伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

このまちから水俣の60年を思う その4

2016-10-09 21:19:07 | 窓口レポート

いのちが生みだす波紋を見つめて

~ このまちの惨劇をどう引き受けるか ~



前記事「その3」でご紹介した『アゴラ』の原稿を書いたとき、
わたしの、このまちで、このような事件が起きることを、もちろん予想していませんでした。

「相模原障害者殺傷事件」が起きたのは、このまちで、です。
わたしたちが、伝えるネットが、活動の拠点としている、このまちで、なのです。
津久井やまゆり園は、わたしたちにとって、とても身近なところだったのです。

茫然となりました。
そして、考えました。

わたしは、このまちで「水俣」の何を伝えてきたのだろう。
これからも、「水俣」のことを子どもたちに伝えることができるのだろうか、と。

ちょうど、3.11が起きたときと同じように、です。

このまちで起きたことを知って、水俣の友人から気遣いの電話をもらいました。
直接の被害者でもないのに、心配だと。
学生時代にわが家にホームステイしていたシルビアは、
遠くカリフォルニアから「大丈夫か?」と訊いてきました。
「相模原」というこのまちの地名のついているニュースに気づいて。

わたしは、いま、この事件とどう向き合うかという問いなしに
子どもたちに「水俣」を伝えることはできないと考えています。



 無駄ないのちはひとつもない

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークを立ち上げた翌年、
熊本日日新聞がわたしたちの活動を紹介する記事を書いてくださいました。
真っ先に浮かんだのは、その記事です。

インタービューに応えた記事の見出しが「無駄な命は一つもない」だったと、思い出したからです。
以下が、その2001年3月11日付けの熊本日日新聞です。





写真に写る自分は15年前の姿で、言葉もゴツゴツしているようです。
「生まれてきて無駄な生命はひとつもない」という普遍的なこと――。

ちゃんと、わたしたちは、伝えてきたでしょうか?

胎児性水俣病患者さんたちに導かれて、いのちの不思議、感動に胸揺すぶられての言葉でした。
いのちって、スゴイ。
いのちって、わたしたちが量ろうとするのを凌駕して素晴らしい、と。

その眼差しで、このまちを、ちゃんと見つめてきたでしょうか?




 働かざるもの食うべからずと思ってきた自分

生まれてきて無駄な生命はひとつもない――

それは、具体的にはどのようなくらしのことでしょうか。
それは、だれとどのように生きていくことなのでしょう。

ひとは、必ず社会的存在です。
ひとがくらしていくとは、他者とどのような関係性を築いていくかということと同義です。

その問いの前で、ひとが社会に対して何ができるか、どう貢献できるかという問いかけは逆転しているのではないでしょうか。

そして、気づいたのです。
「働かざるもの食うべからず、よ」と、子育てのときに言っていた、と。
つい、休日にグデグデしていて、どこかしら罪悪感を感じてしまう自分だったこと、を。


もともと、「働かざるもの食うべからず」というのは、新約聖書の中でパウロが言った言葉だそうです。
その意味は、できる者の怠惰を戒めたものであって、商品交換のように「働く」ことをいうものではないそうです。

でも、どこかで、「できること」だけに価値を置き、賞品価値的なものだけでひとの優劣を量り、等価交換の術を持たない者は、そのままいのちの価値がない、とそういう価値観にくみしてきたのではないか。
くらしのいちばん真ん中、日常のなかで、刷り込みをしてきたのではないか。


くらしの真ん中から、わたしたちは気づかねばならないのではないか。
現在の社会にあるいのちの価値観の誤りに。

できることは、便利に過ぎない、と。
便利は、ひとのいのちの前に何ほどのことがあろうか、と。
ひとはひとの存在の生みだす波紋によって、揺れ漂い、いのちを生きるのだ、と。



 もう一度、いのちに向き合うために




10月5日まで相模原市立環境情報センターで行っていた「伝えるネット活動20周年展」が終わりました。
上の写真はその展示を見てくれた子どもたちの感想です。

素直な気持ちにあふれる子どもたちの言葉は、どうしてこんなに温かく響くのでしょう。

わたしは、いつも考えてきました。
水俣病の患者さんたちの写真をみるときに、こみ上げるこの思いはなんだろうか、と。

同情、とは思えませんでした。
もっと強く感動するものがあるのを否定できなかったからです。

いのちの、いのちの生きる波紋が押し寄せてくるからではなかったろうか、と思います。
いのちの波紋を受けることが、わたしにとっても「生きている実感」です。

なにひとつ自分でできることがなく、あらゆることにひとの手を借りて生きても、いのちの重さは波紋を起こし、ささやかな波はわたしに影響を与えていくはずです。
互いに波紋を寄せ合うことが社会であり、人間的関係性である、と思わないではいられません。


胎児性水俣病は、お母さんのおなかのなかで水俣病になります。
どんなに多くのいのちがお母さんのなかで失われていったでしょう。
だから、生まれた胎児性水俣病の赤ちゃんは、ひときわ強い生命力を持っていた、と言われます。
芽生えたいのちは、生まれ出づることができなくとも、生まれたならさらに、波紋をえがくはずです。

その波紋を感じ取ることこそが、ひとである、ということではないでしょうか。


案山子が、一本足で動けなくて、障がい者をなぞらえているものと、聞いたことがあります。
案山子は、語らず動かず、そこにいることによって、それゆえに、世界の真理をいちばんに知るものなのだ、とも聞きました、

「ひとは最重度障がい者として生まれ、最重度障がい者となって死んでいく」
そう語ったのは、ご自身が障がいをもっている安積遊歩さんです。



いのちと向き合う生き方を、わたしたちは取り戻さねばなりません。
「水俣」を伝えるということはそういうことなのだと思います。


水俣病にいのちを傷つけられた無名の方々と
匿名のまま、いのちを奪われ傷ついたやまゆり園の方々に思いを馳せつつ、書きました。

今年度の「水俣」を子どもたちに伝える活動が10月下旬から始まります。
伝えるネットが発足してから足掛け17年目となります。

活動を始めたころから思うと、「水俣」の意味はさらに深く、もっと深く誘うようです。

3.11がそうであったように、
やまゆり園のことを、考えつづけていこうと決意しています。    
(田嶋 いづみ)






このまちから水俣の60年を思う その3

2016-09-17 16:46:11 | 窓口レポート
相模原 市民がつくる総合雑誌 
季刊アゴラ 2016年夏号 から ~~~


「水俣」を自分の街で受けとめる




ただいま、相模原市立環境情報センターに伝えるネットの写真展を開催させていただいております。
この展示ができたのは、センターの方から声掛けされたということは、前記事の「その2」でお伝えしました。

このまちで、<水俣病公式確認60年>を気にかけてくれていたのは、環境情報センターさんだけではありませんでした。

このまちには、1997年に創刊された市民の手による総合誌『アゴラ』が発行されております。
創始者の西尾さんが亡くなられたのちも、山田広美さんが引き継いで、この夏で77号を数えます。
市民の編集委員がいらして、それをささえる市民読者がいてこそではありますが、山田さんのガンバリには、このまちの人間として敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。

「公式確認60年を迎えるということで、原稿を書いてくださいませんか?」
そう山田さんからお誘いを受けました。

お声を掛けられて、このまちで「伝える」ことを振り返って、ああ、20年が過ぎたのか、と気づいたのが正直なところです。
お声掛けいただかなければ、年数など数えることもなかっただろうからです。

気づけば、数えることは大切なことですね。
原稿を書いてみて、あらためて感じました。
やはり、「総括」になるからです。

7月1日が発行の77号に掲載させていただいた原稿をこちらで公開させていただきます。

5ページ半にわたる文章になっています。















このまちから水俣の60年を思う その2

2016-09-15 15:58:48 | 窓口レポート
ただいま相模原市立環境情報センターにて展示中!

このまちで「水俣」を考える
~ 伝えるネット活動20周年特別写真展 ~

展示期間:2016年9月5日(月)~10月5日(水)





 伝えるネット設立から17年ながら・・・

そうなんですね。
「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークの設立は2000年4月。
なので、活動20周年というのは、厳密に言えば正しくはありません。

でもね。
このまち、相模原で呼びかけたのは1995年のこと。
土本監督の『海とお月さまたち』と『水俣病 その20年』の上映会をもって、水俣病のことを知ろう、と呼びかけたのは、公式確認40年を迎える前年のことでした。

(20年が過ぎた現在でも、このドキュメンタリーを最初の一歩として選んだことは、ナイス・チョイスだったと思えます。・・・・あはは、手前味噌。)

以来、「いちばん大切なことは、お隣さんに伝えることから」「とても大事なことは、大事にひとに伝えたい」と心に決めて伝えてきて、逆にこのまちの仲間からお誘いを受けたのです。
「公式確認60年になるから、何かやってみない?」って。
水俣に地縁・血縁あるわけでなく、いつの間にか、にもかかわらず「ミナマタさん」とこのまちで呼ばれたりするようになって、そんな流れのなかで機会をいただいたわけです。

そんなわけで、この際「20周年」記念展示会と。





 伝えることで実った果実に、伝え返される・・・

手探りで伝えてきました。
20年前、「あなたたちは何も知らないんだから」と水俣病闘争に長く携われた方たちには、よく叱られたものです。
確かに何も知らなかったです。
いまも、知り得たことは、わずかです。
現実の被害者ではない、地縁・血縁なき者として、到底知り得ないこともあります。

そう自覚しながら、惹かれるように、捜し求め、「  」を付ければ、わが身も当事者と考えて、伝えてきました。
たぶん、それは、とても不遜なことだったでしょう。
それでも、伝えることは、コミュニケーションすることなので、子どもたちとのやり取りのなかで、多くのことに気づき、学び、考えてきました。

それは、果実となりました。

果実をいただいたので、それなりの展示となりました。


たとえば、会場で一風変わった写真のキャプションだな、と思われると存じます。
それは、2009年の夏休み、小・中学生のこどもたちが「視覚障がいのある方にこの写真を伝えようと思ったらどんな風に伝えるか」というワークショップでつくったキャプションだからです。

写真を視る。写真を伝える。
そして、写真で伝える。

活動の果実は展示のなかで顔を出しております。




 写真から考えてみませんか♪

桑原史成さんと宮本成美さんの写真を惜しげもなく展示させていただいております。
(お二人に、ここで改めて深く御礼を申し上げます。)

本当に写真の力とはすごいものです。
智子さんの成人式の写真はいくら視ても、飽きません。
写真のなかにお若い石牟礼道子さんを見つけるのも楽しみかも。

桑原さんは、相模原市が主催する事業<フォトシティ相模原>写真大賞の2006年度受賞者です。
相模原市は受賞作品をなかなか公開してくれないので、この機会に、じっくり視ることもできます。


ぜひ、このまちの方にお運びいただけたら嬉しいです。
相模原市役所そば、体育館のならびの環境情報センターです。

※ 環境情報センター の休館日は展示を見ることができません。
  9月15日(木)、19日(月)、10月2日(日)は休館です。






伝えるネットの倉庫で眠っていた<起ちなはれ>の軸も久々にお目見えしています。




このまちから水俣の60年を思う その1

2016-06-26 21:45:30 | 窓口レポート
チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム №14

公式確認60年 水俣病が終わらないのは何故か?

~ 2016年 6月25日(土) 13:00~17:00 ~
会場:YMCAアジア青少年センター



はや、水俣病責任を問うシンポジウムも14回目、というご挨拶と先の熊本震災犠牲者への黙祷から始まったシンポジウム。

珍しく開会直前に会場にすべり込んで、「14回目」という言葉にブルッと身を震わせての参加となりました。



 14回目のシンポは、公式確認60年の節目のはなし


今回は、公式確認60年ということで、写真家・宮本成美さんの写真投影とお話、新宿の「ノアノア」というお店を経営しながら絵を描き、水俣に多大な浄財を捧げた故・若槻菊枝さんのご主人の若槻登美雄さんがその思い出を語るというのをメインに、新潟からの報告、山口弁護士のお話、水俣からは谷洋一さん、「ほっとはうす」から加藤タケ子さん、永野ユミさんのお話と、盛りだくさん。


会場の感銘深い宮本さんのお話を少しでも共有できればと、ツィートしておりましたが、ここに再掲してみます。

■14回目になる「チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム」なう。熊本地震の犠牲者への黙祷から始まりました。すでにカメラを手放したという宮本成美さんの講演が始まりました。



■写真を投影して宮本さんの水俣へのこだわりを語ります。巡礼行脚の写真から始まるのは、加害者意識があってその姿でなければ水俣に入れなかった、と。川本さんの写真には、彼の「人間だから話せばわかる」という絶対の人間信頼に惹かれた、と。

■激しく共感。チッソと患者の交渉に立ち会ったとき、会社側の言葉の方が自分には分りやすかった、患者の言葉の方が難しかった、そのことが自分は何者かという問いにつながった、と。
もやいなおし、というが、患者が言っても加害者が言っていいのか。

■緒方正人さんをシステム社会の弊害を語った。宮本さんは、今の社会は、人を信頼する人間の方が生きづらいのではないか、と指摘。
そっか、と、さらに共感。

■砂田明さんの生涯の傑作は、『天の魚』というより水俣行脚のような気がする、演じることを街中に出した、と宮本さん。砂田さんは役者としても優れた方だと思うが、すごいのは『天の魚』を演劇の世界に閉じ込めなかったことだと思う、と。


■宮本さんが紹介した最後の写真。「船が出る」と題した。水俣を話そうとしてテーマは「信頼」だと改めて気づいた。自分は人を信頼できるか、自分は信頼に足る人間か、と。人を信頼して船をこぎだそう、伝えることを丁寧にしてネットワークを、と。



■宮本さんのあとは、新宿「ノアノア」の元店主・若槻登美雄さんのお話。新宿の名物ママ・若槻菊枝さんの肝っ玉ぶりを語る。お勘定書きに 「水俣カンパ」というのがあったとか。お店に置いてあったカンパ箱は「ほっとはうす」へ寄贈されました。


■桑原さん登場。沖縄から戻ってきたと日に焼けた姿。自信のために延期になっていた水俣病慰霊祭は10月29日になったそうです。

■微笑んでしまった。来年2月11日に行う石川さゆりのコンサートの主催は「若かった患者の会」。
土本監督のドキュメンタリー映画『石川さゆり 水俣熱唱』の主催は「若い患者の会」だった。
伝えるネットはこの映画に音声ガイドをつくりました。


■山口弁護士、60年経っても水俣病が解決していないのは、これは「人間ではない」と。患者さんにとっての60年は、わたしたちにとっての60年ではないか、と。被害者と加害者を同一平面上で並列で語られるなんて許されない、と。



■公明党は「改憲して環境権を」などと言うのであれば、水俣病患者を救済しなさい。と、山口弁護士。





 水俣は、個を貫き、まちをえぐり、憲法を問う


一夜明けて、シンポジウムで語られた言葉を反芻しています。


宮本さんが、声を震わせて最後に触れられた「船を漕ぎ出す」には、優しいけれど厳しい「希望を失うな」という叱咤が聞こえたようでもありました。

それは、山口弁護士の語る、水俣病患者をここまで放置しているなんて、「人間じゃない!」という響きと呼応しているように聞こえるのでした。

時代状況の厳しさに思わずくじけそうになっているこころを立て直させられました。

何が水俣で起きたか。
水俣病患者にどのような仕打ちを与えたか。
憲法第25条第二項では、「国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会福祉および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」とあるにもかかわらず、この仕打ちは、憲法違反そのものではないか。

問いは、そして、人間存在の根源まで達している。

シンポジウム14回まで数える誠実さは、問いを深化させていると実感しました。
宮本さんと山口弁護士の言葉をきっかけに、この国が、この社会が、この時代が、深く抉られているのを感じると、不遜な言い方ですが、「ここまで、ひとは考えられるのか、応えようとしてしているのか」と感動したのでした。

さらに、山口弁護士の「被害者のなかにある他者性」のお話には、ここまで深まるのか、と衝撃のようなものを感じました。

これが60年という「とき」なのかもしれません。
わたしたちは、時代の突端にある。

そこに、どれぐらい、わたしたちが当事者性をもって、信頼に足る決断ができるか。
むかし、学生時代に考えていた「主体性」というよりも、あるいは仕事の場面で「主体たれ」と屈辱に耐えながら思ったよりも、「主体」となることを考えています。

(田嶋 いづみ・記)

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ばっかりばっかりのお二人と浜松窓口のコラボ

2015-04-13 10:25:06 | 窓口レポート
演劇結社 ばっかり ばっかり バリアフリー朗読会 in浜松

2015年2月21日(土)14~16時
アクトシティ浜松研修交流センター51会議室





今年で3回目を迎えた演劇結社ばっかりばっかりの朗読会 in 浜松。
今年は、朗読会の後は、いつもの交流会ではなく、演劇結社ばっかりばっかりが「声」で出演されたユニバーサルデザインを説明したアニメのDVDを見ました。

教育関係の所には貸し出しをされるというそのDVDは、大人が見ても新鮮な考えを生み出すものだと私は思いました。

私は主に小中学校で障害や福祉の事についてお話をさせていただいていて、意識の中には「ユニバーサルデザイン」を強く持っているつもりなのですが、それをなかなか伝えきれていないなぁと感じています。
でも、具体的にどうすれば良いのかはわからなくて困っていました。

そんな時に見たのがそのDVDだったのです。
お店にいろいろな人(車椅子に乗っている人、弱視の人、耳が聴こえない人など)がくると不便なことがあるよねというような導き方で進んでいくストーリーはワクワクしました。
授業の進め方を先生方と話し合うこともあって、そんな時にはこのDVDは良いアイテムになるんじゃないかなぁと見ていて思いました。

朗読会の内容もアットホームな雰囲気の中で、楽しくおいしく進められました。
DVDを見て時間が押してしい、交流会でのざっくばらんなおしゃべりがなかったのは物足りなかったけれど、今年もばっかりばっかりのお二人の朗読と絶妙な「口のパフォーマンス」を十分に楽しませていただきました。                                               

報告:中王子みのり(伝えるネット・浜松 会員)





朗読する美月めぐみさんと鈴木大輔さん。



今回の朗読会はこれまでの定員20名の会場から一気に広くなり、60人以上入れる部屋でした。
そこへスタッフも演者も入れ、参加者は40名。1回2回と皆勤の常連さんから、初めましての方もいらっしゃいました。
前回、ひとりで参加された女性は、今回、家族全員でお越しくださいました。

おいしい食べ物のエッセイ。
ブタさんが出てくるワクワク楽しいお話。
かわいらしい参加者からのリクエストの絵本の朗読。

DVD「みんなの話し合い ~誰でもストア~」は、原作・脚本を「公益財団法人 共用品推進機構」と「演劇結社ばっかりばっかり」が作成。
美月めぐみさんが男の子役の声を、鈴木大輔さんが王様の声を担当。
アニメーション制作は虫プロダクション。音声ガイドと字幕がつけられています。
学校や機関、教育に関係関心のある団体・機関・個人に、最長3週間まで貸し出してくれます。
詳しくは、「一般財団法人 日本児童教育振興財団」のサイトへ。⇒こちら