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ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

あるFBFの方から

2025年04月04日 | 災害

緊急で、バングラデシュのシムソンからもらったメッセージを以下に書きます。
親愛なる友へ
とても重く、悲しみに満ちた心でお伝えしなければなりません。
私たちの地域の近くで、川の堤防が決壊し、二十の村が完全に水没してしまいました。
どれほど多くの人々が一夜にして家を失い、どれほどの家族がすべての財産を失ったことでしょうか。考えるだけで涙がこぼれます。
牛やヤギ、鶏などの家畜は流され、農地は壊滅し、多くの人々が食べ物もないまま過ごしています。
一瞬の災害が彼らの人生を根こそぎ奪い去ってしまいました。
今、彼らは道端や空き地で、避難場所もなく、ただ希望と助けを待ち続けています。
私たちの地域の人々の心には、恐れと悲しみが満ちています。
これから何が起こるのか、どうやってこの困難な状況にある人々を助けることができるのか、私たちには分かりません。
しかし、私たちは知っています。私たちの祈りは、神様に届くということを。
「主は心の打ち砕かれた者のそばにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇 34:18)
「飢えた者にあなたのパンを分け与え、悩める者の願いを満たすならば、あなたの光は暗闇の中に輝き、あなたの闇は真昼のようになる。」(イザヤ 58:10)
どうか、皆でこの苦しむ人々のために祈りましょう。
神様が彼らの苦しみを和らげ、希望の光を示し、そして私たちが助けるべき道へと導いてくださるように。
彼らがこの試練の中で決して孤独ではなく、イエス様の愛と憐れみに包まれていることを感じられるように、私たちがそばに寄り添えますように。
主よ、どうかこの苦しむ人々に憐れみを!
彼らに力を与え、避難所を与え、食糧を与え、何よりもあなたの平安と慰めをその心に注いでください。
私たちの心は涙に満ちています。
しかし、私たちは信じています。
「涙とともに種を蒔く者は、喜びの声とともに刈り取る。」(詩篇 126:5)
この暗闇の後にも、光が訪れますように。
この荒廃の中にも、回復の希望が生まれますように。
そう祈り続けます。
どうか、彼らのために祈ってください。
そして、もし可能であれば、あなたの力の及ぶ範囲で助けてあげてください。
神様が、私たちをこの素晴らしい働きに用いてくださいますように!
以上です。
今後も支援を続けていきます。少なくとも月に一回、まとめて送金していこうと考えています。お気持ちある方は、ご連絡ください🙇‍♂️

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日本基督教団の<中部教区からのお願い>を転載

2024年07月19日 | 災害

<中部教区からのお願い>
輪島教会の礼拝に訪問されることは、感謝ですが
仮設礼拝堂はとても小さく、収容人数は10名程度です。
特に7日は14名の訪問者がありました。
日曜日の礼拝に大勢の方が一度に参加されますと
教会に負担をかけてしまうことになります。
ご配慮ください。
また、日曜日以外であっても、訪問される場合は
中部教区へメール等でご連絡ください。

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能登地震で教会堂全壊、日本基督教団輪島教会が仮設礼拝所 ペンテコステから礼拝開始

2024年05月24日 | 災害

能登地震で教会堂全壊、日本基督教団輪島教会が仮設礼拝所 ペンテコステから礼拝開始
リンク先でお読みください
能登地震で教会堂全壊、日本基督教団輪島教会が仮設礼拝所 ペンテコステから礼拝開始
能登地震で教会堂全壊、日本基督教団輪島教会が仮設礼拝所 ペンテコステから礼拝開始

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輪島教会のために祈ります

2024年01月20日 | 災害

中部教区のHPに教区の代表団が輪島教会を訪れたことが掲載されています。

2024能登半島地震 教会等被害状況とその対応(1月19日22時現在) | 日本基督教団中部教区 (uccj-chubu.com)

輪島教会のために祈ります。

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キリスト教支援団体へのいささかの疑問

2024年01月09日 | 災害

能登半島地震でキリスト教の災害支援団体が複数現地に入っていると伝えられているが、いささかの疑問を感じている。それは、現地の教会を拠点にしているということである。果たしてそれは正しいのか?現地の教会のしっかりした了解を得ているのだろうか?

そもそも地震でダメージを受けているところに、ボランティアの人たちを受け入れるということは、それを行った私の中越沖地震での経験からすると、相当な負担である。たとえ了解を得ていたとしても、どこかでごり押しになっていないだろうか?それがいささかの疑問。

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