(緑っち宮司)
ζ~( `m´)~ζ 「…おこんにちはー♪
今日は アタシの神事宗源からのコピペでーす♪」
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神祇伯伝:鎮魂之文 : 緑龍
男性 その他 O型
2002/01/08 01:03
八十日日は有れども、今日の生日の足日に○○が弱肩に太襷取り掛けて、
茂し鉾の中取り持ちて、申して白さく。天御孫尊に
沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・足玉・死返玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼の十種の天璽瑞宝を授け賜ひて、
若し痛む処あらば此の十種を使サして、一二三四五六七八九十と謂ひて、
布瑠部由良由良と布瑠部、如此之を為さば死人も反り生なむと、事依さし賜ふ神の法に随ひて、
衝宇気を為し、木綿を結ひて寿祚を祈祷り申す此の状を、諸神等平けく安けく聞食して、
○○い離遊の運魂を招きて○○身体の中府に鎮め賜へと、恐み恐みも白す。
辞別に申さく。興津鏡・辺津鏡は○○○○神の御子○○○神・妹○○○神二柱の主り賜ふ。
八握剣・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼は○○○○神の御子○○○○○神の主り賜ふ。
生玉・死反玉は○○○神の御子○○神の主り賜ふ。足玉・道反玉は○○○神の御子○○神の主り賜ふ。
故に皇神等に八代物を供へて、広く厚く祈祷致す由を聞食して受け幸ひ賜へと申す。
Re:新年初発のコラム : 緑龍@管理者
2002/01/04 19:11
> 本年お宜しくお願いします。
おめでとうございます。こちらこそ宜しくお願いいたします。
> 坎 艮 震 巽 離 坤 兌 乾を和訓にて
> ”きのえ、きのと”などと読み下すのとは
> べつに、例の”しらべてならべて いまはりさらに たねをちらさず いわいおさめて こころしずめて”
という訓がつけられたものもありますが、どのようにお考えになりますか<
へえ~ 面白い訓ですね。どこの出典ですか?
宗源道ではこんなのがあります。(一部)
坎 はさむ
艮 ものいはむ
震 かみのみのり
巽 たつとき
離 うるほふ
坤 ね
兌 くづれる
乾 みる
どうでしょうか?ただの易でなく背景によって様々に
その読み解き方や呪術化がなされるんでしょうけどねぇ。
新年初発のコラム : 緑龍@管理者
男性 その他
2002/01/02 22:14
前回の忘年オフ会にて配布しました私的な会報誌より一部抜粋して掲載します。
~白川・吉田両家に共通の秘伝祓~
『 三 種 大 祓 』 みーくさ―のーおほーはらへ
日本神道に伝来した祓詞は数多くその種があれども、この「三種大祓」は特殊な地位に存在している。
そもそも祝詞や祭詞の類は神代由来の縁起を申し述べ、祈願や咒的効験を以て、淀みなく読み挙げるものである。
言霊信仰と世に云うところの、言葉を発することで霊力を現出・発露させ、
神祇の加護を得る事を求め行うものと云い代えても良いであろう。祝詞の類は、
祭祀を斎行する上で神祇に対して奏上する形で申すものであるが、
祓詞となると、一転して神祇を前にして畏怖しつつ申し上げることに限らず、
日常に於ても神祇の加護を得ることを欲しつつ読み上げ、
神道の根幹「はらへ」「きよめ」の効験を発揮させるものである。
その中でも六月と十二月という一年の半期ごとに斎行する大祓式にて読み上げる「大祓詞」
またの名「中臣祓」こそが最も重要かつ神秘の祓詞なのである。
これは朝廷主催の式に於て中臣氏によって宣読し、その後に卜部氏によって罪穢の解除が行われていた。
そもそもが「宣読」するものであり、朝廷より臣下へ申し渡す咒言であった。神祇への奏上文ではない。
これを神祇奏上形式に成したものを「中臣祭文」と呼び、
これが後世に至り汎用へと転化したのが現今の「大祓詞」である。
以上の祓中最重要の大祓詞が行事・儀式に於ける公けの祓詞であったのに対し、
内側にて秘して行われた祓詞としてこの「三種祓」が存在しているのである。
表の神道伝を顕露教とも呼ぶが、この表の神道伝を明快に記したのが、
朝廷により編纂された「延喜式」中に記載された祝詞式掲載の各種祝詞である(中略)。
勿論ここには前述の大祓詞も含まれている。だが、裏に相当する神道伝も存在しており、
これを隠幽教とも呼ぶが、ここにての重要な祓詞中最重要なものが三種大祓であり、
当然に表の延喜式祝詞には含まれてはいなかった。
よって神祇官を始めとする各種の大切な祭儀に於ては必ずこの祓詞を行事中にて行っていた。
これが神祇伝の宗家である伯王家や吉田家に家伝として継承保存されつつ天皇御拝での御相伝として
歴代の神拝御教授として行われ続けてきた。
が、王政復古後の明治に至り神祇官の消滅、そして明治官僚の神道政策の無知により、
全国神社の画一的かつ事務的な祭祀祭式の変更と、
神道無宗教化方針によってその祓詞をはじめとする各神道秘伝は次第に姿を消していったのである。
延喜式をはじめとして古典所載に基づく顕露教的要素のみが現今の神社神道に残存することと成ってしまい、
公けには呈示されていなかった神道秘伝の類がこうして消滅してしまい、
祭祀の表舞台では不履行と成ってしまったことは甚だ無念であるとしか申し様が無い。
今回はその中でも三種祓という重要な祓詞について紹介し、一部解説を試みてみたいと思う。
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【祓三ヶ大事】
天津太祓
吐 普 加身 依身 多女
国津太祓
欠 権 神 孫 理 根 陀 剣
顕見蒼生太祓
天津祝戸の太詞の事を以て、
祓賜ひ清賜ふ
右以神代口决令授与神祇権大副卜部兼昭者也慎而莫怠矣
文明十五年十一月一日
神祇長上従二位卜部兼倶
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この伝は、唯一宗源の神道を中興された吉田兼倶大人が
文明十五年(後土御門帝、西暦一四八三年)に、当時の神祇権大副・卜部兼昭に対して、
三種太祓を神代口决として伝授したものである。内容を見ても分る通り、
三種の神咒により構成されているものである。
一を「天津祓=アマツハラヘ」、二を「国津祓=クニツハラヘ」、
三を「蒼生祓=アホヒトクサのハラヘ」と各呼ばれている。
つまり天地人の三才に対応した神咒が合せられて三種祓となすものである。(中略)さて、各神咒の内容について見てみる。
その初めは「天津祓」である。
吐 普 加 身 依 身 多 女
これを訓じて「トホカミエミタメ」と読む。
この表記については漢字を当てているものが各伝により様々に変化するのであるがここでは省略をする。
いづれにせよ読みは同様である。
神道の宗源と呼ばれ最重要視されるものの筆頭に太占(フトマニ)がある。
これは鹿や亀を用いて卜事を行い、天神地祇の思召しを神卜として請い願うものであるが(中略)、
その斎事にて神意を判断する亀裂に刻み込む象徴図形をマチガタと呼び、
そこに附された各部名称こそがこのトホカミエミタメの神咒そのものである。
各音で別ければ八方となり、転じて五語となる。またこれの要素を加味して称えて「五大神咒」とも呼ぶ。
そもそもが高天原に由来する神咒であり、伊奘諾尊伊奘冉尊の天神に太占あそばされた故事に始まり、
現今でも連綿と斎行される天皇一世一代の大祭・大嘗祭をはじめ国家の命運に関わる卜事にては必ず行われるものである(中略)。
延喜式祝詞などの顕露教には記載のない神咒でありながらも、
亀卜等の秘祭では式次第に記載なくとも繰り返し連唱される。
一見は意味不明なる言葉にしか思われないであろうが、正当に神代より伝来せる神咒であり、高天原直流の神咒である。
次に「国津祓」について概略を見てみる。
坎 艮 震 巽 離 坤 兌 乾
読みを「カンゴンシンソンリコンダケン」と発するのだが、表記の仕方には様々ある。
寒言神尊利根陀見などといったものが一般的に流布している。これは天神由来の天津祓とは対照的に、
地祇由来の祓語である。地祇・国津神に由来するとは云え、一見して判る通り八卦に依るものでなのである。
周易文王による後天の八卦に基づくものであり、
この中には十干甲乙丙丁戊己庚辛壬癸・十二支子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥・五行木火土金水すべての玄理が内包されており、
神仙方術的要素が明確に現れている。
凡そ純神道には非ずとして排斥する輩も多いであろうが、
日本の神道には元来より支那伝来の思想が大部分を占めていることは今更ながら謂うまでもない。
古代日本の言葉や思想では無いからといって簡単に退けることは余りに浅意であろう。
事実、江戸期には吉田神祇管領家が門下の献策により三種祓より国津祓を除外して用いるよう変更したことがあった。
これは本来の伝統神道を無理解であるとしか云いようがない。
何故に古人が天津祓と国津祓を分類したかが重要なことなのである。
しかも国津神に由来する神咒として八卦文を採用しているか、
それこそが日本神道実践と真の古道探求に於いて最も肝要な提議であることは間違いない。
神道秘伝に於ける神仙的要素は奥妙であり(中略)、その混交と構成が神祇祭祀の確立に一大基盤となっているか、
それに注目されたし。
そして最後は「蒼生祓」である。先ず前文の「天津祝戸の太詞の事を以て」に続き、
祓 賜 比 、 清 賜 布
を唱える。読みは「ハラヘタマヒ、キヨメテタマフ」である。これは神道祓詞中で最も有名な言葉でもあるが、
俗なる書物で云うように「祓へ給ひ清め給ふ」とは相異がある。
真伝では「清め て 給ふ」であり、以前はこの違いこそが伝の有無を表すといっても良く、
単に文書を書写閲覧しただけの俄か知識で語るものの真贋を見極めるのに有効であった。
表記上では単なる漢字の羅列のみであり、訓読は口伝により教授されるものであった故に、
伝の流出を予防する上でもこうした秘匿性は大変に重要なものであったのだ。
さて、この神咒は別名を「善言美辞」または「善言美詞」とも呼ぶ。
青人草=人間の祓として、唱えてみても一見は意味不明である天津祓・国津祓とは全く異なり、
純正の日本古語にて唱えるものである。この単純な言葉にこそ神道の精神がよく発露されている。
古伝にも「凡そ是の祓は、諸祓の要語、神道の枢要なり。」とも述べられ、
ハラヘ・キヨメこそが神道の元本である旨が説かれてきた(中略)。
よって人語によって簡便かつ要旨なる祓詞を用いる。
以上までを概略見てきたが、この三種祓は神道の隠幽教にあたる教伝をよく顕わしており、
高天原の天津祓・八卦神仙原理の国津祓・人語要旨の蒼生祓という三種が天地人三才の玄妙を構成しつつ、
よく神道秘伝の性質が明らかになるものである。
紙面の関係上またの機会に詳述したく思う。