上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 17

2013-02-23 09:46:13 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 2

 その謎の男は記者団を背にショボくれた老人たちの前に仁王立ちし、全員をジロッと眺め回し、怒鳴ったのだ。 「俺は後ろでお前らの話を聞いていたが、嘘ばかり並べやがって。」そして身体を斜めにして記者団に向かって宣言した。

 「こいつらが言ったことは全て嘘だ。」 記者団は一瞬シンとなり、次にザワメキが始まった。

 原稿を読み終わったばかりの白髪の男はチラッとその謎の男に目をやり、またいつもの目線を三十度ほど伏せた。 他の横に一列に並んでいた老人たちは「何が起きたんだ」とその謎の男を見て、口をパクパクさせ、何か言いたそうにするが、その男と目を合わせると、目を逸らしてしまう。

 男は身体を少し横にして、記者団に言った。 「俺の名はウエハラ・ショウネンと言う。」 おっと、謎の男とはウエハラ・ショウネン、ン? 上原正稔、つまりボクのことじゃないか。 失礼したかな。

 三人称で話を進めると、こういうことになる。 読者はここからは時間を巻き戻して、一人称で話を始めよう。

 昨年暮れ12月14日、沖縄タイムスの社会面は大々的に「1フィートの会三十年の活動に幕」、「1フィート運動の会とゆかりのある人たちは功績を評価、活動終了を惜しむとともに、沖縄戦を語り継ぐ決意を語った。」とか「集団自決(強制集団死)などまだ発掘されない資料があるはずだ」とか伝えた。

 同じ日、琉球新報は「1フィート運動の会は来年三月十五日で活動を終了することを発表。」 福地代表は「1フィート運動は誰がつくったわけでもない。学校の子供たちの100円カンパで自然発生的に始まった運動だった、と語った。」と報道した。

 翌12月15日、琉球新報福地の写真入りでインタビュー記事を載せ、ここでも福地は「自然発生的に子供たちの100円カンパで始まった運動」と強調し、「国や県の補助も断った。最初はカマス(麻袋)に集めたお金を数えるのがとても大変だった」と苦労話を語っている。 これはホントだろうか

 


沖縄をダメにした百人 16

2013-02-22 09:17:43 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 1

 さあ、これから「恐るべき」と言うべきか、「信じられぬ」というべきか、「情けない」と言うべきか、「醜い」と言うべきか、「ドラマチック」と言うべきか、「マンガチック」と言うべきか、「喜劇的」と言うべきか、「悲劇的」と言うべきか、この沖縄で起きたホントのことを話そう

 ──2012年12月27日、つまり昨年の暮れのことだ。

沖縄県庁に朝日読売毎日琉球新報沖縄タイムス、NHKをはじめとするテレビ局など二十数人の記者団が詰めかけていた。 その向かいには紳士ヅラと言うかマジメ腐った顔の老人たち10人ほどが座り、午後2時会見が始まった。

 中央のショボくれた老人が目線を三十度ほど下に向け、用意していた原稿をボソボソ読み始めた。 この老人は他人(ひと)と話す時は決して相手の目を見ない、何か隠し事をしているように話す癖がある。

 実際、隠し事があるのだ。20分近くも原稿を読み続け、記者たちもアクビを噛み殺しながら、黙って聞いている。

 そこへ、記者団の正面に向かって、つまり老人たちの背後から一人の奇妙な風采の男が姿を現わした。 頭はツルツル天で顔は白いヒゲで覆われ、首には白いマフラーを巻き、半ズボンをはいている。 肩には黒いカバンというスタイルだ。 時代を先取りしているのか、時代に遅れているのか、その区別もつかない。 眼光は鋭いのか、優しいのかわからない。 その眼は悟り切ったようにも見えるし、怒り狂っているようにも見える。 年齢も百歳にも見えるし、五十代にも見える。 ヒゲがつけヒゲなら、子供っぽくも見える。

 向き合っている記者団は「変なヤツが入ってきたな」とチラとその男を見て、目を原稿を読み続けているショボくれ老人に戻すが、その後ろに黙って立っている男のことが気になる。 ショボくれ老人の退屈な原稿の棒読みが終わり、当たり障りのない質問が出て、当たり障りのない返答があり、記者団がこの日の話題の中心に入ろうとした時だった。 その謎の男が記者団の中央に歩み出て、黒いカバンとマフラーを外し、テーブルの上に置いた。

 その動作は役者のようにキマっていた。 だが次の瞬間、前代未聞の事態が発生したのだ。


昨日のニコニコ生放送

2013-02-21 12:54:24 | 日記

昨日は小栗さんのニコニコ生放送をご覧になった方はありがとうございます。

平日昼間の放送にかかわらず、500人以上の人が見ていたという報告にはビックリしました。

小栗さんの「ちっくと待ってつかぁさい(´Д`;)」というコミュニティにタイムシフトが残っています。

URLは

http://com.nicovideo.jp/community/co461393

です。

ニコニコ生放送の有料会員の方は見ることができると思いますので、

見逃した方は見てください。タイムシフトは1週間で消えてしまいます。

 

ぼくは今、控訴のために弁護士に送付する資料をまとめている最中です。

時間の合間をみて物語を書いているので、できるだけ早くブログにアップします。

ぼくの物語はちょっとだけ待ってください。

 


沖縄をダメにした百人 15

2013-02-19 09:04:17 | 沖縄をダメにした百人

~上原正稔vs琉球新報の戦い~ 12

 1996年6月ぼくは「沖縄ショウダウン」13回シリーズを発表し、グレン・シアレス伍長が目撃した慶良間と渡嘉敷の集団自決を伝えた。 そして、長い(注)の「渡嘉敷で何が起きたのか」を3日間に渡って読者に伝えた。

 その前年、故宮城初枝さんが「梅澤裕さんは集団自決を命じていないこと、そしてその理由が援護法にある、という内容を娘の宮城晴美沖縄タイムスの文芸欄で発表し、沖縄の人々に衝撃を与えた。 それを受けて、ぼくは「渡嘉敷で何が起きたのか」を書いたのだ。 集団自決の責任を赤松嘉次さんと梅澤裕さんに負わせてきた沖縄の人々の責任は限りなく重い、と沖縄タイムスの「鉄の暴風」の名を挙げて糾弾した。

 その時、琉球新報の記者たちは「よく書いてくれたな」と喝采を送ってくれた。 ぼくを非難する者は一人もいなかったのだ。 ところが今はどうだ。 「渡嘉敷で何が起きたのか」という短い(注)を「慶良間で何が起きたのか」という4,50回の長編にして発表しようとした上原正稔というドキュメンタリー作家に琉球新報嘘八百を並べて言論弾圧を加えている。 ぼくは「鉄の暴風」の沖縄タイムスを訴えるべきなのだが、歴史の皮肉で琉球新報を訴えることになった。 そして数年前まで友人であった筈の新聞記者たちを敵に廻すことになったのだ。

 2007年、ぼくがアメリカの友人である住民数千人を救出し、沖縄戦の英雄になったグレン・スローターさんに手紙を出し、ぼくが琉球新報と揉めていることを知らせると、彼は「沖縄の新聞が君を迫害するとはね。呆れたもんだ。俺も君も長生きし過ぎたようだ」と返事をしてきた。

 ぼくが琉球新報を訴えたことは正に今の沖縄のメディアが正常に戻ること、まともになることだ、ということをぼくは知っている。

 ぼくは文化の華が開くということは、ありとあらゆる花が野山に満ちることであり、今のように「反戦平和」の仇(あだ)花だけが咲くことは正に異常事態だという確固たる信念がある。 ぼくの歴史的な役割はとてつもなく大きい


沖縄をダメにした百人 14

2013-02-18 09:12:39 | 沖縄をダメにした百人

~上原正稔vs琉球新報の戦い~ 11-3

前回の続き

琉球新報 1996年6月11日朝刊 「沖縄戦ショウダウン」から (注)渡嘉敷で何が起きたのか 3


 ここまで長い(注)の「渡嘉敷島で何が起きたのか」を読んでいただいた。その意図は「事実」の発掘なくして「真実」の発見はあり得ないということだ。防衛隊だった大城良平さんは語る。

 -私は自分の妻が自決したと聞き、中隊長になぜ自決を命じたのか、と迫った。中隊長は「全く知らない」と言った。赤松隊長は「村の指導者が“住民を殺すので、機関銃を借してくれ”と頼んできたが断った」と話してくれた。赤松隊長は少ない食料の半分を住民に分けてくれたのです。立派な方です。村の人で赤松さんのことを悪く言う者はいないでしょう-

 比嘉喜順さんは語る。

 -赤松嘉次さんは人間の鑑(かがみ)です。渡嘉敷の住民のために一人で泥をかぶり、一切、弁明することなくこの世を去ったのです。私は本当に気の毒だと思います。家族のためにも本当のことを世間にお知らせください-

 国の援護法が「住民の自決者」に適用されるためには「軍の自決命令」が不可欠であり、自分の身の証(あかし)を立てることは渡嘉敷村民に迷惑をかけることになることを赤松さんは知っていた。だからこそ一切の釈明をせず、赤松嘉次さんは世を去ったのである。一人の人間をスケープゴート(犠牲)にして「集団自決」の責任をその人間に負わせてきた沖縄の人々の責任は限りなく重い。筆者も長い間、「赤松は赤鬼だ」との先入観を拭(ぬぐ)い去ることができなかったが、現地調査をして初めて人間の真実を知ることができた。今、筆者は読者と共に、一つ脱皮して一つ大人になった気がする。だが、真実を知るのがあまりにも遅すぎた。赤松さんは帰らぬ人となってしまった。

 渡嘉敷の戦争の物語は今、ほんの一ページが開かれただけである。次のページに何が隠されているのかだれも知らない。さて、長い(注)を終えてグレン・シアレスさんの語る本編に戻ろう。


 これでお判りだろう。 琉球新報が恐れるのは、グレン・シアレスさんの「沖縄戦ショウダウン」ではない、この中の長い(注)の「渡嘉敷で何が起きたのか」だったのだ。 これを発展させ、赤松さんと梅澤さんの汚名を完璧に晴らそうとしたのが「慶良間で何が起きたのか」だった。 しかし、井上裁判長は「その余点については判断するまでもない」(<沖縄をダメにした百人 3>を参照)として、これを全く読んでいないのだ。 ぼくが「沖縄戦ショウダウン」を引用したのは、慶良間と渡嘉敷で住民の集団自殺(Mass suicide)を目撃したアメリカ兵の詳細な記述を読者に伝えたかったからであり、2007年6月18日(月)、それを阻もうとしたのが琉球新報前泊博盛上間了枝川健治、現編集長の玻名城泰山の四人組だった、ということだ。

 


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