>1953年「想い出のワルツ」でデビュー。「遥かなる山の呼び声」「オーマイパパ」「青いカナリア」などヒット曲を連発。
1955年、美空ひばり、江利チエミとともに「三人娘」がそろって映画「ジャンケン娘」に出演し、こちらも大ヒット。
50年代後半からは、ロカビリー系の歌もヒットさせ、59年からテレビ出演や公演で長期のアメリカツアーへ向かう。61年5月には「ライフ」誌の表紙を飾る。
70年には「涙」で第一回東京歌謡音楽祭グランプリ。
72年には「私は泣かない」で第一回東京音楽祭と第一回世界歌謡祭ともにグランプリ受賞。
以後、芸術祭大賞、芸術選奨文部大臣賞、二科展入賞、紫綬褒章(98)など数多くの賞に輝く。
2003~04年、デビュー50周年コンサートで全国ツアーを行う。
2004年「新・美空ひばり物語」に本人役で出演。
豊かな歌唱力で人々を魅了し、半世紀近く日本のショービジネス界をリードする存在。
-----------------------♪(以上、所属事務所HPより転記)
今年は久々の本編への主演「そうかもしれない」が全国でロードショウ公開されるなど、久々女優としての仕事にも本腰をいれてくれました。
そして2007年、70歳を迎える彼女は「芸能生活55周年」。
記念曲の発売、イベントと・・・ これからが楽しみな「大歌手」であります。
※昭和12年3月20日生まれ
実妹に水谷良重(現/二代目・八重子)、瀬川純子(瀬川瑛子の姉)と並んで「ロッカビリィガールズ」と称された朝比奈愛子がいる。
娘は朝比奈マリア。
※トップ画像は「函館のシト」さん撮影。9/24 秦野・たばこ祭の屋外ステージ。
この模様は・・・
UHF/テレビ神奈川 10月9日(月曜日)13:30~放映予定です。
さて、ここから掲示する文面は、「雪村いづみWikipedia」に イントロ として投稿しようかな~ なんて思った文章の下書きです。
誰か加筆しないと投稿しちゃいますよ------!!
>彼女の座右の銘は...エブリシング・ハップン・フォー・ザ・ベスト
全ては最良の為に起る という言葉だそうです。
父君の早世という不幸があり、その後母親が事業に失敗すると、かなりの生活苦を経験し、名門・駒場高校を受かっていたにも関わらず、長女として家系を支えるために進学を断念します。(始業前の「掃除」には行ったのだそうです。)
進駐軍の将校さんの家のメイドの募集で面接を受けるも、「こんな細いちいちゃな女の子は可哀想で使えない」との理由で不採用になった。
途方に暮れていた帰り道、たまたま母の知人が支配人をしている有楽町のダンスホール(新橋/フロリダ)に「クリームソーダをご馳走になりに」行ったことが、彼女の人生を大きく変えるターニングポイントとなりました。
そこで、彼女はお友達の家で覚えて歌える曲が1曲あったことを思い出します。
♪ビコーズ・オブ・ユー... 歌で食べていくことは出来ないか??
咄嗟のひらめきが彼女の人生を変えます。
ちょうどその頃、江利チエミが、進駐軍キャンプや日劇の前座の仕事から、「テネシーワルツ」でメジャーデビューを果たしていました。
スターの抜けた進駐軍では「ポスト・チエミ」が必要だったのです。
ちょうど彼女は同い年!直ぐに彼女にスポット・ライトが当たります。
そして、ひばりとチエミを落としているレコード会社ビクターは、もう今度は同じテツは踏めない状況にありました。
彼女はビクターから声がかかり、オーディションに合格します。
しかし、なかなか上層部は、雪村いづみさんにレコード・リリースのGOサインを出さない。
もう「オクラか」と思ったその時、江利チエミさんが渡米します。
ビクターとキングの「友情関係」で、江利チエミさんがレコーディングする予定だったテレサ・ブリューアの「想い出のワルツ」で見事デビューを果たします。
ここから彼女の波乱万丈のサクセスストーリーが始まるのです。
このデビュー盤発売日は、なんとお父様の命日だったそうです。
ドラマティックなスケールの大きな歌手/雪村いづみはこうして羽ばたいたのです。
(こぼれ話)
※江利チエミさんがレコーディングする予定だった「思い出のワルツ」が、チエミさんの渡米中に『想い出のワルツ』として発売されたいきさつは ここ に掲示しています。
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