トーマス・マン 著
加藤子明 訳
1948年11月20日 発行
世界の日本社
「先づその装釘を遠く盤谷(バンコック)に滞在中の里見宗次畫伯に、
更に挿繪をわが前衛派の巨匠福澤一郎畫伯に依嘱し、坊間流布の
一般出版物とは確然異なるものにするに努めた。サトミの名は、往時
巴里に於いて畫家のフヂタと並び、邦人の最大出色者として喧傳され
た圖案界における第一人者であって、 ・・・中略・・・
たゞ、彼が送り届けた原圖案は今の日本に於いては餘りにも豪華過ぎ
るものであり、到底資材や經費やの上からそのまゝに採用することが
できず、僅かの部數にそれを用いることにしたゞけで、普及版にはそれを
應用せる圖案を制作・使用するの他はなかったことは、獨り彼に對しての
みならずわが読書界に對しても、遺憾この上もない次第である。」
(11頁)
僅かの部数の特装版が出版されたようです。
そして、それはトーマス・マンの手元にも届けられました。
『トーマス・マン日記 1949-1950』 紀伊國屋書店 53頁
「パシフィク・パリセイズ、
四九年二月十四日 月曜日
『十誡』の日本語版の金糸で綴じたコピー、美しい印刷。」
『トーマス・マン日記 1949-1950』 紀伊國屋書店 101頁
「パシフィク・パリセイズ、
四九年四月一日 金曜日
『掟』の日本語版を国会図書館での展示会のために。」
特装版『十誡』は何部、現存しているのでしょうか。
加藤子明 訳
1948年11月20日 発行
世界の日本社
「先づその装釘を遠く盤谷(バンコック)に滞在中の里見宗次畫伯に、
更に挿繪をわが前衛派の巨匠福澤一郎畫伯に依嘱し、坊間流布の
一般出版物とは確然異なるものにするに努めた。サトミの名は、往時
巴里に於いて畫家のフヂタと並び、邦人の最大出色者として喧傳され
た圖案界における第一人者であって、 ・・・中略・・・
たゞ、彼が送り届けた原圖案は今の日本に於いては餘りにも豪華過ぎ
るものであり、到底資材や經費やの上からそのまゝに採用することが
できず、僅かの部數にそれを用いることにしたゞけで、普及版にはそれを
應用せる圖案を制作・使用するの他はなかったことは、獨り彼に對しての
みならずわが読書界に對しても、遺憾この上もない次第である。」
(11頁)
僅かの部数の特装版が出版されたようです。
そして、それはトーマス・マンの手元にも届けられました。
『トーマス・マン日記 1949-1950』 紀伊國屋書店 53頁
「パシフィク・パリセイズ、
四九年二月十四日 月曜日
『十誡』の日本語版の金糸で綴じたコピー、美しい印刷。」
『トーマス・マン日記 1949-1950』 紀伊國屋書店 101頁
「パシフィク・パリセイズ、
四九年四月一日 金曜日
『掟』の日本語版を国会図書館での展示会のために。」
特装版『十誡』は何部、現存しているのでしょうか。
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