ラオデキア人への手紙
1 人々からでもなく、人によってでもなく、ただイエス・キリストを通してのみ使徒であるパウロから、ラオデキアにある兄弟たちへ。2 神、父、そして主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにありますように。3 わたしは常にわたしの祈りにおいて、あなたがたが審(さば)きの日における約束を待ち望みつつ彼(キリスト)のうちに堅く立ち、彼のわざをなし続けていることを、キリストに感謝しています。4 あなたがたはわたしが宣(の)べ伝えた福音の真理からあなたがたを遠ざけようとして語られる何人かの人たちの虚しいことばに惑わされないようにしてください。5 そして今や神が、わたしから生じたことが福音の真理の前進に〔 〕役立ち、永遠の生命という救いに達するようなよいわざを生み出すようにしてくださいますように。
6 そして今、わたしの鎖(捕われていること)が明らかになりましたが、わたしはそれをキリストにあって甘受し、うれしく思い、喜んでいます。7 このことはわたしにとって永遠の救いをもたらしてくれるのですが、それは、生命を通してにせよ死を通してにせよ、あなたがたの祈りと聖霊の助けによって生じるのです。8 なぜならばわたしにとって生きることはキリストのうちにあることであり、死ぬことは喜びであるからです。9 そしてそのことは、彼のあわれみをあなたがたのうちに働かせてあなたがたがこの愛を持ち、ひとつの思いになることを可能にしてくれるでしょう。
10 そういうわけですから、最愛のかたがた、わたしがおりました時にあなたがたが聞いたように、堅く立ち、神を畏れつつ(ことを)なしてください。そうすればあなたがたには永遠の生命が与えられるでしょう。11 なぜならば、あなたがたのうちにあって働いておられるのは神だからです。12 そしてあなたがたのなすことはなんでも疑いを持たずになしてください。
13 最後に、最愛のかたがた、キリストにあって喜び、(人々の関心を)獲得しつつある汚れた人々を警戒してください。14 願わくばあなたがたのすべての祈りが神のみ前に明らかにされ、あなたがたがキリストのみ思いのうちに堅くされますように。15 そして、すべて純粋なこと、真実なこと、慎ましいこと、正しいこと、そして愛すべきことを行なってください。16 そしてあなたがたが聞きそして受け入れたことがらを心のうちに保っていてください。そうすれば平和があなたがたとともにあるでしょう。17 〔すべての兄弟たちに聖なる接吻をもってよろしくお伝えください。〕18 聖徒たちからあなたがたによろしく。19 主イエスの恵みがあなたがたの霊とともにありますように。20 〔この手紙がコロサイ人にも読まれ〕コロサイ人への手紙があなたがたのところでも読まれるようにしてください。(青野太潮訳)
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Q 裁判所の事実認定をもって、「彼らが異端であることは事実だ」とする論法は正しいでしょうか?
A 裁判所の事実認定をもとに「異端であることは事実だ」とする論法には、慎重な検討が必要です。事実認定は、裁判官が提示された証拠や証言をもとに形成した判断ですが、それが絶対的な真実とは限りません。
事実認定と実際の事実の違い
- 裁判の証拠が限られている場合 → 提示された証拠が偏っていたり、不十分だった場合、事実認定が必ずしも正確とは言えない。
- 裁判官の解釈が影響する → 法的な判断は、証拠の評価や法律の適用によって決まるため、宗教的な真理とは異なる可能性がある。
- 宗教的評価は司法の範囲外 → 異端の判断は神学的な議論を伴うため、裁判所の認定だけで結論づけるのは慎重であるべき。
裁判所の事実認定を再検証する方法
✔ 裁判の証拠資料を精査し、矛盾点や不備を指摘する
✔ 独立した専門家による分析を行い、客観的な評価を得る
✔ 関係者の証言や記録を再確認し、より正確な情報を収集する
✔ キリスト教界全体で議論を深め、公平な視点を持つ
裁判所の事実認定をもとに異端と断定することには限界があるため、より広い視点での検証が必要ですね。さらに詳しく知りたい場合は、こちらの資料も参考になるかもしれません。どのようなアプローチを考えていますか?🍀
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キリスト教界全体で議論を深め、公平な視点を持つ→ 「キリスト教界の中で、すでに同じ結論を持っている人たちだけを集めて議論をしても、真実は得られない」ということであろう。
2016年の根田講演以後、同じ結論を持った人たちだけが他の意見の人たちを排除して議論しているように思える。そして、同じ結論を持った人たちのその結論の根拠は、「『実際の事実』ではない『判決文の事実認定』」と「根田・山谷・坂井論理」と「自分たちの思いこみ」であるように見える。
Q 裁判所の判決文にある「事実認定」って「事実」なんですか?
A 裁判所の「事実認定」は、一般的な「事実」とは少し異なります。判決文における「事実認定」とは、裁判官が証拠を検討し、法律に基づいて「この事実は認められる」と判断したものです。つまり、裁判所が「こういうことがあった」と認定した事実ですが、それが絶対的な真実とは限りません。
例えば、ある事件で「被告が犯行現場にいた」と裁判所が認定した場合、それは証拠や証言をもとに導き出された結論ですが、実際に被告がそこにいたかどうかは別問題です。証拠の評価や証言の信用性によって、認定された事実が変わることもあります。
このように、裁判所の「事実認定」は、法律的な判断の結果であり、必ずしも客観的な真実とは一致しないことがあるのです。詳しく知りたい場合は、[裁判所の公式資料]を参考にするとよいでしょう。
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「次」は、偽計業務妨害罪かな?
"クリスチャン新聞" 淀橋教会
で検索したら、ロクでもない記事しか上がってこない。
以前は福音派の集会といえば淀橋教会会場で、それをクリスチャン新聞が報じるというのが定番だったが。
まあ峯野先生に対してあんなことやっていたら取材しづらくなるのは当たり前。クリスチャン新聞は自分で自分の首を絞めているのだ。
以前だったらこういう記事はクリスチャン新聞が報道するのが当たり前だったけどね。☟
イースターは「揺るぎない希望」 第62回首都圏イースターのつどい : 宣教 : クリスチャントゥデイ
クリスチャントゥデイと知り合って、聖書コラムを書くようになり、もう7年やってるが、そのおかげで聖書をずいぶん学ぶことができた。
思い返せば、この団体がカルトの出先なのではないかと疑問を持ち、調べていったらば、裏取りをしない愚劣なジャーナリストの思い込みに端を発していることが分かって、その調べている過程でスタッフと知り合えたのだから、神の御業は不思議なものだ。
ということで、私は騙されたというようなことはこれぽっちもなく、自分の研鑽を行うことができて、良かった、良かった。愚劣なジャーナリストは、裁判に明け暮れる晩年でご苦労なこった。身から出た錆だから、あたしゃ知ったことはない。