『週刊文春』10月4日号より抜粋
会見には宮内庁公務医務主管永井良三自治医科大学長と眞子さまの診断にあたった精神科医の秋山剛NTT東日本関東病院品質保証室長が同席。秋山氏は眞子さまが婚約延期となった2018~19年頃から「人間としての尊厳が踏みにじられている」と感じられ、「人生が壊されるという恐怖感が持続している」状況だと述べた。
「会見に臨んだ加地隆治皇嗣職大夫は、眞子さまが『複雑性PTSD』と診断されたと述べたのです。眞子さまは
中学生のころから誹謗中傷と感じられる情報を目になさり、それが精神的負担になっていたとも明かしました。大夫としての受け止めを訊かれて、加地氏が涙で声を詰まらせる場面もありました。」(宮内庁担当記者)
眞子さまは中学生のころから精神的な不安定さを抱えておられ、18~19年頃から悪化したということでしょうか。
加地大夫が「誹謗中傷を目にされ」と言わずに「誹謗中傷と感じられる情報を目にされ」と言っているところが、案外ポイントかもしれません。
会見の配付資料では自信の経歴として<世界精神保健連盟 次期理事長>と自己紹介した秋山氏。「在日外国人のメンタル相談やうつ病患者の復職支援に熱心に取り組んできた」(医療ジャーナリス)人物だという。「宮内庁には医療主管を筆頭に皇族の方々の体調管理にあたる医師がいる。御代代わりで皇嗣となられた秋篠宮御一家には、新たに『皇嗣職侍医』のポジションが設けられました。ですが、それらのいずれにも秋山氏の名はありません。」
*『これならできる 中小企業のメンタルヘルス・ガイドブック』(金剛出版)2018年刊行、秋山 剛 (編集), 大野 裕 (編集)
『うつ病の集団行動認知療法』(医学映像教育センター)2008年監修 秋山 剛 (NTT東日本関東病院 精神神経科)大野 裕 (大野研究所 所長)
*大野氏は2004年皇太子(当時)の「人格否定」発言の後に雅子さまの診療にあたり、主治医となる。
毎年の雅子様誕生日会見に公表される『医師団見解』は大野氏が書いているとされている。
ーーー秋山先生を眞子さまに紹介されたのですか?「いや、私は全く。(秋山氏は)東京大学を出られたかたなので、その関係ではないでしょうか。宮内庁の医師職は基本的に東大の方。(慶大出身の)私が主治医になったときは、驚かれたくらいですからね。」
「紹介したのは私では無い。」と言っても、精神科でも同じ分野のかたですから、親しくなくても全く交流がなかったとも考えられず。雅子さま、愛子さまの状況はすなわち眞子さまの「環境」ですから、求められたら診断情報くらいは秋山氏に提供したでしょう。秋山氏のほうも皇族の主治医として先輩の大野氏に、今後の治療方針や対応について参考意見も聞いたでしょう。
秋山医師は今年の1月から眞子さまの治療にあたっているというが、眞子さまは精神科医を呼ばねばならぬほど情緒不安定だったのか?
宮内庁関係者「眞子さまの内面を加地氏が勝手に話せるはずがなく、眞子さまがこうした説明を望まれたと考えるのが自然です。常に物事の筋道を通す眞子さまらしく、結婚や一時金辞退に至るロジックをしっかり立てておられると感じました。」宮家の長女、そして次代の天皇の姉という運命を背負った”苦悩”と、そんな中でも意思を貫き通す”強情”を胸に秘め、眞子さまは29年間を過ごして来られた。
意思を通す強情さ、とは、「言い出したら聞かない」と嘆かれる「あれ」ですかね。
屁理屈もロジックですものね。
眞子さまは「私がこうなったのは、〇〇のせいだ。」というストーリーを頭の中に構築されていて、誰もそれを打ち破ることができない状態なのか。
妄想系のかたと付き合うには「その人にとっては、それが真実なのです。」と思って付き合うしかない。妄想に付き合いきれなくて辛くなったら「あなたはそう思うのですね。でも、私はそうは思いません。」とひたすら心の中で呟くしか手立てはないようです。
「結婚したい。」と頑張る眞子さまに周囲がお手上げだったというのも、あながち無責任ばかりでもないかもしれない。
精神病とは言えないが、精神面で問題を抱えているらしい眞子さまへの対応が適切では無かったとも考えられる。
結婚の公式発表という本来お目出度い場であるはずの場で、何故複雑性PTSDを持ち出さなくてはいけなかったのか。
いくら眞子さまの御意志とはいえ不可解である。
3週間もすれば結婚してアメリカへ行ってしまう。その間小室への批判記事が出たとしても、今更どうということもないだろうに、と思うのは素人考えだろうか。パラグアイの勲章を受けられる動画を見る限り、内親王は明るく楽しげでさえある。
なんだか、よく解らない。
今週号の『週刊文春』は、文春砲といわれた迫力が無く、正直何が言いたいのかよく解らない。
唯一、スッキリと解るのは小室の経歴に存在しない賞が賞歴として載っている、くらいである。
眞子さまに変化が生じたのは、中学生のころ、悠仁殿下誕生後だというが、これもまたよくわからない。
<つづく>