この歌はスペイン映画「汚れなき悪戯」のテーマです。
この映画のこと、goo映画さんより引用します・・・
>ホセ・マリア・サンチェス・シルバの同名物語を彼自身とラディスラオ・ヴァホダが共同脚色し、ラディスラオ・ヴァホダが監督したスペイン映画。撮影はエンリケ・ゲルネル、音楽はパブロ・ソロサバルが彼の息子と共同担当。主役マルセリーノを、この作品で特に抜擢された六歳のパブリート・カルボ少年が演じる他、スペイン劇団の俳優ラファエル・リベリエス、アントニオ・ビコ、ファン・カルボなど。ホセ・ニエトとフェルナンド・レイが特別出演している。一九五五年カンヌ映画祭で作品賞と特別子役賞を獲得。
>聖マルセリーノ祭を迎えたスペインのある小さな村。楽しげに丘の上の教会へ村人達が向う頃、貧しい家で病床に伏す少女を訪れた一人の僧侶は、この日にまつわる、今は忘れられた美しい奇蹟の物語を話して聞かせる--
かつて戦争で荒れ果てたこの村が平和をとり戻し始めた頃、三人の老いた僧侶が訪れて来て丘の上の廃墟に僧院を建てたいと村長に頼んだ。やがて農夫たちの協力で僧院は建立、十年後、いつか十二人となった僧侶らは静かな生活を送っていた。ある朝、門前に幼い捨子を発見。彼等は赤児の両親が今は亡いと知ると、その日が聖マルセリーノの日であったことからマルセリーノ(パブリート・カルボ)と名付け世話を始めた。僧侶らは心をこめた愛憎を注いだが、将来を考えた僧院長は子供を引取ってくれる家庭を探した。だが結局は失敗。それは彼等が心秘かに願っていたことだった。五年の後、マルセリーノは天使のように無垢な悪戯っ子になっていた。少年は僧侶らを見たままそれぞれ仇名をつけて呼んでいたが、いつか天国にいると思われる母親のことを想う日が多くなった。ある日、野原で出逢った農家の若妻に母の姿を見た少年は、同じ年頃のマヌエルという男の子がいると知って、彼を空想の友達と考えて、一人ぼっちの遊びも楽しいものにした。祭の日、村に行った少年の僅かな悪戯は思いがけぬ混乱に発展、負傷者まで出た。村長の後を継いでいた鍛冶屋は、これを僧侶らに対する攻撃の口実とし、一ヵ月以内に僧院退去を命じた。僧侶たちは失望。何も知らぬ少年は一人、空想のマヌエルと遊ぶ中、納屋で十字架のキリスト像を発見、飢えと寒さで悩むように思われるキリストの許へパンや酒を運ぶ。ある嵐の晩、やって来た少年にキリストは好意に報いようとその願いを尋ねた。少年は天国のお母さんに会いたいと答え、古椅子に寄ったまま永遠の眠りに就いた。そのまわりには、どこからともなく光が輝く。奇蹟は村中に伝わり、葬式には鍛冶屋始め総ての村人が参加した。--
話し終った僧侶が僧院へ戻る頃、教会から村人は帰途に就き、マルセリーノの祭も暮れようとしていた。
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ルーベンスの絵の前でパトラッシュと一緒に天使に迎えられて昇天して言ったネロ・・・フランダースの犬の結末も我々日本人にとってはヘビーなものではないでしょうか??
ラテン民族、キリスト教の宗教観・・・世界観の違いです。
この映画もかなり初めて見たときにショックを受けました。
終末思想、神の国へ昇天する・・・ 私は一応クリスチャンですが、根本的な肌合いという部分で違和感があるのも事実です。
神様は時々残酷で冷徹であられる・・・ という感覚も「いわしの頭も信心」の自然崇拝/神仏混同的要素の多い私達とは、かなり開きがあります。
♪12人の天使がお前をまもる・・・
12は、この修道士の人数でもありますが、「12使途」でもあるように思います。
マルセリーノは「神の子」と。
MARCELINO PAN Y VINO |
MARCELINO |
THE MIRACLE OF MARCELINO |
原題の マルセリーノ パン と ヴィノ ... とは、パンとワインのこと。最期の晩餐でイエスが弟子にわが身、我が血をもって与えたとされる・・・あのパンとワインの意味と思います。
英題での マルセリーノの奇跡 は直訳的ですね。
汚れなき悪戯・・・ この邦題は、なかなかのものと思います。
この歌、哀愁が漂って 大好きな歌です。
フランダース マルセリーノ 禁じられた遊び 自転車泥棒... 未だに辛くてビデオとかDVDとか...
観られません。
まあ 日本には ホタルの墓 ...とかもありますけど。