上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

暗闇から生還したウチナーンチュ 15

2013-04-25 09:33:15 | 暗闇から生還したウチナーンチュ

カンパのお願い 

5月30日に結審があります。 

徳永弁護士も手弁当で支援して下さっていますが、 

打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。 

カンパは支援している三善会にお願いします。 

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ゆうちょ銀行からの振込の場合 
【金融機関】 ゆうちょ銀行
【口座番号】 記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】  サンゼンカイ
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ゆうちょ銀行以外の金融機関からの振込の場合 
【金融機関】 ゆうちょ銀行
【店  名】  七〇八(読み:ナナゼロハチ)
【店  番】  708
【口座番号】 普通:1034797
【名  義】  サンゼンカイ

~轟の壕編~ 9

 首里小学校の小山先生が隈崎の所へやってきて、手榴弾をくれ、と言った。欲しいならあげてもよいが、何をするのだ、と聞くと、小山先生は「私は今まで皇軍を神兵と讃えて、予供たちを教育してきたが、今、彼らのどこに神兵の姿があるのですか。子供たちをだましたことが心苦しい。毎日、彼らの仕草を見ていると我慢ならない。手榴弾であの友軍兵を殺し、私も死にます」と体を震わせて言った。
 隈崎はハッとした。大塚軍曹らの人の道を踏み外した言動は許し難いものだったが、「友軍兵を殺す」ことまでは思いも及ぼなかった。彼はまだ日本が最後に勝つ、と信じていた。
 彼は小山先生を諭した。気持ちは分かるが、同士討ちはやめなさい。この戦争はどうしても負けるわけにはいかない。戦争に勝ってこそ神兵も現れるだろう。負ければみな敗残兵だ。手榴弾を投げつければ、君は気も済むだろうが、迷惑する者も出るだろう。一個の手榴弾ではどうにもなるまい。さらにひどいことになるだけだよ」。小山先生は涙を流しながら戻っていった。
 一方、山里和枝さんは一つの事件をはっきり覚えている。忘れようにも忘れらない悲劇だった。アメリカ軍の馬乗り攻撃が始まる直前のことだった。
 その言葉から糸満出身と分かる老女が孫を二人連れて壕内を流れる小川の川下にいた。一人の孫は七、八歳、もう一人は三、四歳だった。二人の孫は「ハーメー、サーターカミブサン(おばあちゃん、黒砂糖が食べたい)」と泣いていた。老女は手ぬぐいに黒砂糖をくるんで持っていたが、少しそれを割って、孫たちに与えたが、しばらくすると、「ナーヒンカムン(もっと食べたい)」と、また泣きだした。
 黒砂糖はこの家族だけでなく、壕に避難した多くの沖縄の人々の命をつないだ大切な食料だった。老女は黒砂糖が唯一の命綱だから、残り少なくなった今、やたらにあげるわけにはいかない、と糸満口で孫たちに言い聞かせたが、お腹の空いた子供たちに通じるわけもない。孫たちは泣き続けた。
 そこへ大塚部隊の兵士がやってきて、怒鳴った。「子供を泣かすな! 子供の泣き声でこの壕に人がいることが敵に察知されるんだ。泣くな! 今度泣いたら撃つぞ」
 二人の子供は兵士の怒声にびっくりして泣きやんだが、その兵士がいなくなると、また「サーターカムンドー」と言って泣きだした。再び兵士がやってきて、さらに大きな声で怒鳴つた。「いくら言っても分からんのか。こんど泣かせたら、撃つといったぞ。なぜ泣かせるんだ」
 老女は「この黒砂糖を食べたいと泣いているんですよ」と糸満口で答えたが、その兵士はイライラして「どの国の言葉をしゃべっているんだ。お前は日本語も話せないのか。スパイだな」と毒づいた。
 傍らにいた人が慌てて日本語に通訳してやると、兵士は「その黒砂糖を出せ」と命令した。老女は「この黒砂糖は三人の命だから、渡せない」と糸満ロで答えたが、兵士は構わず黒砂糖を取り上げた。すると、上の孫が「クレー、ワッタームンドー(これは自分たちの物だ)」と叫んで兵士に跳びかかった。
 その兵士は一瞬ひるんだが、「この野郎!」と叫ぶと、手にしていた拳銃の引き金を引いた。 「パーン」と音がし、子供は声もなく、崩れ落ちた。闇の中だったから、誰も確認できなかったが、子供が即死したことは確かだった。
 静寂が壕を支配した。老女は目の前で孫が殺されたが、抗議の声を出すことができないばかりか、声を上げて泣くこともできない。泣き声を上げれば、自分ばかりか残された孫も殺されるのだ。闇の中で老女の表情を見た者はいないが、恐怖と悲しみと怒りをこらえていたのだ。

つづく


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