江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 江利チエミさんと戦後(6)

2010年08月08日 | 江利チエミ(続編)

51年7月 テレビ東京「人に歴史あり」に出演しました。(司会:八木治朗さん)
  
オープニングはグランドピアノの前に、着物姿(黄の絣?)で佇みテネシーワルツの出だしをちょっと弾いてくれました... ゲストには進駐軍時代の盟友「フランキー堺さん」が出演されました。
(当時のフラさんのバンドのピアニストは秋吉敏子さん...チエミさんは彼女をトシコ・マリアーノさんと呼んでいました。それはチャーリー・マリアーノさん(アルト・サックス奏者)の奥様でトシコ・マリアーノさんと名乗っていた時期が彼女にあったためです。)
そこでこのような進駐軍時代のエピソードを話していました。(記憶ゆえ表現は違うかと思います。上の和装での画像はこのときのものですが、江利チエミさんの追善番組でのちに再放送で一部が流れたものでオンエアーの全編が私は持っていないのです。)

>ピアニストがトシコ・マリアーノさんだったからコードを分解しちゃうんで出だしがなんだか判んなくなっちゃうの。ほら、モダンジャズの人だから... そしたら、フランキーが チーちゃん!出だしのところでダダスダダダンって打つからそれから歌いなって助けてくれて...それとパラマツ(トランペット/松本文男さん)がチーちゃ---ん出だしの音はプ-プ-プ---って吹いてくれるの(笑) チーちゃ---ん この音この音 プープー ダダスダダダン で歌いだしたのよね----!

この当時フランキーさんがいたバンドこそ、戦後の日本のジャズを牽引していった名バンドの1つ「多忠修とゲイスターズ」です。少女はこの1流バンドをバックに進駐軍のステージで1流の感覚を磨いていったのです。

※進駐軍に出演する芸人には当時ランクがついていました。
ランクA--->ランクエ― ---> これがフランキー堺さんの フランキー の語源なのだそうです。

※秋吉敏子さんは昭和4年生まれ...満州から全財産を失って大分に引き揚げ。16歳のときに別府のダンスホールのピアニスト募集の張り紙に出会いピアニスト人生をスタートさせた人。バークレー音楽院を奨学金で卒業、外国人ミュージシャンとの結婚・離婚・そして再婚...彼女はアーティストの道を極めていった人です。
たしかに江利チエミさんとは「肌合いの違う」人です。

ゲイスターズが上記のメンバーで編成されていたということと、チエミさんがキャンプ回りをしていたこと...それを総合して推察するにおそらく「昭和25年」の事だと思います。
秋吉敏子21歳vs江利チエミ13歳...同じジャズに魅せられた2人の「対決」の場面であったと思います。
そこにフランキーさんが居て...舞台の上の「修羅場」であったともいえます。 

日本のジャズの夜明けの貴重なエピソードと思います。

 


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