国立ハンセン病資料館の伝えかた
~ 総会の翌日のもうひとつの見学会 ~
2011年6月26日
国立ハンセン病資料館 (東村山市青葉町4-1-13)
企画展 かすかな光をもとめて ―療養所の中の盲人たち―
光をもとめる企画展に、いそいそとお出かけ
私たち<伝えるネット>は、相模原の首都圏窓口をはじめに、豊橋、浜松、札幌に窓口を開いています。総会は、そんな窓口の情報交換と、そして、久々の旧交をあたためる機会となります。
なので、ついつい、みんなといろいろ欲張り名なオマケを付けたくなります。今年は、総会当日に地下壕見学会をセットしたのですが、もっと・・・。
今回、浜松窓口から参加の中王子みのりさんが、「せっかく首都圏に行くのなら、ハンセン病資料館で行われている企画展を見に行きたい」とリクエストしてくれました。
行われている企画展は、「かすかな光をもとめて ―療養所の中の盲人たち―」。視覚に障がいのあるみのりさんだけでなく、音声サポート部会を立ち上げて1年目の私たちにとっても、もちろん関心のある企画です。
それに、<伝えるネット>に縁の深い写真家・宮本成美さんが『全生園の森』と題された写真集を撮影された多磨全生園に隣接しているのですから、是非とも出かけたい場所でありました。
多磨の森に囲まれた資料館は、とにかく立派。なのに、入場料は無料。その上、無料配布とされた資料の豊富なこと。印刷もきれいな立派な冊子が、「ご自由にお持ちください」と並んでいます。資料館の方が持ち帰り用の紙袋をくださるほどでした。
1階のギャラリーでは、「いのちの詩 塔和子展」が行われていました。この日が最終日。塔和子さんのくらしから生まれた言葉に描き出される求めてやまない希いに、ぐっと心を鷲掴みにされる感じでした。展示された作品をみのりさんに読み上げるのに、声が震えそうになってしまったよぉ・・・。
このギャラリーでは、塔和子さんの詩をモチーフにハンセン病隔離の歴史を描いたドキュメンタリー映画『風の舞』の監督・宮崎信恵さんにご挨拶させていただくこともできました。光栄。
『風の舞』のHPへ
宮崎信恵さんのHPへ
ギャラリーの塔和子展をまわる伝えるネットのメンバー
誰かの手を借りることと、不自由と、差別と
塔和子展を一巡して2階の企画展会場へ。
足を踏み入れて、1枚目のパネル説明を読んで、ギョッとなったのが、正直な気持ちです。
それは、もしかしたら、みのりさんが同行していたからかもしれません。
私たちは、みのりさんのおかげで、見えなかったものが見えるようになった気がしています。みとりさんとの友情が、バリアフリー写真展を開催したいという願いを生み出してくれたし、音声サポートという共感の探り方に気づかせてくれたからです。
「ハンセン病の患者にとって最低のことは盲人になるという宣告だった」
「誰かの手を借りなければ生きていけない盲人になるということは最大の不幸だった」
これは、書かれてあったそのものの文章ではありません。記憶のなかで、思い起こしています。
ハンセン病の患者さんたちが、ハンセン病を負った上に失明を宣告される絶望は、共感できます。ましてや、ハンセン病で隔離という人権を奪われた生活のなかで、失明への悲観がどうだったろうか、と思います。
しかし、そこに、さらに盲人を低く見ていたという抑圧移譲はなかったか?
みのりちゃんがつぶやきました。「わたし、目が見えなくてもけっこう幸せなんだけど」と。
「誰かの手を借りなければ生きていけない」のが不幸なのでない。
「誰かの手を借りて生きていく」ことを不幸と決めつけることが不幸なのではないか?
人は、誰だって、人の手がなければ生きていけないのに。 そう感じるのは私たちだけ?
患者のくらす施設を「不自由棟」と呼んでいることも違和感を覚えました。「不自由」にしているのは、誰?
私は、こんなふうに思っています。不自由にしているは、私たちの差別する心なのではないか、と。
よく言いますよね。「障がいは不便だけれど、不自由ではない」って。
ハンセン病のために失明したなかで、希望を失わず、舌で点字を読み、暗譜で将棋をさし、ハーモニカを奏でる。素晴らしい方々と感動します。ハンセン病でもなく、視覚障がいもない私でも、ときに生きるに倦み、怠惰になり、前向きになれなくなったりするのに、そういう方を知り、その生き方を学ぶと、人間ってなんて素晴らしいんだろう、と改めて思い、生きる勇気をいただきます。
たぶん、こうやって希望を分け合い、勇気をかわし、ともに生きていると声を掛け合うことが、社会に生きる、ということなのではないか、という気がします。
だからこそ、共に生きることを排除する「差別する自分」を克服しなければならないのではないでしょうか。
ハンセン病の薬ができたから、ではなく、差別する心を克服することが求められています。同じ人間としての権利の尊重があれば、たとえ、ハンセン病であったとしても人間的対応ができたはずです。
人権感覚を養うことは、本当に難しい。私たちには、視覚障がいのある人たちが見に来ることを想定した企画展示だとは、どうしても思えませんでした。
中王子みのりさんのHPへ
「人生に絶望はない」という勇気をいただいて
最初に企画展をのぞいたのがいけなかったのでしょうか。それから常設展示をのぞきましたが、どうも、しっくりこないまま、見学を終えました。
みんなの感想は、「このまま子どもたちに見せるのは、ちょっと心配」「うんうん、ガイドなしはちょっとコワイね」。
そして、こんなことを思いました。
ハンセン病の患者さんたちの人権回復はとても大切です。
そのためには、患者さんたちと対面する、あるいは共生できる私を見出すことが必要だと考えます。
差別する心は誰でもない私のなかにひそんでいます。奥底にだけでなく、けっこう表層にも、気づかないうちに私の心を覆っていることもあります。
水俣病の語り部の杉本栄子さんはいつも言っていました。
「知らないことは罪です。知ったかぶりはもっと罪です」って。
差別する自分の心を鍛えていくためには、もっともっと事実に触れ、知らなければ、学ばなければなりません。
誰でもない私自身が。
ハンセン病患者を差別していたのは、国であり、この国にくらす私たちでした。
その主語である「国」や「私たち」が浮かび上がってこなければ。 私たちがどうしたいか、どうするべきなのか、を伝える資料館であってほしいと思うのは、的外れでしょうか。
さんざんハンセン病患者を差別してきて、さらに、自らを問うことになく、患者さんの峻烈な人生に甘えていていいのだろうか・・・・。・・・・そんなこと思うのって、ヘン???
水俣の水俣病資料館は、いちばん初めのころと変わったなぁ、と思うことがあります。
私は、首都圏に住んでいて、水俣へは来訪者に過ぎませんが、何度も訪ねています。このごろの水俣病資料館の展示からは、水俣の人たちの意志が伝わってくるようになったと思うのです。
ハンセン病資料館の無料配布に「キミは知っているかい? ハンセン病のこと。」という子どもたち向けのパンフがありました。表紙には、まず子どもたちへの問いかけが書かれています。
「君への質問。君の将来の夢はなに?」と。
そして読み進めると、ハンセン病の語り部の言葉が書かれています。「人生には絶望はない」と。
あんまりじっくり資料館をめぐっていて、全生園を散策する時間がなくなってしまったことが、とても心残りです。
車イスを押して、森林浴できなくてゴメン、みのりちゃん。