インドのヒンズー教の人々が、死んだらその灰をガンジス河に流して欲しいと願う事は、よく知られていることでしょう。
そこで、ガンジス河の川岸には、死者の焼き場がいたるところにあります。
ガンジス河といっても、支流がたくさんあるので、細かく言えばガンジス河ではないところもありましたが、ここではガンジス河としておきます。
一般に日本人の感覚としては、布で包んでいるとはいえ、公衆の面前で(といっても、みんなはこの風景に慣れているので、ジロジロみてはいません) 火をつけて焼くというのは、どうも違和感があることは否めません。

しかし、日本人観光客の私たち一行は、やはりこうしたヒンズー教の人たちの死者を送るしきたりには興味があります。やっぱり、有以も焼き場に行きました。
というか、日常的にそこかしこで、死者を火葬にしているのです。
まず、川岸で煙が立っていたり、木材がたくさん積んであったりすると、そこは火葬場です。もちろん、川岸で火葬にするのではなく、公共の石油とかで焼く火葬場もありました。
でも、死者の灰をガンジス河に流すことは変わりはありません。それも、いろんな儀式をともなっています。
みんな、死んだ人が、又生まれ変わるときに、「良い生まれ変わり」をしてくれるように祈っているのだと思います。

船に乗って、ガンジス河の中ほどから、岸辺のガート(沐浴場)や焼き場の煙を眺めていたとき、突然、有以の記憶の中にあった半世紀も前の、田舎の焼き場の煙が蘇ってきました


吃驚しました
有以の子供の頃、田舎の村と村の中間地点に、小さな焼き場があったのです。
通学途中に、煙が上がっていると、子供心に 「ああ、誰か死んだんだ
」と、思いました。その日の風向きによっては、死体を焼く臭いが流れてくるのです。
あまりに唐突な記憶の蘇りに、本当にびっくりしましたね
そしたら、微かに昔の焼き場の臭いがガンジスの上を漂っているのに気がつきました。
本当は、この臭いが有以の記憶を呼び覚ましたのかもしれません。