コロサイ書の差出人はパウロとなっていますが、実はパウロの弟子がパウロの名によって書いたものであると言われています。
では、コロサイ書の本当の著者は誰なのでしょうか?私はこれをフィレモンであると考えています。
理由はいくつかあるのですが、第一に、コロサイ書の著者はコロサイのフィールド、特に異端的な教えを吹聴する教師が入り込んで来ている状況を分かっています。それを一番よくわかっているのは、コロサイ教会の牧者、フィレモンであるのです。
また、コロサイ書の著者はフィレモン書の内容をよく知っている人です。フィレモン書の内容を一番よく知っているのは、フィレモンでしかありません。
それから、コロサイ書の一部はフィレモンの妻アフィアの手によるものではないかとも考えています。
以下もお読み下さい。
パウロとフィレモンとオネシモ(15)「コロサイ書・エフェソ書」―誰が書いたのか(1)
パウロとフィレモンとオネシモ(16)「コロサイ書・エフェソ書」―誰が書いたのか(2)
「フィレモンへの手紙」の執筆目的、それはずばりオネシモを奴隷から解放することです。オネシモが盗みを働いた逃亡奴隷だとしていると、フィレモンに対する赦しの願いとなってしまうのですが、オネシモ逃亡奴隷説は陰謀論です。ありえません。
オネシモは有能な奴隷だったのです。パウロはオネシモをテモテやテトスのような宣教者にしたかった。そのためにはオネシモを奴隷から解放する必要があった。奴隷の解放をできるのは主人だけです。つまりフィレモンしかいないのです。
フィレモンへの手紙の15節を読んでみましょう。「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。」
「あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くため」の「いつまで」は「終身」ということです。「終身奴隷」に使われる言葉です。しかし、「その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。」終身奴隷から解放して、兄弟としてくださいということです。
コロサイの信徒への手紙4章9節を読んでみましょう。「また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。」とあります。オネシモはその後実際解放されてパウロの周辺にいるのです。
パウロとフィレモンとオネシモ(13)「パウロの元からフィレモンの元へ」―パウロがフィレモンに願っていたことは何か― もお読み下さい。
フィレモンへの手紙に出てくるオネシモは逃亡奴隷であるという説が、長くキリスト教世界で伝えられていました。写本の一つにそういうものがあったからかもしれません。
しかし近年、ゲルト・タイセンやチャールズ・B・カウザーといった学者から、「オネシモは主人との間におそらく何らかの問題が生じた奴隷で、仲裁を依頼するためにパウロの元に行った」という説も出されています。
また、「フィレモンがパウロを助けるために期間限定でオネシモを遣わしていたが、その期限がきてしまったため、パウロが筆をとり、オネシモがいると助かるので期限を延長させてほしいと頼んだという可能性」という説もあります(ヘンリー・ウォンズブラ著『ビジュアル版聖書読解辞典』264ページ)。
私は仲裁依頼説とオネシモ派遣説の中間に立っています。逃亡奴隷説はとっていません。オネシモはパウロに見出された有能な奴隷なのです。オネシモに悪いレッテルを貼ってしまうことは彼のその後の人生を見逃すことになってしまいます。
オネシモは後年、エフェソの教会の監督になり、パウロ書簡集(牧会書簡を除く)をまとめ、エフェソの信徒への手紙を書いた人物であるというのが私の持論です。フィレモンへの手紙はそのオネシモがパウロに見出された召命の書なのです。
こちらもお読み下さい。パウロとフィレモンとオネシモ(9)「オネシモの以前と今」(1)―逃亡奴隷が獄中で洗礼を授けられたのか―
フィレモンへの手紙1~7節です。この手紙には章はありません。
1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
フィレモンとアフィアは夫婦でしょう。そして二人は夫婦牧会者でしょう。初代教会には、アキラとプリスカという夫婦牧会者がいました。フィレモンとアフィアも同じだろうと思います。
「フィレモンは信徒」という論がありますが、私は違うと思います。なぜなら7節に「兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。」とあるからです。
前回、「フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一である」と申し上げましたが、ですからフィレモンはコロサイ教会の牧会者です。
以上が私の、「フィレモン書とコロサイ書とエフェソ書」に関する論点の第2点です。
①フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一である。
②フィレモンとアフィアは家の教会=コロサイ教会の牧者である。
キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。(フィレモンへの手紙1~2節)
神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、 コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。(コロサイの信徒への手紙1章1~2節)
「フィレモンへの手紙の宛先であるフィレモンの家の教会と、コロサイの信徒への手紙の宛先であるコロサイ教会は同一である」。これがフィレモン書とコロサイ書とエフェソ書の繋がりを考えている私の主張の第一点です。
フィレモンの家の教会がコロサイにあったことは、大方認められています。これで本来は「フィレモンの家の教会=コロサイ教会」となるはずなのです。なぜならば初代教会の、特に異邦人教会はすべて家の教会であったからです。
教会=法人という固定観念を持っている現代人は、新約聖書の教会は家の教会であることを忘れがちです。そのせいか、「フィレモンはコロサイ教会の信徒であり、家庭集会を持っている」という論もあります。しかし初代教会は今日の法人教会とは違います。
もう一つ裏付けることがあります。それはフィレモンへの手紙で、エパフラスがよろしくと言っているからです(23節)。コロサイ書によるならば、エパフラスはコロサイ教会黎明期の重要人物です。だから、フィレモンの家の教会=コロサイ教会に、よろしくと言っているのです。
フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一なのです。
*クリスチャントゥデイコラムパウロとフィレモンとオネシモをお読みいただければ幸いです。