
美智子さまの存在感はいまも大きい(2018年12月、東京・千代田区。時事通信フォト)
>美智子さまの存在感は大きい・・・。
どこでその存在感を示していらっしゃるのか。
秋篠宮殿下の失言を利用して、これまでの出来事を上皇后仕様に組み立て直してみせた『女性セブン』
読んでいると世界がくるりと裏返しにされて行くような薄気味悪さをかんじる。
秋篠宮皇嗣殿下の記者会見
令和3年11月25日(木)
令和3年11月25日(木)
該当部分をあらためて掲載。
それでは最初に,私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。いろいろあったと思いますけれども,私が感じるのは,主に二つです。その一つは,今回の長女の結婚が公になって以降,様々な媒体で,私たちの家,秋篠宮家以外の皇室にも影響が出たということを感じたからです。例えばそのことによって,天皇皇后両陛下がどういうふうに感じているとか,細かいことは私も記憶しておりませんけれどもありましたし,それからもっとはっきりしているのは,この娘の結婚に対して,上皇后陛下がいろいろ言われたとか,こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。このことは宮内庁のホームページでも二度か三度にわたってそういうことはなかった,実際に私もそういうことを聞いたことは一度もないわけですが,なかったということを説明しているのですけれども,それでもその後も続いたということがあり,やはり負担になったことには間違いないと考えています。
😰 眞子さまと小室の結婚が皇室に与えた影響について、秋篠宮殿下と国民の思いが大きくすれ違った部分です。
国民に失望と落胆を与えてしまったのは、秋篠宮殿下の大失態だったと言ってもよいでしょう。
『女性セブン』は秋篠宮殿下の失敗を叩くでもなく、かと言って殿下に信頼回復のチャンスを与えるでもなく、変な利用のしかたをしています。
秋篠宮ご夫妻の「美智子さまファースト」、誕生日会見での発言にも注目集まる
2021.12.17 11:00女性セブン
<抜粋>
“将来の国母”紀子さまが抱えられる「次の天皇家」の迷走という深き悩み。その難局を乗り切るためにすがったのは、“かつての国母”美智子さまだった。美智子さまの存在感はいまだ大きいが、それに頼り切る秋篠宮家の足元は、あまりに脆く、危うい。
美智子さまにとって、2021年の年末は例年にも増してお喜びが重なった。かわいい孫の愛子さまが20才の節目を迎えられ、58才の誕生日を迎えられた雅子さまには直接お祝いのメッセージを伝えられた。12月23日には上皇陛下が米寿を迎えられる。だが、皇室の未来を支える秋篠宮家は難局に直面している。
😨 記者は秋篠宮殿下が「上皇后に負担をかけてしまった。」と言った一言から、穏やかな老後を過ごす上皇后、自立し子育て上手な兄夫婦。反抗的な子供に悩んで上皇后に依存する弟夫婦。という前提を導き出し、その前提をもとに、過去の出来事を再構築して行くのだが、その前提、事実に即しているのでしょうか!?
とても事実に即しているとは見えません。
(秋篠宮家は)まさに“空中分解”と言っていい状態だが、それでも現行の皇室典範では、皇統は現在の天皇家から秋篠宮家へと継がれていく。「次世代の天皇家が分裂状態というのは、前代未聞の危機的状況といえます。それでもなんとか保てているのは、美智子さまの存在あってこそです。それを充分にわかっているから秋篠宮ご夫妻はますます美智子さまに頼られるようになっているように見えます」(宮内庁関係者)
😨 秋篠宮殿下悠仁殿下は天皇になる器ではないと言いたいのでしょうか。
老母に対する子としての気遣いを本当に上手に利用しますね。
美智子さまと秋篠宮家の関係は、これまでも良好だった。
😨 確かに、秋篠宮殿下と紀子さまが結婚され、眞子さま佳子さまがお小さいころは、記事が書き連ねるように美智子さまと紀子さまの関係は蜜月ともいうべき良好な関係でした。
それが有るときから何があったのかは解らないが美智子さまの態度が何となく変わった。私の薄れ行く記憶では、皇太子の人格否定発言あたりでは無かったか。
紀子さまが悠仁さまを御懐妊されたころには、もうハッキリと全国のオバサン達は美智子さまの紀子さまに対する冷たさを感じ取っていました。
一方、1993年に当時皇太子だった天皇陛下が雅子さまと結婚され、2001年に愛子さまが誕生された。だが、「長男夫婦」と「次男夫婦」では、美智子さまとの距離の差は歴然としていた。「秋篠宮家のお子さま方とは頻繁にお会いでしたが、雅子さまや愛子さまと触れ合われる機会は極端に少なく、“嫁姑問題”が囁かれたほどでした」(前出・皇室ジャーナリスト)
😨 違いますね。上皇(当時天皇)と美智子さまは、愛子さまに会いたくてたまらないのに、雅子さまが会わせようとしなかった。ついに上皇は誕生日会見で「愛子になかなか会えない。」と嘆いていらっしゃいましたね。
上皇も美智子さまも、自分達を拒否している雅子さまに、気を使ってずいぶん折れていらっしゃいました。それまで嫁である紀子さまには決して見せたことの無い態度に「天皇皇后に気を使わせても自分の意思を通す雅子さまって何様?」と、私は雅子さまに対して不快感を持ちました。
そんななか、2006年に41年ぶりの男性皇族である悠仁さまが誕生された。「ますます距離感は縮まり、紀子さまが“皇室の子育て”について美智子さまに教えを請うこともあったといいます。ですがいまになって思えば、美智子さまは危機感も抱かれていたのではないでしょうか。次男の秋篠宮さまは奔放な一面をお持ちでした。皇室の前例を踏襲することに疑問を持たれることも多かった。そんな秋篠宮さまが“次の天皇”を育てられることを気にかけていらっしゃったようにも思うのです」(前出・皇室ジャーナリスト)
😨 何の何の、美智子さまは悠仁殿下のことはほったらかしでした。

😐 上皇は、和船に悠仁さまを乗せて自ら櫓を漕がれた、これ以降、パッタリと悠仁さまとの交流が窺える映像が出なくなりました。
紀子さまの屈託のない笑顔もこれが最後だったような?以後仮面のようなと笑顔と揶揄される笑顔が増えて行きます。
記事が書くように美智子さまが悠仁さまに将来の天皇としての気遣いをされていたら、紀子さまもこの写真のような笑顔をずっと見せてくださっていたかもしれません。
悠仁さまが「将来の天皇」として周囲から扱われたのは、この和船が最後ではなかったか。悠仁さまは「将来の天皇」として大切にされないままに今日に至っていらっしゃる。紀子さまはその状況にどんなにお悩みか。少々性格がキツくなられても仕方がないでしょうね。
*美智子さまの「片方の靴」の件でのコメントはしないでくださいね。書いていただいても承認しません。
「上皇后となられてからも、やはり美智子さまの存在感は大きい。おでましの機会が少なくなったとしても、折に触れて皇室のお写真などが公開されるたび、美智子さまのお姿への注目は集まります」(前出・宮内庁関係者)
😨 これは、美智子さまに読んで頂くための記事ですね。
美智子さまが読まれたら、お喜びなるでしょう。
残念ながら、あんなに国民の人気を一身に集めた美智子様も現役でなくなった途端、人々から忘れられてしまうことに驚いています。
何故、こんなにも急速に美智子さまが忘れられてしまうのか。
・報道が作り上げた人気で、本当はそれほど好かれていなかった。
・退位まで足かけ2年「最後の〇〇」で出歩き過ぎた。(私は「最後の〇〇」報道に満腹すぎて酸っぱいゲップがでるような思いをいたしました。)
「宮内庁には抗議の電話が鳴り止まず、“秋篠宮家はなぜ早く問題を解決しないのか”と職員はますます秋篠宮ご夫妻から心が離れていました。しかし、特にベテランの職員は、平成の30年間にわたって皇室を支え続けた美智子さまへの敬愛が深い。“美智子さまがおっしゃるなら”とご夫妻や眞子さんを献身的に支えた職員も多いのです」(前出・宮内庁関係者)
😨 美智子さまがそんなに周囲への影響力をお持ちなら、何故、眞子さまと小室の結婚を止めるために動いて下さらなかったのか。
何のことはない。美智子さまも二人の結婚に賛成だったということですね。
記事には、美智子さまが今も眞子さまを応援されているとも書かれています。
NYの小室夫妻がノンビリと暮らせるのは、秋篠宮殿下から支援が行っているからだと専らの噂ですが、この記事の書きようでは上皇后も積極的に支援していそうですね。
記事全体、「窮地に陥った秋篠宮家に優しく寄り添う上皇后」というスタンスで書かれていますが、秋篠宮家を窮地に追い込んだのには、二人の結婚を応援してきた上皇后にも責任の一端があるでしょうに。