伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

水俣病の教訓を次世代に伝えるセミナー、に行った!

2013-03-14 18:00:00 | 水俣レポート
水俣の学びを活かした
地域活性化の展開、が今年のテーマ


2013年3月2日13:00~17:00 
会場:発明会館(東京都港区虎ノ門)  主催:環境省


 地域活性化という課題にたどり着いたことに拍手!

政治解決のお約束。国と水俣病患者さんの約束の実行としての環境省主催のセミナーに行ってきました。
今年のテーマは、「水俣の学びを活かした地域活性化の展開」。
教訓を伝えるという作業が、地域活性化をテーマにするほど深化したかと、昨年の若い世代の試みにつづき、大いに興味をそそられての参加でした。

でも、なんてわかりにくい会場。
虎ノ門なんてめったにきたことない。迷って遅刻。
私の記憶では初の女性の特殊疾病対策室長が、どんなふうに水俣病を伝えたのでしょうか。
遅刻して、聞き逃すことになって残念至極。

今年度の語り部は、水俣から吉永理巳子さん、新潟から小町ゆみ子さんでした。

印象に残ったこと。
吉永さんのお父さんは、劇症の水俣病で38歳でなくなったそうです。
吉永さんはお父さんの死を「初めに犠牲となりました」と語りました。
もしかしたら、そういう表現を患者さんの口から聞いたことが、それまでもあったかもしれません。
ですが、吉永さんの決然とした口調から、「犠牲になった」という言葉を患者さんや患者家族から初めて聞いたように、くっきりと感じました。

そうなのだ、「犠牲」以外の何ものでもない。
「水俣病になった」ということは、「犠牲になった」ということなのだ、と思いました。

吉永さんのお話も小町さんのお話も、そんなふうに、当事者だからこそ語れる重さに満ちていました。
小町さんは、語り部となられて、子どもたちから感想文をもらうことがどんなに励ましになっているかということも語られました。
     


右が水俣の吉永さん、左が新潟の小町さん。


とても大切なことだと思います。
患者さんの語る重さはわからなくても、その重さを分かち合いたいと願い、寄り添うことは、人間が生きていくことそのものに思えます。

でも、それは、患者さんに苦しい過去を思い出させることなく、行なわれるべきではないか。
いつまで、患者さんにつらいことを思い出させて語ってもらわなければならないのだろう。
近づかなければならないのは、私たちの側なのに。

そして、同様に思うのです。
水俣も新潟も、つらい過去から、生き生きとした街へ、誇りある地域へと努力を重ねている。そのことは、とても素晴らしい。
しかし、水俣病の教訓を引き継ぐのは、現地以外、私の街だって同じなのではないか。


 同じことばを使っていても残る違和感

もしかしたら、同じことばを使っていても、違うことを話しているのかも。そんな気持ちになってきました。

水俣も、新潟も、まちづくりとしてはそれぞれ努力を重ねていると思います。
でも、それは、いかに修学旅行生を呼び寄せるかということなのでしょうか?

修学旅行の目的によって、語り部さんを「選ぶ」と表現されたことにも違和感を覚えました。
子どもたちの学びは、コーディネーターの思惑をはるかに超える、と思っているからです。

<NPO法人 環不知火プランニング>の理事長である吉永利夫さんは、「語り部を選んだり、商品のように言ったのが気にさわるのですね」と質問に答えてくださいました。
つづけて「お金を儲けて何が悪い、と思っている」と言われました。
吉永さんらしい表現だし、そうかもしれない気がしました。

ですが、チッソだって「お金を儲けて何が悪い」と思っていたのではないでしょうか。

私たちの「お金儲け」とチッソの「お金儲け」と、どこが違うのでしょうか?
水俣病の教訓を次世代に伝える試みが修学旅行なのでしょうか?

もちろん違うと思います。違わなければなりません。
しかし、水俣病体験をアトラクションにしない、語り部さんを出演者にしない、そういう教訓を私たちは、すでに手にしているのでしょうか?

最後の水俣浮雲工房の金刺潤平さんの発表が、その問いへのアプローチではなかったかと、セミナー全体を思い起こしています。
「市民参加によるアプローチ」です。


例えば、2013年10月9日~11日まで開催される「水銀に関する水俣条約」採択・署名の外交会議。もしくは、2013年10月26、27日と天皇臨席で開催される第33回全国豊かな海づくり大会。
水俣で開催される、それらを、批判するのではなく、市民自らがその事業開始をになうこと、発信するものとして位置づけることができるのではないか、と金刺さんは語りました。
そう語り始めて、患者さんの傍らの人から、いまを生きる主体になるように思えたからです。
教訓は、主体となってどう実現されようとするか、実現するか・・・・そういうものを見せる番にならなきゃいけないんじゃないでしょうか?



帰りがけ、環境省のお役人に声を掛けられました。娘の友だちの友だち、でした。
特殊疾病対策室に配属になった、そうです。
すでに娘と同い年の青年が水俣病患者の救済を担当する部署にいます。
年を経て、時代が移ろうなか、私たちは、自分たちの実感とくらしに照らした教訓の引継ぎを考えねばならないと思います。
患者さんまかせでなく、現地まかせでなく、、新たな当事者意識によって。

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