島田紳助
2011.08.24 zakzak
暴力団関係者との親密な付き合いを認め、芸能活動の引退を発表したお笑いタレントの島田紳助(55)。一般社会と同様、黒い交際がルール違反なのは芸能界も同じだが、23日の会見だけでは、身を引くほどの事態だったのか疑問が残る。暴力団関係者が解決に動いた十数年前のトラブルとは何か。そして、紳助に力を貸したという暴力団関係者の大物とは誰なのか。
吉本興業は今月中旬、紳助が2005年6月ごろから07年6月ごろにかけ、暴力団関係者と親密な関係をうかがわせるやりとりをしていたとの情報を入手。同社が情報を検証した結果、信ぴょう性が高いと判明し、「24時間テレビ」(日本テレビ系)が終了した21日午後10時半ごろ、紳助から初めて事情を聴いた。
吉本興業東京本部で開かれた会見で、紳助は芸能界と暴力団の関係についてこう語った。
「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』で引退しなくてはいけないんです」
また、一部週刊誌の内容を受け、「ヤクザを使って競売物件を買ってるとかカジノに出入りしてるとか、命をかけてもありません。僕がもし本当にそんなことしてたら、みなさんの前で腹を切ります」とも説明した。
引退会見で問題とされた暴力団関係者とのつながりは携帯電話のメール。暴力団関係者と直接面会したのも「偶然を含めて4~5回」(紳助)という。はからずも本人が「この程度」と語ったように、紳助側の説明だけでは引退を決めるほどの事態か、深刻さが伝わりにくい会見だった。
紳助によると、暴力団関係者との交際のきっかけは約10年前にさかのぼる。「芸能界をやめよう」と思うほど悩み、現在、未公開株を巡り、恐喝未遂罪に問われている元プロボクサーで友人の渡辺二郎被告(56)から心配する電話があった際、悩みなどを打ち明けたとされる。
会見で紳助は、この渡辺被告を「Aさん」と表現していた。20代から数十年の交際がある渡辺被告はのちに暴力団相談役となるが、紳助の認識は「一般人」だった。
渡辺被告といえば、99年10月に殺人事件に使われた短銃を譲り渡したとして銃刀法違反で逮捕され、00年4月の公判では紳助が被告側の情状証人で出廷したこともあった(4年6月の実刑判決)。その後、暴力団の相談役に就任したとみられ、07年7月にタレント、羽賀研二(50)の債務踏み倒しに手を貸したとして逮捕され、08年11月に1審で無罪を言い渡されたが、今年6月の控訴審で懲役2年の実刑判決を受け上告中だ。
一体、紳助が「芸能界をやめよう」と思うほどの事態は何だったのか。
ある関係者は、「(紳助は)関西ローカルのテレビ番組での右翼団体に関する発言をめぐりバッシングを受けていた」と証言。それを解決したのが渡辺被告がつないだ暴力団関係者で、会見では「ヤクザ組織のBさん」とされた人物だ。
大阪府警の捜査関係者によると、この暴力団関係者は指定暴力団山口組ナンバー4にあたる「筆頭若頭補佐」という肩書を持つ幹部。府警が2005年にこの幹部の関係先を家宅捜索した際、紳助から幹部に宛てた直筆の手紙や、幹部と同席した写真が見つかっていた。
『反転-闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)などの著書で知られるノンフィクションライターの森功氏は、「府警関係者から聞いた話では、幹部と紳助さんは家族ぐるみで仲がよく、ガサ入れのとき、幹部の妻と紳助さんがスナックで撮ったものなど一緒におさまる写真が何枚も押収され、なかには紳助さんが幹部の妻に宛てた手紙もあったようです」と話す。
また、渡辺被告を介して交わしたメールには、この幹部が競売入札妨害などの容疑で大阪府警に逮捕されたことを心配し、自分が経営する店で高額な飲食をしてくれたことを感謝したものもあったという。
吉本興業は今月中旬、紳助が2005年6月ごろから07年6月ごろにかけ、暴力団関係者と親密な関係をうかがわせるやりとりをしていたとの情報を入手。同社が情報を検証した結果、信ぴょう性が高いと判明し、「24時間テレビ」(日本テレビ系)が終了した21日午後10時半ごろ、紳助から初めて事情を聴いた。
吉本興業東京本部で開かれた会見で、紳助は芸能界と暴力団の関係についてこう語った。
「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』で引退しなくてはいけないんです」
また、一部週刊誌の内容を受け、「ヤクザを使って競売物件を買ってるとかカジノに出入りしてるとか、命をかけてもありません。僕がもし本当にそんなことしてたら、みなさんの前で腹を切ります」とも説明した。
引退会見で問題とされた暴力団関係者とのつながりは携帯電話のメール。暴力団関係者と直接面会したのも「偶然を含めて4~5回」(紳助)という。はからずも本人が「この程度」と語ったように、紳助側の説明だけでは引退を決めるほどの事態か、深刻さが伝わりにくい会見だった。
紳助によると、暴力団関係者との交際のきっかけは約10年前にさかのぼる。「芸能界をやめよう」と思うほど悩み、現在、未公開株を巡り、恐喝未遂罪に問われている元プロボクサーで友人の渡辺二郎被告(56)から心配する電話があった際、悩みなどを打ち明けたとされる。
会見で紳助は、この渡辺被告を「Aさん」と表現していた。20代から数十年の交際がある渡辺被告はのちに暴力団相談役となるが、紳助の認識は「一般人」だった。
渡辺被告といえば、99年10月に殺人事件に使われた短銃を譲り渡したとして銃刀法違反で逮捕され、00年4月の公判では紳助が被告側の情状証人で出廷したこともあった(4年6月の実刑判決)。その後、暴力団の相談役に就任したとみられ、07年7月にタレント、羽賀研二(50)の債務踏み倒しに手を貸したとして逮捕され、08年11月に1審で無罪を言い渡されたが、今年6月の控訴審で懲役2年の実刑判決を受け上告中だ。
一体、紳助が「芸能界をやめよう」と思うほどの事態は何だったのか。
ある関係者は、「(紳助は)関西ローカルのテレビ番組での右翼団体に関する発言をめぐりバッシングを受けていた」と証言。それを解決したのが渡辺被告がつないだ暴力団関係者で、会見では「ヤクザ組織のBさん」とされた人物だ。
大阪府警の捜査関係者によると、この暴力団関係者は指定暴力団山口組ナンバー4にあたる「筆頭若頭補佐」という肩書を持つ幹部。府警が2005年にこの幹部の関係先を家宅捜索した際、紳助から幹部に宛てた直筆の手紙や、幹部と同席した写真が見つかっていた。
『反転-闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎)などの著書で知られるノンフィクションライターの森功氏は、「府警関係者から聞いた話では、幹部と紳助さんは家族ぐるみで仲がよく、ガサ入れのとき、幹部の妻と紳助さんがスナックで撮ったものなど一緒におさまる写真が何枚も押収され、なかには紳助さんが幹部の妻に宛てた手紙もあったようです」と話す。
また、渡辺被告を介して交わしたメールには、この幹部が競売入札妨害などの容疑で大阪府警に逮捕されたことを心配し、自分が経営する店で高額な飲食をしてくれたことを感謝したものもあったという。