~1フィート運動騒動記~ 2
その謎の男は記者団を背にショボくれた老人たちの前に仁王立ちし、全員をジロッと眺め回し、怒鳴ったのだ。 「俺は後ろでお前らの話を聞いていたが、嘘ばかり並べやがって。」そして身体を斜めにして記者団に向かって宣言した。
「こいつらが言ったことは全て嘘だ。」 記者団は一瞬シンとなり、次にザワメキが始まった。
原稿を読み終わったばかりの白髪の男はチラッとその謎の男に目をやり、またいつもの目線を三十度ほど伏せた。 他の横に一列に並んでいた老人たちは「何が起きたんだ」とその謎の男を見て、口をパクパクさせ、何か言いたそうにするが、その男と目を合わせると、目を逸らしてしまう。
男は身体を少し横にして、記者団に言った。 「俺の名はウエハラ・ショウネンと言う。」 おっと、謎の男とはウエハラ・ショウネン、ン? 上原正稔、つまりボクのことじゃないか。 失礼したかな。
三人称で話を進めると、こういうことになる。 読者はここからは時間を巻き戻して、一人称で話を始めよう。
昨年暮れ12月14日、沖縄タイムスの社会面は大々的に「1フィートの会三十年の活動に幕」、「1フィート運動の会とゆかりのある人たちは功績を評価、活動終了を惜しむとともに、沖縄戦を語り継ぐ決意を語った。」とか「集団自決(強制集団死)などまだ発掘されない資料があるはずだ」とか伝えた。
同じ日、琉球新報は「1フィート運動の会は来年三月十五日で活動を終了することを発表。」 福地代表は「1フィート運動は誰がつくったわけでもない。学校の子供たちの100円カンパで自然発生的に始まった運動だった、と語った。」と報道した。
翌12月15日、琉球新報は福地の写真入りでインタビュー記事を載せ、ここでも福地は「自然発生的に子供たちの100円カンパで始まった運動」と強調し、「国や県の補助も断った。最初はカマス(麻袋)に集めたお金を数えるのがとても大変だった」と苦労話を語っている。 これはホントだろうか。