モーセはホレブの山で燃える雑木を見ました。けれども木は燃え尽きず、火が燃え続けています。その火がモーセに「わが民イスラエルをエジプトから連れ出しなさい」と言ったのです。モーセは「あなたの名前は」と聞くと、「『私はある』という者だ」と答えがありました。「私はある」という名前の神様なのです。それはエジプトの王ファラオが拝んでいた命のない神ではなく、最初からあり、いつまでもある神様だったのです。
聖書の神様は本当は「私はある」という名前なのですが、神様の名前をみだりに唱えることはできないので、「主」と呼ぶようになりました。主は、モーセとその兄アロンをファラオのところにつかわします。そして杖を蛇にします。ファラオの魔術師も蛇を出しましたが、モーセの杖の蛇が魔術師の蛇を飲み込んでしまいました。
その後、主なる神はモーセを通して川の水を血に変え、カエル、アブ、ブヨ、疫病、皮膚病、ひょう、いなご、暗闇の災いを起こします。けれどもいずれにおいてもファラオはイスラエル人をエジブトから出すことを許しませんでした。
そこで最後の災いが起こります。それを避けるために、イスラエルの人の家には鴨居と柱に羊の血を塗るように命令されました。その家を神様は通り過ぎ(過越し)ました。イスラエルではこのことを記念して過越しの祭りが行われるようになりました。
10の災いの内、アブ、ブヨ、疫病(コロナ)、皮膚病、ひょう、いなごの災いは、人類が昔から戦ってきた災いです。ここでこれらのお話が書かれ、そしていずれも終わりになっていることは、そういった自然災害はいつまでも続くことはないのです。神様は終息させて下さるのです。