伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

3.11後、“水俣事件”の通史を知る写真集

2013-09-29 08:45:13 | 会員レポート



昨日の昼下がり、1冊の写真集が届きました。

『桑原史成写真集 水俣事件』(藤原書店・刊、定価3,800円+税)です。
「水俣病」と標題すると、若い人に病気のことと思われてしまう、事件としての水俣病を知ってほしいから「水俣事件」と名づけたとありました。

いちばん初めの写真は、今年4月16日、最高裁で水俣病と認定された溝口チエさんが孫の診療を求めて涙ぐんでいる写真です。
生きていれば113歳を数えようとする2013年、息子さんである秋生さんも80歳を過ぎて、最高裁で水俣病認定をかちとった当日の秋生さんの晴れやかな姿の写真が次につづいています。傍らには、相思社の永野三智さん。
桑原さん自身、「水俣」を撮りつづけた30000枚の写真のなかに、溝口チエさんの在りし日の姿を見つけたとき、「震えた」そうです。

そうです。桑原さんは、水俣事件のこれまで、ずっとの目撃者なのです。
帯には「写真で見る 半世紀を超える ”水俣病”事件の通史!」とありました。
およそ半世紀、「水俣」を撮りつづけた桑原さんの「水俣」最後の写真集ということです。

こんなに分かりやすく水俣事件の通史を、瞬時に違和感なくわからせてくれる本があっただろうか、と思いました。
4月16日の最高裁判決から遡る写真が、その写真の力でそっくりそのまま入ってくるのと、ところどころに挟まれたいろいろな立場の方の小文が、同じように、いま”の感覚から書かれているもの(大上段に論ずるところなく、市民感覚に親しいもの)なので、すんなり理解できるせいだと思います。

9月12日から26日まで相模原で開催された『100人の母たち』写真展。
水俣現地で出会った100人の母たちを、このまちでくらす隣人たちに紹介することになったとき、「水俣、福島、わたしたちのまち」というトーク・セッションを用意しました。
「福島」で起きていることが「水俣」で起きたことに似ている」とは、3.11後、しばしば言われることです。
ですが、その言い方に、違和感を感じないではいられません。
「水俣」を知ろうとしなかったことが「福島」を引き起こしたのだと思うからです。
さらに言い募るなら、「水俣」を知ろうとしなかった責任は、「わたしたちのまち」にあるのではないか。
当然、「福島」への責任も。

3.11以後の、この時期に、「水俣事件の通史」を、写真集のかたちで読む(見る)ことのできる意味に気づかないではいられません。

この本の年表を担当された西村幹男さんは、桑原さんのことを“ノーテンキ”と表現されています。
その言葉に、隻眼の桑原さんが、茶目っ気たっぷりにカメラを抱えている姿を連想します。
“ノーテンキ”な桑原さんは、普通の市民のわたしたちには親しく、近しく感じられるだけでなく、いつもとても優しくしてくださるのです。

「できれば水俣という地を世界の人々が知らないまま過ごす歴史であってほしかった。
 そして一人のカメラマンなども出現しなくてもよかったのである」

国が水俣病を公害認定した1968年9月27日に、そう桑原さんがコメントした、と熊本日日新聞の高峰武さんが、この本のなかで伝えています。

桑原さんらしい言葉、と感じました。
そこに、とても貴い人間性を感じます。
その桑原さんの眼につきしたがって、「水俣事件の通史」を知ることができる、うれしい写真集です。





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