた感じで演奏している。彼らにとってはアコーディオンに生活がかかっているのである。車内での乗客の反応は、小銭をあげる人もいるが概ね冷ややかというか無関心。
  • 昼時リパブリック通の小売店で、サンドイッチを買おうとしていると、HARRYの腰の辺りを後ろからポンポンと叩く。誰かと思い振り向くと小さなジプシーの子供が、お腹を押さえて、「お腹が空いているので、食べ物を恵んで」というジェスチャーをして訴える。
  • 朝アパートを出てバス停に向かう途中、ジプシー親子とすれ違うと、子供がHARRYを見つけるや否や手を出して、“お金”と言いながらずっとついて来る。そしてもらえないと分かると、何か“捨て台詞”を言いながら去ってゆく。
  • BRASOV駅に行くとジプシーの子供たちが、手にモップと雑巾を持って、駅前に駐車する車を待っている。車が来ると汚れた窓ガラスを水に濡らしたモップと雑巾で綺麗にしてチップをもらっている。
  • 交差点で信号が赤になると、ジプシーの子供たちが駆け寄ってきて手を差し出しお金を無心する。
  • 街中の駐車が難しい場所では、空いたところへ誘導することでチップを要求する子供もいる。

ブラショフ市(人口:30万弱)に日本人はHARRYを含めて7-8人である。だから超マイナーな集団なのだ。従って何かにつけ目立つ存在である。ジプシーの子供たちは、我々外国人を見つけると、すぐに近寄って来てお金や食べ物を無心する。

大人のジプシーが街中で物乞いをするケースは少なく、もっぱらゴミ捨て場で廃棄物を物色している。ゴミ捨て場にはまだ金目になるものも集まってくるからであろう。子供を持つジプシーの親の多くは自分は何もせず、子供にお金の無心をさせ、彼らを遠くから見ているだけである。

HARRYは赴任しての暫くは、こういったジプシーたちを無視していた。が、生活していくうちに、夕暮れ時スーパーの入り口に小さな子供を抱きかかえているジプシー親子なんか見ると、レストランから持ち帰ったパン(どのレストランのパンは美味しく、残したパンは翌日の朝食用に持ち帰ることにしていた)や、買い物をしたときの小銭のおつりを、時々彼らに恵むようになった。

政府もこのSTREET CHILDRENの問題を社会問題として認識はしているが、ブラショフ市の担当者と話をすると、財政の問題もあるが、このような問題を扱うスペシャリストがいないというのである。EU加盟を目指すルーマニアの悩ましき社会問題の一つと言える。

写真左:ブカレスト通(首都と結ぶ幹線道路) 右:市庁舎の前に立つHARRY

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(UncleSam) 少なくなったが今でも香港から九広鉄路で広東省に入る入り口(羅湖:ローフ)の駅広場には物乞いをする乞食やその子供を見かける。日本も終戦後に傷痍軍人、戦争で負傷したのか義足をつけ白の衣装に戦闘帽をかぶった人がアコーディオンを弾きながらお金を恵んでもらっている人をよく街角で見かけたを思い出した。アコーディオンというのは音色から人の心を優しくするから効果があるのであろう。また日本に駐留していた米国軍人やその家族にお金やチョコレートを無心する大人や子供を見かけた。国が貧しさから開放されないとジプシーだけではなくこういった光景はなくならないと思う。

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ルーマニア滞在記第14章

2006年04月07日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第14章) By Harry

料理クラス 料理を通しての文化交流

料理の鉄人Mさんの発案で「料理クラス」をやることにした。ブラショフの武蔵野センターには厨房がないので、日本語クラスに来ているKさんのキッチンをお借りして、日本料理とルーマニア料理を交代で、月一回のペースですることにした。

ルーマニア料理はルーマニア人が、日本料理は我々日本人が担当と決めた。といっても、日本料理は当然「料理の鉄人・Mさん」の出番である。料理は食べるほう専門のHarryは、食べたい日本料理はいくらでもあるが、いざ作るとなるとアイディアが出ない。更にメニューは材料の関係で大きく制限される。ルーマニアで日本料理の食材を手に入れるのは大変難しい。調味料も同様である。醤油は売っているが日本のとはたいぶ違うし、ソースなどは手に入らない。

そんな中で、助け舟としてJICAの隊員が登場する。ブラショフに看護婦としてきていたI.N.さんと、隣町のルシノフにスキー・ジャンプの指導にきていたM.K.さんが、普段Harryと付き合いがあるJICAの隊員である。ルーマニア全体では30名弱の隊員がいて、日本との行き来が多いこともあり、彼らはあっと思うような日本の食材を持っている。彼らから貰った白玉粉とあずきで、白玉あずきを作ったこともある。写真左は白玉作りを指導しているMさん。

日本料理というより日本の家庭料理として、コロッケ、餃子、ラーメンなどを作り、一方ルーマニア料理としては、チョルバ・デ・ブルタ(牛の内臓が入ったスープ)、ママリガ、パパナッシュ(ドーナツに似たデザート)などで、もっぱらHarryは食べさせて頂く専門だったが、食を通して文化交流に大いに貢献したと思っている。

(UncleSam) Harryはこのルーマニア滞在記でも分かるとおり、チャレンジ精神旺盛な人だ。今はサックスに興味を持って一生懸命に練習しているようだ。来月あたり新宿でのJAZZ祭に出演が決まったそうだ。UncleSamは楽器演奏はまったく苦手なので感心している。

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ルーマニア滞在記第13章

2006年03月31日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第13章) By Harry H.

ホスピスへの訪問

日本武蔵野文化センターの諸活動は、センターに市民や学生たちに来てもらって参加してもらうのが原則だが、外部から依頼されて出前的に日本文化を紹介する、あるいは協力するというケースもある。いくつかの例を紹介しよう。

  • 子供図書館に出向いて、割り箸の持ち方・剣玉や折り紙の披露
  • BRSOV市内で開催された30才以上の欧州柔道選手権最終日に、JAPANESE NIGHTということで、日本の観光名所のビデオ上映、着物、生け花、盆踊りの披露
  • BRASOV市内にある三菱自動車の代理店の開所式典に、日本音楽、生け花、着物の貸与、日本料理などで協力
  • BRASOV市民祭では、同市の姉妹都市・友好都市が世界中から集まって来て、各国のお家芸を披露することになり、武蔵野センターは“着物ショー”を開催して大喝采を博した

そんな中で Harry の記憶に強く残っているのは、センター近くのホスピスへの訪問である。身体を病んでいる人たちがセンターを訪問することなど出来るわけがないので、こちらから週一回の頻度で訪問して日本文化を伝えた。

写真のようにちらし寿司(モドキ)をホスピスの人たちの前で作って一緒に食したりした。また折り紙を披露したり、日本の生活のビデオを上映したりした。あるときは日本から送ってもらったソロバンを使ってソロバン塾を開いたりした。センターの職員とともに、日本語教師のMさんやボランティアで日本語教師をしてくれていたKさんが手伝ってくれた。Kさんは大学卒業したてのうら若き女性で、単身で遥か離れたルーマニアに来たという、何とも果敢な勇気の持ち主である。Harry がアメリカの大学にいたときも、日本からの留学生の多くは女性だった。今の時代、女性のほうがAmbitious!!

ホスピスにいる多くは女性で、関心を示して最後までついてくる人もいれば、途中から無関心になる人もいる。折りあがった花の折り紙を胸に挿し飾って喜んでいる老人を見ているとこちらの心も和んでくる。こういったホスピスへの日本文化の出前も文化交流の一つかなと思った。

(UncleSam) アンクルサムは中学・高校時代に福岡にある教会学校のお手伝いをしていた。子供たちを連れて養老院や療養所などを訪問して、子供たちの歌や劇などをお年寄りたちにお見せした。慰問先の人たちに大いに喜ばれたが、私は子供たちがそれ以上に感動を覚えたことに感激した。

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ルーマニア滞在記第12章

2006年03月25日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第12章) By Harry H.

七夕 盆踊り in ROMANIA

センターでは季節的な行事として、毎年3月にひな祭り、7月に七夕、そして12月にクリスマスを催している。Harry がいたときの七夕のことを話そう。

“盆踊り”をやろうということで、市役所の隣の中央公園を催し場所として選定した。公共の場所なので、市役所の認可が必要とのことで申請するが、例のルーマニア・スタイルと言うか、お役所仕事と言うか、開催直前になってやっと許可が下りる。

盆踊りとなると、櫓(やぐら)を組んで太鼓を叩かなくてはならない。ブカレストの日本大使館まで出向いて和太鼓を借用、ついでに民謡のCDもお借りし、屋台の夜店でやる“ヨウヨウ”もGET。

当日の太鼓はルーマニアの学生が叩くのであるが、太鼓のレッスンが必要となるわけで、JICAで隣町ルシノフにいるM.K.さんにお願いした。彼はスキージャンプのコーチとしてルーマニアに来ている190cmもあるナイスガイだ。

またセンターで保有する紙芝居のなかに、“たなばた”があったので、これをやろうと言うことで、Harryが先ず日本語から英語に、そして現地職員が英語からルーマニア語に翻訳した。

さて七夕の当日、何と言うことか小雨が降ってきた。野外での開催は無理であるが、せっかく今まで準備してきたこともあるし、ボランティアの学生たちもセンターに集まっていたので、センター4階の大部屋であることにした。ゴム製プールに浮かべたヨウヨウはあっと言う間になくなり、竹笹の代用の木には参加者がおのおのの願いを短冊に書いて結んだ。紙芝居は、参加者の中から織姫や彦星役を募り、七夕STORYを展開した。最後は東京音頭での盆踊り、簡単な振りなので参加者たちはすぐに覚えて、外の中央公園のようにはいかないが、狭いながらも丸く輪を作っての盆踊り。雨にもかかわらず、50-60人もの子供・学生・市民の方が訪れ大盛況だった。

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(UncleSam) 昔日本ではどこの家庭でも七夕をしていたが、都市部の昨今は幼稚園や小学校でするくらいであろう。町興しで地方では「仙台七夕まつり」が有名で、他に前橋の「前橋七夕まつり」、台東区かっぱ橋本通で開かれる「下町七夕まつり」、愛媛の「内子笹まつり」、山口市の「山口七夕ちょうちんまつり」、富山の「高岡七夕まつり」などは観光ツアーがあるくらい全国的になってきた。しかし一般家庭でしかも小さな子供がいない家庭ではデパートに行って「七夕セール」を見て七夕を思い出すくらい寂しいものになってしまった。

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ルーマニア滞在記第11章

2006年03月17日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第11章) By Harry H.

日本文化紹介クラス(書道・絵手紙・折り紙・漫画)

ブラショフの日本文化センターでは日本語クラスがメインである。これ以外にも、書道・絵手紙・折り紙・切り絵・墨絵・着付け・お手前・漫画クラス等々、いろいろな催しを開催している。

書道: 書道クラスは、火曜日と木曜日の週2回。これも日本語教師のMさんが担当、生徒は日本語クラスを取っている生徒も多いが、毎回5~6人。精神的な要素が多い習字であるので、Harryも時間が許す限り、書道クラスに参加して生徒に混じって練習した。Harryは中学時代に習字をやって以来のことだから、それこそ40年ぶりのことである。でも書いてみると結構、様になっているなと自己満足。生徒たちは普段の字を書くのとは勝手が違うので、最初は戸惑っているが、徐々に筆運びに慣れてくると我々が驚くくらい上手になってくる。2005年1月に武蔵野市役所ロビーでルーマニア展覧会を開催したときに、生徒たちの習字の作品を展示し好評を博した。

絵手紙: 絵手紙クラスは、ブラショフ以内の会社に勤める女性が担当して、不定期であるが開催している。彼女は数年前、武蔵野市の招聘プログラムで日本に招かれ、日本文化としてお茶・着付け・書道などを勉強する中で、絵手紙をも学びその経験を生かして、ボランティアとして、我がセンターで絵手紙を教えてくれている。武蔵野市の絵手紙同行者と絵手紙での文通も行っている。

漫画(コミック): 驚くことにルーマニアでは漫画(コミック)がない。従って彼らにとって日本の漫画やアニメは物珍しく、つよく関心を持って読んだり見たりする。センターの図書室にも少しであるが漫画などもおいている。漫画クラスは美術専門学校に通う二人の生徒が担当してくれて月曜日と土曜日に開催、もっぱらDrawing(素描)の練習であるが、彼らの作品も前述の武蔵野市役所での展覧会に出展させた。

写真上・左:習字クラス 写真上・右:切り絵クラス  

写真下・左:漫画クラス 写真下・右:絵手紙クラスの作品

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(UncleSam) ルーマニアに漫画(コミック)がないとは驚いた。ひょっとしたら風刺画を禁じた名残だろうか。今でも独裁政権が布かれて国では風刺画を徹底的にマークしているらしい。自由・開放を求めるプロパガンダに漫画が多く使われた歴史がある。 もう妻子もあろうかなと思われるビジネスマンが、電車の中でバッグから漫画本を取り出して読んでいるのを見ると、アンクルサムはこれで良いのかと嘆き悲しんでいる。

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