おとといLPSAの指し初め式も無事終わり、新年初仕事に出かけていた矢先、連絡が入りました。
しかしそれが田辺忠幸さんの訃報だと知って驚きました。
かけがえのない記念局となった女流王位戦第五局の観戦記を書いていただいて、昨年末に書いた扇子をもらっていただき、LPSAの指し初めにもいつもと変わらないご様子でお越しくださって、しかも私と指したんですよ。
ちょうど初手から▲7六歩△8四歩▲7八銀△3四歩と進んで、
5手目と6手目のやりとりで、
私「ここで▲2六歩とか突いたら即座に理事退任しなきゃいけないんでしょうねぇ」(一同笑)
忠幸さん「さっちゃんね、私はあともう少しで77になるんだよ。角くらいくれたっていいじゃないか」
私「喜寿ですね。それはおめでとうございます。それでは忠幸さんに合わせて7七角にします。」
忠幸さん「なんだくれないのか。まあタダで落ちてるものにロクなものはないからな。いっこづつ行こうな。」と△8五歩を着手されました。
その後一緒におとそで乾杯して、「なんだかこれは甘い水だな」「栄養ドリンクですから」とやりとりしたのが最後になりました。
昨日までお会いしていた方が、今日は居なくなってしまうなんていまだに信じられません。
もうお会いできないのは残念でなりませんが、応援していただいた言葉を忘れずにがんばりますので見守っていてください。
心よりご冥福お祈りいたします。合掌。
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『将棋パイナップル』から訃報を知り、言葉がありませんでした。
20数年前、原田先生との合作『将棋なんでも入門』で将棋を知り、5年前、関根先生引退慰労会で、山田史生氏・島田良夫氏らと一緒に写り、原田先生盤寿の祝いでは、互いに腕を大きく広げ、ヒシっと抱き合いました。
その時私は「次は貴方の番ですね。きっと羽生先生もスピーチしてくれますよ」
「いやあ、私はダメだよ。切腹した身だからね(胃の手術)。もうもたない。葬式にはぜひ来てよ」
「その言葉、10年早いですよ(笑)。」
・・・5年しかもちませんでした。
『ただゆき』と読んで『ちゅうこう旦那』または『怪老』と呼ばれてましたが、私にとっては『快老』でした。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。合掌・・・。
ヒトの寿命について考えさせられるものがありました。
ちゅうこう先生のご冥福をお祈りいたします。
もちろん、観戦記も沢山読ませてもらい、将棋を好きになりました。
これから新しい観戦記が読ませてもらえないとなると、無性に観戦記のまとめたものとか出版されたら読むのになぁ。と思う今です。
合掌。
八段時代の自戦記。
過去40年以上の間に読んだり、目にした将棋の本(技術書)の中で、最高の内容でした。単なる定跡解説書なら1~2年で古びてしまいますが、なぜその手を指したか、心理を含め簡潔明瞭に判り易く解説してありました。
さすが晩年、テレビの「ものマネ選手権」の審査委員長を長年務められただけのことはあるとあらためて感心しています。
①ルックス良し
②話し振り良し
③将棋の実力最高
今後、男流からは無理だとしても、女流からこれほどの棋士が現れることを夢見ます。
なお、十五世は③は最高、①②に難ありでした。