モッポって読みます。正確に書くとmokpoなんですが、韓国語のこういう場合のkは促音に近くなりますからね。全羅南道の西側の海辺にある港町です。

ここにははっきりとした目的がありました。共生園に行くためです。愛の黙示録という映画がありました。日本の植民地時代に、韓国人男性尹致浩(ユン・チホ)と結婚して孤児院をたてた、田内千鶴子という人の生涯を映画にしたものです。石田えりさんが田内を演じていました。そして尹と田内がたてたその孤児院が木浦にあるんです。私はこの映画を見て、どうしてもそこに行ってみたいと思っていたのです。
行ったのは8年前の事です。なんせ韓国の端っこです。大田(テヂョン)からムグンファという日本で言えば急行にあたる列車で行ったと思います(地図参照)。お話し少しそれますが、日本でも流行った韓国歌謡に「大田ブルース」というものがあります。その歌詞に「大田発0時50分・・・木浦行き鈍行列車」という部分があります。まさに大田ブルースのコースです。まあこの歌についてはいずれ詳しくお話することにいたしましょう。

(ムグンファ号)

(夜の木浦駅)
で、夕方木浦に到着しました。今は木浦の駅はもっと立派になっているようです。共生園に行くのは明日です。旅館をとり、夜の街に出てみる事にしました。といっても私は繁華街にはあまり行きません。もっぱらポジャンマチャ(ほろ馬車の意)といわれるテント張りの屋台に出かけます。そしてそこにいる人の様子を見て、話しが出来そうだと感じられれば「日本から来たんだけど・・・」
と切り出します。この日も愉快そうに話しをしていた3人の男性がいたので、いつものように切り出してみました。あっという間に意気投合です。まだまだ言葉が上手ではない時でした。でもわからないところも気持ちで通じさせてしまう事にしていました。相手が年上ならば、少しおちょくられるぐらいのつもりで下手に出れば、それで大丈夫なのです。そして、さらに言うならば、私の韓国語はこういう場所で磨かれていったのです。

(向かって右から4番目の隠されちゃっているのが私かも?)
「何しに木浦に来たの?」「共生園に行くためです」「じゃあオレのタクシーに乗っていけよ」と、たぶんこんなだったと思われる会話をして、車のデザインと電話番号入りの名刺をもらいました。どうやらこの人は個人タクシーの運転手さんのようです。まあそうやって、食べ物をつつかせてもらって、ドラ声の歌を聞かせてもらって、
夜がふけていきました。港町だけあってさすがに海の幸がおいしかったです。
あれあれ、共生園に行きつかないうちにずいぶん長くなっちゃいました。共生園の事は明日書こうと思います。

ここにははっきりとした目的がありました。共生園に行くためです。愛の黙示録という映画がありました。日本の植民地時代に、韓国人男性尹致浩(ユン・チホ)と結婚して孤児院をたてた、田内千鶴子という人の生涯を映画にしたものです。石田えりさんが田内を演じていました。そして尹と田内がたてたその孤児院が木浦にあるんです。私はこの映画を見て、どうしてもそこに行ってみたいと思っていたのです。
行ったのは8年前の事です。なんせ韓国の端っこです。大田(テヂョン)からムグンファという日本で言えば急行にあたる列車で行ったと思います(地図参照)。お話し少しそれますが、日本でも流行った韓国歌謡に「大田ブルース」というものがあります。その歌詞に「大田発0時50分・・・木浦行き鈍行列車」という部分があります。まさに大田ブルースのコースです。まあこの歌についてはいずれ詳しくお話することにいたしましょう。

(ムグンファ号)

(夜の木浦駅)
で、夕方木浦に到着しました。今は木浦の駅はもっと立派になっているようです。共生園に行くのは明日です。旅館をとり、夜の街に出てみる事にしました。といっても私は繁華街にはあまり行きません。もっぱらポジャンマチャ(ほろ馬車の意)といわれるテント張りの屋台に出かけます。そしてそこにいる人の様子を見て、話しが出来そうだと感じられれば「日本から来たんだけど・・・」


(向かって右から4番目の隠されちゃっているのが私かも?)
「何しに木浦に来たの?」「共生園に行くためです」「じゃあオレのタクシーに乗っていけよ」と、たぶんこんなだったと思われる会話をして、車のデザインと電話番号入りの名刺をもらいました。どうやらこの人は個人タクシーの運転手さんのようです。まあそうやって、食べ物をつつかせてもらって、ドラ声の歌を聞かせてもらって、


あれあれ、共生園に行きつかないうちにずいぶん長くなっちゃいました。共生園の事は明日書こうと思います。

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