今でもおれのまぶたの裏に焼き付いて離れないのは、あの若い母親の顔だ。 自分の腕の中で死んでいる子供を見つめる母親の目。 何てことだ。 殺すことなんてなかったんだ。
民政班から、鉄条網で囲われた収容所を用意したので住民を村に連れ戻せ、との命令が下った。
おれは90歳くらいのとても小柄な老女の襟(えり)首を掴(つか)んで、山道を下った。 その老女はひざまで届くジャケット(ちゃんちゃんこ)を着、黒いだぶだぶのズボン(もんぺ)をはいていた。
途中、おれたちは日本兵の死体のそばを通った。 こいつは米袋を担いでいる際に撃ち殺されたらしい。 銃弾で袋が切り裂かれ、米粒が道路に散乱していた。 老女は俺の手を振りはらって、泣き喚(わめ)きながら米粒をかき集め始めた。 死体なんて全く眼中にない。
村に着くと民政班は収容所に配給食糧のケースと飲み水の缶を積み上げ、住民のためのテント設営の最中だった。
日本軍に虐待されたフィリピン住民はなんと言うだろう。 まさに雲泥の差の待遇だ。 おれたちはもう一度山に入り、日本兵を捜すことになった。
山から見下ろすと、海岸線に野戦砲が設置され、ちょうど一マイル離れた島に砲弾を撃ち込んでいる。あの島が、明日、おれたちが上陸する渡嘉敷島だ。
-つづく
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