6日、今上が一昨年の稲刈りのような被せをされることもなく、悠仁親王殿下の誕辰を曇りない心でお祝い出来たことを喜んでいたのですが、、、
私が気付かなかっただけで、やはり被せのニュースは報じられていました。

サッカー皇后杯
ソフトボール大会に天皇杯と皇后杯 両陛下、新たに贈られる 令和では初
9/6(金) 16:18配信 産経新聞
宮内庁は6日、天皇、皇后両陛下が体育奨励のため、天皇杯、皇后杯を新たに日本ソフトボール協会の2大会に贈られると発表した。天皇杯と皇后杯の新たな授与は、平成30年の障害者スポーツ4大会以来で、令和になってからは初めて。
今回授与されるのは、全日本総合男子ソフトボール選手権大会(天皇杯)と、全日本総合女子ソフトボール選手権大会(皇后杯)。開催実績などから決定した。宮内庁の黒田武一郎次長が同日、日本ソフトボール協会の牧島かれん会長に伝達した。
スポーツ大会では、これで24大会で天皇杯、15大会で皇后杯が授与されることになる
😔 どうなのでしょうね、、、
>体育奨励のために
前後左右ぐるりと見回すどの視線の先でも、今やスポーツの花盛り。
明治以来の教育によって体育の重要性を理解した国民は、老若男女、津々浦々、思い思いにスポーツを楽しんでいる。
今更、天皇皇后が賜杯を与えてスポーツ体育を奨励する時代でも無いでしょうに。
参考資料(wiki ”天皇杯”より抜粋)
太平洋戦争後すぐの頃までは、直接トロフィーや楯を下賜されるケースのほか、下賜金を元に作成されたトロフィーも同様に呼ばれていたが、現在はトロフィーや楯を下賜されたもののみを天皇杯と呼ぶことになっている。



😲 う・わ! スポーツ関連の天皇杯皇后杯って、こんなに沢山あるのですね。
公益財団法人日本相撲協会 と公益財団法人日本相撲連盟 と、相撲が2団体で貰ってるね。とか、昭和時代には天皇杯だけだったところへ、平成時代に皇后杯が出来たところがサッカー協会をはじめ4団体あるね、とか、仔細に眺めると興味深い。
軟式野球とソフトボール
・軟式野球は「柔らかい ボールを使い青少年男子が行う野球 」日本発祥
・ソフトボールは「柔らかいボールを使い女子が行う野球 に似た球技」アメリカ発祥
😐 軟式野球の「公益財団法人全日本軟式野球連盟 」には昭和23年(1948年)に天皇杯が下賜されています。
軟式野球が男子の競技で天皇杯なら、女子の競技であるソフトボールには皇后杯、で良いじゃないかとも思うのですが、、、
今回天皇杯皇后杯同時下賜となったのには裏がある!?😁
裏、その一
・1996年 アトランタオリンピック 正式競技として採用
・2012年 ロンドンオリンピック正式競技から除外
2013年 に野球とソフトボールの国際競技連盟を統合し世界野球ソフトボール連盟を設立して
・2016年 リオデジャネイロオリンピックで復活を目指すも見送り
・2020年 東京オリンピック 正式競技から除外されたが開催都市組織委員会が独自に提案できる正式種目、追加種目の1つとして実施。
・2024年 パリオリンピック 正式競技 追加種目ともに採用されず。
・2028年 ロサンゼルスオリンピック 開催都市組織委員会の提案の追加種目として、世界野球ソフトボール連盟の主管による開催が決定
2028年ロサンゼルスにまだ間に合う。なんとかオリンピック正式競技として復活したい世界野球ソフトボール連盟 (WBSC)のロビー活動に天皇皇后が引っ張りだされた疑惑。暗躍したのは森久ペア。笑。
裏、その二

田園調布雙葉中学校時代、クラスメイトの有志たちと一緒に、ソフトボール部を創設、、、
雅子さまの田園雙葉中学校時代のソフトボール部顧問が当時の雅子さまについて語っているのだが、雅子さまを「主力メンバーだった」と言っても「主将、キャプテンだった」とは言わないところが不思議といえば不思議です。
察するにソフトボール部創設メンバーになった雅子さま、主将やキャプテンに押されるほどの人望は無かった、ということでしょうか。

😅 この時すでに「指差し」会話を習得されていたようです。
雅子さまが少女時代にソフトボール部創設に関わったこと、ソフトボール部が優勝したこと、は雅子さまのポジティブイメージとしてこれまで何かにつけて語られて来た。
悠仁殿下が成年となられた誕生日に、ソフトボール団体への天皇皇后杯下賜をニュースとして流すのは、雅子さまのポジティブイメージを国民に思い起こさせるため疑惑。笑
令和の天皇皇后が始めたものを何か残したかった見栄疑惑。笑。
愛子さまに愛子さまでも出来る簡単な公務と名誉職を与えたい疑惑。笑
😁 天皇杯皇后杯を新規製作される前に、愛子さまにティアラを造りましょう。
😐 スポーツ団体以外に天皇杯(杯)が下賜される団体は「公益法人日本農林漁業振興会」のみ。
国の基本は第一次産業だから、というのは納得ですが、第一次産業に天皇杯が下賜されていることを私は初めて知ったが、日本国内でどれだけの人が知っているのでしょう。
天皇皇后には、そろそろスポーツ振興より、日本を地道に支える産業の振興を奨励して頂きたい、と思う。
国の主要産業が観光では、日本に誇りを持てない。私は、ですが。
半分以上 病気の方の杯ですね
直近で2つ確信犯と思われることがありました
1つは 小泉進次郎の出馬表明 が6日だったということです
台風の影響で表明にを伸ばし 6日にするとは聞いていました
朝からずっと 僕は日本を変えると日本の未来を変えると拳を上げている姿をテレビで見させられました
悠仁親王殿下の成年に達した お誕生日を寿ぐ という気持ちは何一つ 感じられませんでした
わざわざ この日にぶつけて発表会見をしたんだと思います
悠仁親王殿下などのことは俺は構わない 俺の方が上なんだという思い上がった気持ち が ありありでした
日本の皇室を敬わない 畏怖も持たない このような人をど うしてみんな拍手喝采 するのだろうか?
悠仁親王をつぶしにかかっているのだろうかとすら思えます
奥さんは 滝川クリステルさんですね この方は止めないのでしょうか 普通の奥さんだったら あなた その日は親王殿下の誕生日だからね 自分が目立つことはやめたほうがいいんじゃないと言いますよね
でもそんなことは考慮しなくていいのよ とむしろその日にやればいいのよ とでも言ったのでしょうか クリステルさんのWikipedia を見ると自分の結婚後の姓は公表しないとあります 進次郎も 選択的夫婦別姓に賛成しておりますね 総裁になったら 国会で審議させ 党束はかけないと 発表しました
クリスタルさんの影響が大だと思います
姓を変えたか変えないか 発表しない奥さんの考えを自分の政治信条に入れるんですから 悠仁親王殿下に対する不遜な行いも 滝川クリステルさんと一緒に考えているとしか思えません
さて クリステルさんといえば お も い や り です あの時 オリンピックの招致には久子さんと一緒に行きましたよね
おもいやり つながりと
フランス 繋がりでクリステルさんと久子さんは近しいと私は思います
そしてもう一つの確信犯は 久子さんの東京富士美術館 訪問です 東京富士美術館は 池¥大作が創立し 今の 創価学会会長が名誉館長を務めています そして 創価大学の隣の建物です どうして皇室が創価学会の美術館を訪問するんでしょうか ?
そして 創価学会はただの宗教団体ではありません 政治団体 公明党と一体化しています
多くの議員を抱えています このような政治団体の本店のようなものにどうして皇族が訪問するのでしょうか?
久子さんは私のやることは正しいのよ
他の皆さんにはできないかもしれないけど私にはできるのよ という
独善的な自己主張が強い方です
秋篠宮殿下立皇嗣の祝宴にただ一人欠席されました
正倉院宝物展 に行かなければならないという理由で欠席されました
その欠席を世間の人たちは真子さん
の結婚に異議を唱えて欠席したんだと 拍手喝采でした
考えてみてください
一般の会社で社長が引退し 副社長が社長になり 専務が副社長になるその副社長 の就任祝いの席に欠席する 平の取締役がいるとしたら その 平の 取締役は 本来 会社にいられなくなります
でも自分は私がいなければ困るだろうと 私の好きなようにするからというのが ありありです
でも本当にその取締役 は 副社長が就任することが自分の信条に反するのでしたら その会社を自分が退職するべきです
私はその当時 この人は 何様なんだろう?と びっくりしたものです
この人は自分が生まれてから自分の努力 で今の地位を得たわけではないです お嫁に来たから 皇族という地位が得られてるわけです 何か勘違いしてるのではないでしょうか?
皇嗣殿下の立皇嗣の礼の祝宴を 欠席する程の 秋篠宮殿下に対する 反発を持っています
そして オリンピックの招致委員会に 皇族が出ることに対する様々な考えを無視して出かけていくこの方のしていることはそこのけそこのけお馬が通るという確信犯のやることです
なぜ創価学会の美術館に行くのですか 創価学会員は鳥居をくぐりません 明治神宮にも 伊勢神宮にも参拝しない人たちです 何で なぜ富士美術館に行ったのか?
宮内庁は 承知しているのか?
聞いてみたいと思います
そしてこの久子さんとクリスタルさんが繋がっているとしたら 進次郎は悠仁親王殿下の誕生日に自分の出馬表明をぶつけてくのは最もだと思います
変な者達に 侵略されている不気味さを 感じます
でも この思い上がった者達の 思い通りには ならないでしょう
なんと言っても あの時点で 悠仁親王殿下が 誕生された事が皇祖神の思し召しですから
どうぞ 進次郎が 総裁になろうとも 皇祖神様 悠仁親王殿下を お守りくださいますようお願申し上げます
おもいやりではなく
お も て な し
でした