江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 追善 中野敬介先生

2010年08月13日 | 江利チエミ(続編)
江利チエミさんの大ファン/E先輩から貴重なお写真を拝借いたしました。

>またチエミさんの近しいかった人が亡くなりましたね。
芸能生活60周年(2007.6.16)の写真です。
福岡市民会館でした。新宿コマのトップダンサーの篝(かがり)さんが
わざわざ東京からみえてまして、チエミさんやひばりさんにまつわる話を
いろいろしました。・・・(E先輩からのメールより) 


E先輩は中野ブラザーズさんとも親交のある方です。

 2008年2月、私も東京・博品館劇場での60周年リサイタルを拝見させていただきました。(パンフにはチエミさんとの懐かしい共演の写真も多く掲載されていました。)

当時、銀座から家に帰ってさっそく書いた記事を...

>立見のお客さまもいっぱい... 大盛況!!
ゲストも豪華で、なんとも素晴らしいステージでした。
章三先生の「福岡ダンス・スタジオ・中野タップ・クラス」の生徒/友人のT君も大活躍!!
啓介先生は、足をかなり悪くされているのをテレビなどでも放送されていましたし、わたしも先般「江利チエミを偲ぶ会」でお逢いしたときに勝手に心配をしていましたが、気あい...でしょう。渾身のステージでした。
章三先生には、ただただ「脱帽」もの...71歳になられたなどとは、とても思えないステップでした。

>ショウほど素敵な商売はない!!
「章ちゃん 啓ちゃん・・・」って掛け声かけながら、チエミさんもきっと観に来てるな... なんて私は思ってしまいました。感無量...でした。

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チエミさんの公演/コンサートには欠かすことのできないパートナー...
 それが中野ブラザーズさんでした。

章三先生には、お兄様の南風カオルさん、そして敬介先生、そして江利チエミさんの分もますますのご活躍と後進のご指導にがんばっていただきたいと僭越ながらそう思っています。

江利チエミ&中野ブラザーズ...
  最後のテレビ共演「ショウほど素敵な商売はない!」
  動画 http://www.youtube.com/watch?v=6n8HOmYzCOo

  最後の日劇/江利チエミ&中野ブラザーズ
  江利チエミ 洋楽ヒットメドレー(Part1) 1981
  パート1)http://www.youtube.com/watch?v=RIgcgifZ5t4
  
  パート2)http://www.youtube.com/watch?v=ASO2v4a4rsY

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※中野ブラザーズさん/ウィキペディアさんより引用

中野ブラザーズ (なかのブラザーズ )は、20世紀中頃から21世紀の日本のタップダンスユニット、振付家。60年以上現役を続ける、実の兄弟2人組のタップの第一人者。実の兄には喜劇俳優南風カオルがいる。

メンバー
 中野啓介(なかの けいすけ、1935年3月21日 - 2010年8月10日 兄)
  中野章三(なかの しょうぞう、1937年2月8日 - 弟)

略歴
共に東京生まれ。両親は共に役者、小学生の時に観たフレッド・アステア主演の映画に魅せられ、タップダンサーを志す。共に中学で吉田武雄の門下になり1940年、当時浅草で人気を博していた女剣劇役者・中野弘子の率いる「中野チンピラ劇団」で舞台デビュー。この頃に後にビートたけしの師匠となる深見千三郎と知り合い、たけしとはその縁で現在も交流がある。

1947年から京都で本格的にタップを修行し、1953年「中野ブラザーズ」を名乗って再上京。米軍キャンプや東京キューバンボーイズのショー、日劇等に出演。

1955年江利チエミに請われて彼女のリサイタルで日劇の舞台を踏み、中野ブラザーズの名は一躍有名となる。チエミは彼らのタップに惚れ込んで以後、江利のショーの常連となる。

1959年から1年間ラスベガスに出演し、サミー・デイヴィスJr.とも親交を深める。

その後も日劇を初め宝塚歌劇団松竹歌劇団ミュージカル、テレビ、舞台、つくば科学万博などの国際的イベントなど、幅広く出演・振付などを担当。タップダンススクールも主宰し後進の指導も行っている。兄弟共に70歳を超えても、なお現役タップダンサーとして活躍し続けたが、2010年8月10日に兄の啓介が急逝。同年4月にもステージに立っており、生涯現役のまま旅立った。

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(追記/南風カオルさんも2009年4月15日に天国に旅立たれました。)

チエミさんは...
>私が中野の芸に惚れこんじゃったんです!アップテンポの曲がわりかし多かったから一緒に踊ってもらえたらいいな~って... と語っておられました。

チエミさんと中野ブラザーズさんとの初共演された1955(昭和30)年、江利チエミさんの日劇でのリサイタルの記録は以下の通りです。
(一説によると初共演は1956年/昭和31年という記述もありますので、31年の年譜も記載させていただきます。)

ジャズ娘世界一周 10景 昭30(1955)年2月25日~3月3日
江利チエミ、ビンボ・ダナオ、旗照夫、ドリーン山下、東京キューバン・ボーイズ、原信夫とシャープス&フラッツ、リリオ・リズム・エアーズ、NDT

>再渡米する江利チエミの歓送を兼ねたチエミ・ショー。アリランにはじまって上海、ウシュカダラ、セ・シ・ボン、アンナ、スコキァン、パパ・ラブス・マンボ、シュガー・フット・ラグ、テネシー・ワルツなど彼女の十八番を原信夫とシャープス&フラッツ、東京キューバン・ボーイズ、リリオ・リズム・エアーズ、日劇ダンシング・チームなどを背景に歌いまくった。吊りものとバンドの出し入れだけだから転換もスピーディーだし、各シーンそれぞれに衣裳を換えて登場するチエミも水を得た魚のようにピチピチしていた。・・(中略)・・応援の形の旗照夫は「ドミノ」が良く、進境見るべきものがあり、ビンボ・ダナオは「グラナダ」が良かった。



チエミ海を渡る 5景 昭30(1955)年4月26日~5月2日
江利チエミ、東京キューバン・ボーイズ、原信夫とシャープス&フラッツ、NDT

>5月11日にハワイに渡る江利チエミの歓送ショー。「カム・オン・ア・マイ・ハウス」からはじまって「エル・クンバンチェロ」に終る9曲、何よりも意識しないで発散するリズムの良さが印象的。



チエミ大いに歌う 4場 昭30(1955)年8月23日~8月30日
江利チエミ、旗照夫、武井義明、ダーク・ダックス、ジョージ川口とシックス・レモン・オールスターズ、小原重徳とブルー・コーツ、東京キューバン・ボーイズ

>キューバン・ボーイズ、ブルー・コーツ、シックス・レモン・オールスターズの3つの人気楽団をバックに、チエミの歌った曲が実に20曲。まさに『チエミ大いに歌う』といったところだ。面白かったのは第4景のメドレーで、ブルー・コーツとキューバン・ボーイズの交互演奏で、息つく間もなく彼女のヒット・ナンバーを11曲、次から次へと歌いまくったところ。若いとはいえよく身体がつづくものだと感心した。・・(中略)・・場内は3階まで立錐の余地もない超満員ぶり。江利チエミの人気の幅の広さに驚かされた。


チエミと共に 5景 昭31(1956)年1月7日~1月13日
江利チエミ、旗照夫、ダーク・ダックス、小原重徳とブルー・コーツ、NDT

>小原重徳とブルー・コーツ、東京キューバン・ボーイズの2楽団を使って、江利チエミがヒット・ナンバー14曲を歌いまくった。この種ジャズ・シンガーをシンとするショーもどうやら一つの型が出来てしまって、これ以上どうしようもないというのが本当のところ。従ってNDTの踊りも楽団演奏も、チエミの歌のつなぎ的な意味しかなかったのも当り前だが、だからと言って間に合せで済ませたのではショー全体が面白くなる訳はない。こうしたショーの難しさであろう。何回も衣裳を換えたり、踊ったり、最後には黒塗りして「スワニー」を歌ったり、チエミは一応大ハリキリだったが、ひと頃のようなぶつかってくる気魄といったものが欠けたのは、オーバーワークの疲れか。「ババルー」「旅情のボレロ」など面白く、「雨に唄えば」は珍しかった。おつき合いの旗照夫は「枯葉」が珍しかったがやや不安定だし、ダーク・ダックスは依然好調。NDTの羽鳥永一のチエミとの二重唱はご愛嬌だ。


ジャズ娘に栄光あれ 5景 昭31(1956)年4月28日~5月9日
江利チエミ、ビンボ・ダナオ、小坂一也、中野ブラザース、トリオ・ロス・チカロス、松本文男とミュージック・メーカーズ、ワゴン・マスターズ、東京キューバン・ボーイズ、NDT

>ゴールデン・ウイークを狙った日劇の江利チエミ・ショーだが、ひと頃ほどの超満員ぶりは見られなかった。お天気が良過ぎたせいでもあろうか。精力的に12曲を歌いまくったチエミは、なによりも勉強の跡が見えた。たとえば同じ曲を歌うのにも、スタイルを変えたり、アクセントの置きどころを変えたりして、いわゆる聴かせることに力を入れていた。中でも「チリビリビン」と「ハイ・ヌーン」が面白かったが、タップを踏んだり、紺がすりに襷(たすき)がけで「茶っ切り節」を歌ったりの大サービスぶりで満場を沸かせていた。ほかにタップの中野ブラザース(啓介・章三)、ビンボ・ダナオ、小坂一也、松本文男とミュージック・メーカーズ、ワゴン・マスターズ、東京キューバン・ボーイズ、トリオ・ロス・チカロスなどが出演していたが、中野兄弟がなかなか見せた。

※ハイヌーン
http://www.youtube.com/watch?v=9mfmzBvFkIc
  遥かなるアラモ 誇り高き男... 江利チエミさんにはウエスタン調男歌が多かったのですが、残念ながらレコード化されていないものが多く、聴くすべがありません。

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中野さんのご両親は女剣劇で人気を博していた大衆演劇『中野弘子一座』の役者さん。
2人は3人兄弟の2番目と3番目で、1番上のお兄さんは南風カオルさんで大衆演劇の役者さん。江利チエミさんの公演にも多く助演された方です。
啓介先生は1935年(昭和10年)生まれで、章三先生はチエミさんと同じ1937年(昭和12年)生まれ。
中野弘子一座内で、中野児童歌舞伎(後の中野チンピラ劇団)という組織があって御兄弟とも3歳でそれぞれ初舞台を踏まれているそうです。
父君は長く体を壊されていて終戦の年(1945年)に早世されています。

中野一座はのちに吉本興業に買収されて本拠地を関西に移します。
そして「中野チンピラ劇団」は解散...
京都の知人宅(歌手の「美ち奴さん」の自宅)に身を寄せているときにウィキペディアにもある深見千三郎さん(美ち奴さんの弟)と出会いもあって「タップ」の道に進まれたのだそうです。

芸道一筋... 根っからの「プロ芸人」でいらしたわけです。


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2 コメント

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初めまして (春休みのデッサン室)
2010-08-14 16:37:48
中野ブラザーズのお一人が無くなって、
なんとなく江利チエミを検索していたらここにたどり着きました。

北九州音頭も歌っていました。
思い出しました。
あらためて聴いて思いました。
北九州市もこの曲をオクラにするにはもったいない。

中野ブラザーズも江利チエミもリアルタイムで見聞きしてきた世代として
ほんとうに寂しく残念な思いです。
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春休みのデッサン室さま (うーでぶ)
2010-08-14 21:25:19
ようこそお越しくださいました。 少し前のシングルレコードの歴史という記事をご覧くださいまし。北九州音頭の音源があります。
たまに覗いてやってくださいね。
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