江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

47) ジャンケン娘 エンターティナー・江利チエミの誕生

2005年06月16日 | 江利チエミ(初期記事・本編)

美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみで映画をつくれば大当たりするのは当たり前!
しかしそれには思いもかけない困難が待ち受けていました。

少し遅れてきたシンデレラ「雪村いづみ」に、新東宝の杉原貞雄プロデューサーからデビューの年の暮に映画主演の話が持ち込まれます。タイトルは「東京シンデレラ娘」...いづみさんも松竹の美空ひばり同様「娘十六ジャズ娘」「遥かなる山の呼び声」「乾杯!女学生」...新東宝の映画+唄という路線でアイドル路線を邁進していきます。チエミさんにも「母子鶴」などがありますが、なにせ本人が「映画・演技」に肯定的じゃない...チエミさんは「あくまで歌手」にこだわっていたのです。
雪村いづみの映画プロデューサー・杉原氏はやがて東宝の森岩雄氏に誘われて「東宝争議」の際に去った古巣「東宝」に復帰します。この前後から杉原氏は三人娘映画の構想をあたためていたようです。

しかし「大看板/美空ひばり」の専属「松竹」も当然考えは同じ!
その具体策の第一段階でひばり・チエミ・いづみを念頭に置いた中野実氏出筆の小説「ジャンケン娘」を「平凡」に売り込み29年6月から1年間にわたって連載を開始させます。その映画化権を勿論「松竹」が抑えます。
しかしそこには大きなネックが... 雪村いづみは「東宝と専属契約を結んでいて他社作品には出演できない。」(チエミはフリー。ひばりは松竹だが「なにしろ別格」なので他社に出られないことはない...)
一方、東宝の杉原は久保明、山田真二といった十代スターを配しての都会的な映画「風はなかない(仮題)」という映画の製作を決定し、ひばり・チエミと交渉に入る。

ひばり側(ママ・福島マネージャー)は、当時やや頭打ちの感があり「お祭りマンボ」「りんご追分」以来レコードセールスも不振で、映画の役どころも「時代劇」ばかりでイメージが固定されてきたひばりに「新境地開拓」をさせるいいチャンスと俄然「東宝」の企画に乗り気になります。
殺人的な当時のスケジュールも、撮影期間にあわせて8/19~9/16までの28日間を空ける事も快諾します。
この話を聞いていづみ側(木倉マネージャー)は小躍りした...と。
ひばりと共演できればいづみの前途にもスターへの道が開ける。チエミと肩を並べることができるかもしれない...と。

チエミ出演には「なんの障害もない」と思われていた。
しかし、チエミはがんとして首を縦には振らなかった...
その理由を後にチエミさんはこう「週刊朝日(30年11月13日号)」の誌上で語っています。
>あたしは映画が嫌いなんだ。顔はまずいし、芝居にもまるっきり自信がない。それに比べて、ひばりちゃんは50本、いづみちゃんは15~6本も撮ってる。あたしの経験は4本きり。それもちょいと唄う程度だろ。負けるに決まってる。絶対に嫌だと言ったんだ...

チエミNO!
しかし東宝の杉原に追い風が吹きます。
松竹の小倉武志プロデューサーはジャンケン娘を企画したもの、東宝では「「風はなかない」の準備に入っている。いづみ出演の可能性は無い...と壁に突き当たっていた。
そこへひばりの福島氏が「ジャンケン娘の権利を東宝に譲ってくれないか?」と圧力をかけます。
福島が運営する「新芸プロ」は、美空ひばりだけでなく田畑義夫・小畑実・堺駿二・山茶花究・丹下キヨ子・中村錦之助(萬屋錦之介)といったメンバーを抱える大組織になっていた。
松竹も「ひばり・福島」には逆らえない...

杉原はジャンケン娘の映画化権を手に入れ俄然張り切ります。風はなかないは中止...その監督をする予定の杉江敏男がメガフォンをとることになった。映画も「総天然色」で撮る!それまでひばりが出演していた映画は全て白黒だった...八田尚之にシナリオも依頼...
そのシナリオの第1稿を持って杉原は江利チエミのもとに乗り込みます。

前掲の「週刊朝日」から引用します。
>(記者:最後にかぶとをぬいだのは?)
国際劇場の楽屋。それまで杉原さんにはずいぶん泣かされた。あの人、熱心だね。プロデューサーはあれくらいでなきゃだめね。あたしの行く先々どこまでもついてくるんだもの。最後に監督の杉江先生と国際にやってきた。
(記者:杉原さん、なんて言った?)
あたしがこんな顔で使いもんになる?って聞いたら、「うん、面白い顔してんな。おれにまかしときい。引き受けた」というから、「よし、まかした」それだけさ。
杉原さん、ニコーっと笑ったっけ...

世紀の顔合わせ/ジャンケン娘 は、11月第一週から二週にかけて封切られました。
さきがけて10月28日、東京宝塚劇場で完成記念の有料試写会が催され当日は長蛇の列が... 試写会の盛況はそのまま興行成績に反映し、東宝は約2億の興行成績をあげます。(製作料は3千万、ギャラはひばり300万、チエミ200万、いづみ130万... 東宝の利益は莫大なものとなります。)

ひばりさんは低迷気味だった人気を回復。年齢相応の役どころ...という新境地も開拓します。
いづみさんはなにより2人の先輩と肩を並べることが出来た。
しかし、この映画で「3枚目」というそれまでのスターの演じられない「チエミならでは!」の役どころを見つけた江利チエミさんが一番の飛躍を遂げることになります。
このジャンケン娘の好演は、映画「サザエさん」との出会いにも繋がって行きます... 喜劇ができて3枚目もできるアイドル女性歌手...という「チエミの前にチエミなし」という強烈な個性をものにするのです。
この「ジャンケン娘」が歌手江利チエミが「歌手だけではとうてい納まりきれない才能」を開花させた「きっかけ」となったのだと思います。
メジャーデビューからまだ3年しか経っていない...昭和30年の事でした。

ジャンケン娘
 https://www.youtube.com/watch?v=NVfW905XZB8

昭和46年 久々の顔合わせ
 https://www.youtube.com/watch?v=WmiK6Yagq1g


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6 コメント

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ふーむ。 (よっちゃん)
2005-06-18 12:10:23
もし、最後まで「チエミ」さんが「YES」と言わなかったら どうなっていたのだろうか・・?と 思ってしまいました。当時の映画って二週間しか上映しなかったんですね。なのに そんなに興行収益を上げるとは・・。恐るべし「夢の競演」だったわけですね。



今では 考えられない 凄い「三人」だったんだなぁーと つくづく思いました。
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断りきれない人情家 (う--でぶ)
2005-06-18 12:30:55
これまでも書き込んだのですが、アンファンテリブルでもあった反面、義理・人情に厚い古いタイプでもあったチエミさんは、熱意にふれて、ジャンケン娘/サザエさん、さのさ/おてもやん、マイフェアレディ...と「思いもかけない新境地」を開拓していった...

とても興味深い芸能人生を歩んだと思うんですよね~。
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言い訳のようですが (twig)
2005-06-18 13:38:49
やはり、チエミさんは「歌手江利チエミ」にこだわっていたんですね。

でも、三人娘が予定通り松竹で撮られていたら随分けいろの変わった映画になっていたでしょうね。あの当時としたら随分おしゃれな映画でしたものね。これは東宝だからでしょうね。雪村いづみさんが大きな牛乳ビンをらっぱ飲みするシーンがありましたが、なんだかとってもおしゃれに思えて、この大きなビンの牛乳を当時探し回りましたが、いなかにはなくって。

そういえば、

「言わせていただきますが、あたしが三枚目役をかってでたんです。」と力説していたチエミさんです。亡くなる直前の関西テレビで板東さんのインタビューに答えて。

「出来てきた台本は三人がみんな同じ感じの女の子。これじゃあおもしろくないって、監督さんに私を三枚目にして下さいってお願いしたんです」「これがあたしの三枚目人生のスタートでした、アハハハハ」。

これってすごいですね。おのれを知るというより、ちゃんと映画作りを知っていたチエミさんです。
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>twig さま (う--でぶ)
2005-06-18 14:05:02
江利チエミというひとは 勘がいい ともいえますよね。

また、ただ祭り上げられる...ということを嫌い、自分の思いや考えに忠実で一本気...でもあったのでしょうね。



※おおきなガラスボトルの牛乳は私の子供のころの横浜でも本牧のキャンプの中のPXストアとか、明治屋、元町ユニオンくらいでしか売ってなかったですよ(笑)

それと...当時の我が家の冷蔵庫にはあの大きさのボトルは入らなかったような記憶があります。



あのボトルの牛乳は「豊かなアメリカの象徴」でもありましたよね。
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そんな経緯が・・・ (でぶり)
2005-06-18 14:21:45
「ジャンケン娘」の映画化権は最初、松竹の手にあったのですか。驚きです。

その経緯がとてもよくわかりました。

そんなことどこにも書いてないよーー!

すごい!

ありがとうございます。



松竹で、もし映画化されていたらどんな作品になっていたのでしょうか?

東宝は、やはりミュージカルの華やかな雰囲気を出せる日本で唯一の映画会社だと思うのです。

日劇で育てた人材とアイディアをそのまま映画に移植できるのは大きいと思います。

松竹でも1本だけなら、そこそこのミュージカルが作られるでしょう。

でも、2本、3本と華やかなミュージカル映画を連作することは無理じゃないかと思うのです。



東映のひばり10周年映画「希望の乙女」を観ました。

高倉健さんを宝田明さんに置き換えれば、まるで東宝のような雰囲気をもった作品です。

原案は加藤喜美枝とクレジットがありました。

曲目はすべてジャズ・ポップスです。

「三人娘」ではない「単独のひばり」で

本格的なミュージカルが作りたかったのだろうと思います。

しかも相手役はチエミさんの婚約者・高倉健さんです。

今の松田聖子の自己プロデュースもあっぱれですが

ひばりママのプロデュースはそれより数段上でしょうね。



参考までに時系列メモです。

1958年

5月 6日 高倉健・江利チエミ婚約発表

8月26日 東宝「サザエさんの婚約旅行」公開

9月10日 東映「希望の乙女」公開

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でぶり姐さん江 (う--でぶ)
2005-06-18 16:35:03
本家の姐さんにそんな風に言われると...照れますが嬉しいですね~。



でもホントに江利チエミさんは自分がどうのこうのと「自画自賛的な発言」を残していないし、なにしろ45才で突然早世してしまったので「自伝」もない。

年齢的に私も後発ファンだから初期のことを知らない。

週刊誌...っていうヒントを思いついて「大宅壮一文庫」に地の利を生かして足を運んでともかく検索しまくってみました。「江利チエミ」という検索だけでは判らない部分は「美空ひばり」「雪村いづみ」「スィングジャーナル」....いろいろな「記事」を総合して「これがおそらく一番信憑性があるな...!」っていう「砂金探しのザルすくい」の作業?で「ふるいにかけないとわからないこと」は多かったですね。

またチエミさんは「ダイレクトに発言」しているようで、周到に回りに配慮しているコメントが多いことや、「相手がこういう答えを望んでるな?」っていう場合に「その時その時で周到に言葉遣いや表現を配慮してる」ということも再確認しました。

ゆえになかなか本心が見えない...そんな風にも感じましたね。



悲しい晩年ばかりがクローズアップされるテレビの特集にも「かなりいいかげんな部分」があること...など、調べてみなくっちゃわからないことはホント多かったです。
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