憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

男系男子の希望の星。悠仁殿下 表彰式。

2021-03-21 13:31:11 | 皇位継承
私の心に残る一枚の写真。

平成21年(2009年)9月14日

放映された動画は初の男孫を乗せて舟を漕ぐ上皇(当時天皇)の誇らしく喜びに溢れた表情を捉えていました。
下船時、上皇が悠仁さまを宝物のように大切にしておられること、どんなに愛しく思っていられるかが伝わるシーンもありましたね。
この時の紀子妃殿下の輝くような笑顔が素敵でした。

ただ、気になることもありました。天皇(当時)悠仁殿下、紀子妃殿下の間には一つの和があるのですが、上皇后(当時皇后)はどこかその和から離れていらっしゃるような感じがあったのです。
あまり嬉しくなさそうな皇后(当時)を見て「どうして一枚隔てたような複雑な表情をされるの?いっそこの方が居ないほうが、この団居が盛り上がったのでは?」と思った記憶があります。

この写真のまま、お祖父様は悠仁殿下に将来の天皇として教えを授け、悠仁殿下は皇室中から大切に大切にされて育って行かれるのでしょう。と私は皇室の繁栄を疑っていなかったのですが・・・。どこでどうなったのか。

さて悠仁殿下も中学2年生。動画の悠仁殿下にはまだまだ幼さが残っていますが、うっすらと髭が。これからが正念場です。
悠仁さま、作文が佳作に 表彰式にご参加

3月20日 TBSニュース
 秋篠宮家の長男・悠仁さまの作文が、北九州市主催の「子どもノンフィクション文学賞」の第2位にあたる佳作に入選しました。  

 文学賞の表彰式が20日午後、北九州市でオンラインで行われ、悠仁さまも出席されました。佳作に入選した悠仁さまの作文は、「小笠原諸島を訪ねて」という旅行記です。 

 「このような素晴らしい賞をいただき大変嬉しく思います。小学5年生の夏休みに小笠原諸島をたずねました。父島や母島で暮らす人々の交流を通して得た経験は、4年経った今でも心の中に鮮明に残っています」

  悠仁さまはこのように述べ、最後にほかの受賞者とともに、オンラインで記念撮影にのぞまれました。(20日17:58)

上品さをたたえた受け答えはさすがです。
このくらいの短い御言葉なら暗記していただきたかったですが、初めてですから良しとしましょう。

こちらで悠仁殿下の作品が読めます。
北九州文学館→ お知らせ →第12回子どもノンフィクション文学賞作品集
うーん。やはり佳作は佳作です。(^_^)
代筆ではなく間違い無く殿下御自身の作でしょう。真面目に取り組まれたことが解ります。
結尾「この感染症が治まったら、三年前は仕事で行けなかった父も一緒に、ぜひ小笠原諸島を再訪したいと思っています。」
には、悠仁殿下のお人柄を感じます。暖かく優しいお人柄を。


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2 コメント

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Unknown (warata)
2021-03-21 16:28:52
こんにちは!
悠仁様、立派ですね。こういう報道は嬉しくなります。
嘘のない、ありのままの姿にホッとさせられます。
上皇后様には悠仁様がお生まれになった当時から違和感がありました。系統は当時の皇太子の家系に繋げたいとおっしゃってましたよね。それに上皇様も同意していたというか、引きずられていましたよね。なぜでしょうね、どうして悠仁様を大事にしないのでしょうね。交通事故に遭っても、首に傷があっても、学校に不審者が侵入しても警備を付けず知らんぷりなんですから。
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Unknown (如意)
2021-03-21 19:30:44
warataさん
悠仁殿下は皇室に残された唯一の希望です。
健やかに成長されているのは嬉しいですね。

何故このかたを大切にしないのか、と歯痒いです。
和船のころは、確かに上皇はこの方の将来に天皇を見ていたはずです。
この後すぐに、上皇のそのような姿が見られなくなりました。
今から思えば悠仁殿下が生まれる前に「愛子天皇」は確定していたのでしょう。
悠仁殿下の誕生によって、上皇は「愛子天皇」は白紙になり悠仁殿下が天皇になると思われたのでしょうが、「愛子天皇」を押す勢力はあきらめていなかった。上皇后が「愛子天皇」勢力の一員なので、上皇も押し切られたというところでしょうか。
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