つわわわわ

上半身が球体に近づきつつある男の、特になんともないブログ

日光東照宮の写真

2011年08月12日 01時52分30秒 | 戯言
稽古を終えて家に帰り、家族が旅行の土産に買ってきたビールを飲みながら怪談話の本を読むうちに、ふいに思い出したことがある。
特別怖い話というわけではないのだけれど、今に至っても合理的な説明が付けられない不思議な出来事であるので、夏の風物詩を言い訳に、なんとなくここに書き記してみようと思う。

小学校五年生だか六年生だかの時、学校の宿泊行事で栃木県の日光へ行ったことがあった。
そして僕たちは、課外授業の一環として当然のように日光東照宮へと足を運んだのだった。
日光東照宮はご存知の通り、将軍・徳川家康を祀る神社であり、かの有名な三猿や眠り猫で知られる日光有数の観光スポットである。
自殺の名所として不名誉にも名を馳せる華厳の滝ならばまだしも、豪華絢爛の極みともいえる極彩色の東照宮で何が起きたのか。
正確にいえばそこで起きた問題は、宿泊行事から帰宅したその後日に発覚した。

安物のインスタントカメラで撮影された日光の思い出の数々は、駅前の写真屋で現像され、僕の手元へと渡った。
おかしなものは、その中の数枚に写っていた。

簡潔に言えば、それは「僕の頭」だった。
カメラが目の前の風景を記録することの具体的なメカニズムを知らずとも、自分の目の前で構えたカメラが記録した目の前の風景に、自分の頭など写るはずがないことはこの現代を生きる人であれば分かるはずだ。
にも関わらず、日光東照宮で撮影した写真のすべてに僕の頭が写っていたのである。
写真に写った僕の頭は当然僕の帽子を被っていたし、もしも自分と同じ帽子を被った子どもが目の前にいたなら、撮影時真っ先に気付いたと思う。
そして、何かしらの可能性を示唆するようでいて、結局僕を惑わせるのは「頭が写っているのは東照宮で撮った写真だけ」という事実である。

まったくもって奇妙この上ないが、怪談として話すにはいささか意味不明な要素が多すぎるし、体験者本人にとっては強烈な事件ではあるものの他人に恐怖を感じさせるようなエピソードではない。
ここまで読んでくれた方々にしてみても、とてつもない体験として意気揚々と語るには迫力にも現実味にも欠けるというのが正直なところだろう。

さて、件の写真であるが、幼いながらに薄気味悪く感じたものの捨ててはいない。
だから、多分、おそらく、この家のどこかにその写真はあるのです、今もきっと。


なんやかや、写真でまたひとつ思い出したことがあります。
それも同様に怪談というよりは不思議な話なのですが、幼心に植えつけられた恐怖は東照宮の写真よりも大きかったことを覚えています。
これはなんとなくまた別の機会に。

おやすみなさい。

ゆめ294 『見えていないだけ』

2011年08月07日 13時17分03秒 | だれかのゆめのにっき

隣の車両にはたくさん人がいるのに、この車両に乗っているのは僕だけだ。
いや、もしかしたら見えていないだけで人はいるのかもしれない。
目の前の座席に座っている人に「見えないってことはいないってことだよ」と言われた。
そう言われるとそういう気がしてくる。
やはりこの車両に乗っているのは僕だけだ。


カクテルの名前2

2011年08月06日 00時50分53秒 | 戯言
ウィスキーとカルーアを牛乳で割ったカクテルで、
「アグラベーション」っていうんですけど、
これはもう下ネタと言って差し支えないですよね。
こちらに背中を向けている映像さえはっきり浮かびますものね。

しかも、アグラベーションって「腹立ちまぎれ」って意味なんですって。
なんか……深いですよね。