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ルーマニア滞在記第20章

2006年05月20日 | ルーマニア滞在記

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                             Poiana Brasov  in Summer

ルーマニア滞在記 (第20章) Harry H.

ブラショフでの観光

日本からルーマニアへの観光客は年々増えているようで、2004年は前年の約2倍の1万5千人だった。ブラショフ市中心街を歩いていると、ごく稀に日本人観光客と出会うことがある。前章でポイアナ・ブラショフでのスキーを話したが、ここで(日本語を話しているので日本人だと分かったのだが)日本の青年二人がスノーボードを楽しんでいるのを見て驚いた。

日本からルーマニアへの旅の難点は直行便がないことである。ロンドンやフランクフルトなどのヨーロッパ主要空港まで飛んで、トランジットでブカレスト(オトペニ国際空港)ということになる。うまく乗り換え出来ても20時間近くだからルーマニアは日本から遠い国になってしまう。日本からのグループツアーはルーマニアだけというのは少なく、ハンガリーやブルガリアなど東欧諸国との組み合わせが一般的だ。

他の東欧諸国に比べると日本とはまだ距離がある遠い国、ルーマニアだから日本で知られていないところも多く、旅なれた人でも新しい発見や体験が出来る可能性がたくさんある。

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 SHINAIA(シナイア)はブラショフから南に車で約1時間。共産国家になる前は王政だったルーマニア国王の別荘がある。王様の別荘であるから、建物・調度品は贅を尽くしたものばかりで、日本から贈られた値打ちのある焼き物や武具も陳列されていた。残念ながら室内は撮影禁止で写真はない。

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POIANA BRASOV(ポイアナ・ブラショフ)は前章で書いたが、冬はスキー、夏はテニス・乗馬・ハイキングと、ルーマニアでも屈指のリゾート地である。従って快適なホテルはいくつもある。BRASOV からバスで20-30分という近いところなので、スキーシーズン以外でもHarryは昼食にでもよく訪れた。洒落たレストランで窓越しに綺麗な風景を眺めながら、美味しいスープ、ビールにメインディッシュと、優雅で贅沢なひと時を過ごしたものだ。

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BRUN(ブラン)城 あの有名なドラキュラ伯爵のお城である。BRASOVからバスで南西に40分くらいのところにある小さなお城。伯爵が小柄(?)だったせいか、城はこじんまりした佇まいである。世界的に知られている観光地なので観光客は多く、入り口周辺にはお土産屋が沢山ある。

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ルーマニア滞在記第19章

2006年05月14日 | ルーマニア滞在記

 

                                Poiana Brasov, Romania

ルーマニア滞在記 (第19章) By Harry H.

余暇 ブラショフでのスキーとテニス

国民所得が高くないルーマニアでは、彼らの余暇の楽しみ方で多いのは近くの公園や川辺・丘などに行ってバーベキューすること。車を持つこと自体が高所得者層に属する。2003年のBRASOV県での車保有率は、0.17台/人だったから、100人に17人という低さだ。

ゴルフ場はブカレストにはあるそうだがブラショフ市にはない。HARRYはテニスをするときは文化センターに近いオリンピア・テニスクラブを主に利用した。1時間700円(冬場はインドアとなって1000円)、数ヶ月の期間契約・前払いであるので、現地の貨幣価値では相当な金額である。テニスコートに来るルーマニア人の多くは外車を使用している。写真にあるようにここのクラブハウスは歴史的な建物のようで風情がある。

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HARRYがいっしょにプレーする日本人は、料理の鉄人Mさん、ボランティア日本語教師のKさんとJICAのMKさんで、それにセンターに来ている学生たちが加わる。Mさんは昔軟式テニスをやっていたこともあって、体重をかけて力強いストロークを打ってくる。MKさんはビギナーだったが、190cmもの上背から打ち出すサーブは入ると凄い。

  スキーはブラショフ市からバスで20分から30分ほどにあるポイアナ・ブラショフで滑った。ポイアナ(Poiana)というのは、ルーマニア語で “山間部の中のしずかな空間” という意味だそうで、夏はテニス・乗馬、冬はスキーとルーマニアでも有名なリゾート地である。スキーのレンタルが1日・700~1000円、リフト券が10ポイントで500円。短いリフトが2ポイント、長いゴンドラが6ポイントで、テニス同様一日遊ぶとなると優に2000円くらいは要る。スキー場に行くバスには、スキーをするのではなく、スキー場の見学や食事にだけ出かける人も多い。平均月収が2万円くらいで、テニスにせよすきーにせよ、1000円~2000円の出費は彼らにしては大きい。ルーマニアで余暇をスキーやテニスで過ごすことは、勝ち組の人達のステータスである。

(UncleSam) 日本は何でも高過ぎる。テニスのコートレンタルは普通クラスでも1時間で4000円もする。あらゆるところの入場料や駐車料金が高い。アンクルサムも海外に出かけたときに文化施設やスポーツ施設を利用するが比較的安い、日本政府は文化奨励など言っているが公営のものが少ないことが災いしている。

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ルーマニア滞在記第18章

2006年05月07日 | ルーマニア滞在記

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                Bosporus Straits, Istanbul, TURKEY (ボスポラス海峡

ルーマニア滞在記 第18章 By Harry H.

ビザ(査証)

外国人が90日を超えてルーマニア国内に滞在するにはビザ(査証)が必要となる。この国は(2005年1月現在で)在日本ルーマニア大使館ではビザの発給は一切せず、現地ルーマニアでの申請となる。ビザの申請に必要な書類は、現地警察で確認したところ

  • 健康保険証
  • 健康診断書
  • パスポート
  • 銀行残高証明
  • 写真

以上に手数料4百万レイ(約12,000円)が必要だ。HARRYはブラショフ市長から滞在を証明する手紙を書いてもらい市警察署に行った。しかし市長の手紙だけでは不十分で、前述のような書類が必要だと分かったが、面倒だと判断して3ヶ月ごとに海外に脱出することにした。気晴らしにもなるし、ルーマニア以外の外国にも行けるという訳だ。赴任期間一年間、3ヶ月毎の海外脱出で、ドイツ・アメリカ・トルコへ行くことができた。

ある時、センターに日本語を学びに来ている女性が、「日本大使館に日本への観光ビザを申請したが、許可されなくて困っている。私がこのセンターで日本語を習っている旨の一筆を書いてくれませんか」とHARRYに頼んだ。私の一筆があればビザ発給にプラスになると判断したのだろう。ちょうど翌週HARRYは、ブカレストにある日本大使館に行く用事があったので、本件を大使館職員に尋ねてみた。そして驚いた。日本人は90日間ビザなしでルーマニアに入国できるのに、何とルーマニア人が日本に観光目的でも実に次のような書類が必要なのだ。こんなところにもルーマニアの国際社会の中での位置付けが現れている。

(本人) ・申請書 ・申請理由書

(日本側受け入れ先) ・滞在理由 ・滞在日数 ・戸籍抄本 ・住民票 ・源泉徴収票

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                     - Antalya,TURKEY - (トルコ南西部のリゾート地

(UncleSam) HARRYのレポートにあるように外国人が日本国査証を得るのは非常に手間がかかる。少し昔には中国もINVITATION LETTER (招待状)がないとビザが発給されなかった。しかし今は15日以内ならビザなしで入国できる。15日を超えるビザ発給には少々複雑な手続きと手数料が必要となる。広東省に滞在している日本人は2週間ごとに香港へ行き、その日に再入国する。これでまた15日間滞在できる。こんな繰り返しをしている日本人が多くいる。

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ルーマニア滞在記第17章

2006年04月28日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 第17章 By Harry H.

超マイナー集団

BRASOV(ブラショフ)に在住している日本人は10人も居らず超マイナー集団であり目立つのである。このことが STREET CHILDREN やスリの標的になりやすいことは以前にも書いたとおりだが、首都ブカレストの GALA DE NORDE (北駅)で、“地球の歩き方”など観光ガイドにも書いてある“にせ警官”に出くわした。日本大使館主催の天皇誕生記念晩餐会に出席した帰り道のこと、北駅の改札を通り駅の構内に入ったところで、二人連れの男性がHARRYに近づいてきた。一人が警察手帳と思わしきものを見せて、(残念ながらHARRYはルーマニア語が分からない)、IDの提示を求めたので、パスポートのコピーを見せた。そうしたら「現金はどのくらい持っているのか?」ときた。口頭でXXXレイくらいと答えると、「現金を見せろ」と。HARRYはこの時点でおかしい??と感じ、「NO!」と返事をするとその二人はそのまま何も言わないで立ち去った。首都のど真ん中で、こういった“にせ警官”がまかり通っている現状に驚いた。

市内のお店に行っても我々外国人は目立つ。普段行きつけのスーパーは先方の店員の顔も知っているので問題ないが、ときおり新しい店に買い物に入ると、店のSECURITY担当らしき店員がHARRYの後をつけてきたり、遠くからじっとHARRYの行動を監視しているのが分かる。“怪しい東洋人”という訳だ。

トルゴビシュテという町には、JICA(海外青年協力隊)の女性隊員がいたが、彼女はその町で唯一の日本人だ。道路を歩いていてルーマニア人とすれ違うと、必ず振り返って見られるらしい。

現地に赴任してしばらくは他人の目が非常に気になった。自意識過剰なのであろうが、街中を歩いていると、すぐに彼らから見られているのではと思ってしまう。東洋人だと分かっても日本人だと分かるわけではない。現地の子供たちは、珍しいHARRYと街中で出会うと、“ニイハオ!”とか“KOREAN?”と声をかけてくる。

超マイナーであるということは時にはVIPにもなる。センター所長という立場だと、武蔵野市代表ということではなく、日本を代表する立場になる。地元のロータリークラブで講演をしたり、テレビ局やラジオ局の番組にも出演する経験もした。

*写真はブカレスト北駅で

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(UncleSam) 海外の繁華街を歩いていると、「社長さん、ニセモノ時計!」とかよく声をかけられて煩わしいと思ったには少し昔のこと。しかし最近は「○×△○××」とハングル語で声をかけてくる。どうやら彼らのターゲットは韓国人らしい。それだけ韓国の海外進出は勢いがある。半導体の世界シエアもここ数年、インテル(米国)に続いてサムスン(韓国)が第2位につけていて、日本メーカーは下落一途である。昔のように、街中を歩いていて「ニセモノ時計」と日本語で声をかけられるように、日本の地位向上に期待する?。

 


ルーマニア滞在記第16章

2006年04月23日 | ルーマニア滞在記

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ルーマニア滞在記 (第16章) By Harry H.

スリにご用心

ここルーマニアでは一般的には治安は悪くない。宗教的・民族的な争いがないこと、或いは隣国との領土問題がないことも、その原因の一つでだろう。ブラショフ(BRASOV)市内で夜遅く歩いていても身の危険を感じることはない。

大きな危険はない代わりに、小さな危険というか事件は頻発する。(どの国も同じかな?) その代表的ともいえるのが“スリ”である。

HARRY自身に実害はなかったものの、一年間の赴任期間中に数回スリの標的となった。混んだバスの中は、スリの格好の働き場である。どこからともなく、手がポケットを探りにくる。ある時満員のバスに乗ろうとしたら、こっちの乗車口から乗れというように、若い青年が手招きをする。なかなか親切な若者だと思って乗り込んだ。そしたらその彼はHARRYにぴったりと体をつけてきて大胆にもポケットを探っている。またある時、ブラショフ駅前でバスを待っていた。待っていたバスが到着して、バスに乗り込む瞬間、ズボンの左ポケットに誰かの手が忍んでくるのが視界に入った。とっさに手でポケットを押さえた。なんとジプシーと思わしきおばちゃんがHARRYのポケットにある財布を狙っていたのだ。そのジプシーは手にバッグを持ち、スカーフをたらしブラインドにして手を伸ばしてくるのだ。さらにそのばあさんはそ知らぬ顔をして、シャーシャーとバスに乗ってくる。彼女には相棒がいて盗んだ財布などを仲間に渡し、捕まっても自分は何もしていないと言い張るに違いない。乗り込んできた二人のジプシーばあさんをHARRYが睨みつけたら、発車前に降りていった。

幸いにもHARRYは経験しなかったが、仲間の日本人(複数)はバスの中でお尻のポケットをナイフで切られて財布などを盗られた。通常彼ら複数で標的を囲んで、一般客からブロックし、ナイフでポケットを切るのである。バスから降りたあとで切られたことを気付くくらい、何とも巧妙な手口である。

HARRYはスリ対策として、普段財布の中には必要なだけの現金を入れておき、CASH CARD やCREDIT CARDは決して財布には入れない。さらにバスに乗るときは必ず財布が入っているポケットを手で押さえることにした。何とも悩ましいことだ!!

(UncleSam) 終戦後しばらくは日本でも地下鉄にスリが多くいたので車内放送で「スリに注意してください」と車掌がよくアナウンスしていた。また最近では4月6日JR西日暮里駅で韓国武装スリ集団の事件があったばかりである。日本でスリの被害は少なくなったが、海外でスリの被害にあった報告は多い。日本人観光客はほとんど被害届けを出さないことがターゲットになる原因の一つ。5月連休に多くの人が海外に出かける。ご用心!