伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

「きばる」高橋さんといっしょに「水俣」を伝える

2012-01-30 13:47:40 | 出前レポート
「きばる」高橋さんといっしょに「水俣」を伝える
~ 生活クラブ生協 埼玉 での一日 ~


2012年1月24日 13:30~15:30
朝霞市産業センター

午前の部は、「きばる」の生産者を囲む会

前夜の雪が行く手を阻むこの日の始まりでした。

神奈川から東京都を横断していく高速道路は、却って何ということもなく、
高島平で高速を降りてから、朝霞までの道が、ホント、怖かったです。
知らない埼玉の道は、道幅せまく、アップダウンも蛇行もあり、
前夜の積雪も埼玉のほうが多かったようでした。

でも、どうしても、午前中から出向きたかったのです。
午前の部は、「きばる」の生産者によるあまなつの話があり、
私は、その後の第二部を担当する企画となっていたからです。

私自身があまなつの生産者説明会をお聞きしたことがなく、
また、午前だけでお帰りになる方もあるということで、
自慢の購入したての桑原さんの写真をひとりでも多くのみなさんに見ていただきたいとも思っていたこともあります。

前日に、「きばる」から高橋さんがお見えになるということを聞けば、なおさらでした。
高橋さんは、2007年に子どもたちに向けてあまなつの話をいただいた方でもあります。

願いかなって、スリップ事故にもあわず、ちゃんと午前の部に間に合いました。
積雪のために不通になっていた武蔵野線のために、むしろ組合員の方の方が1時間近く遅れて入って見えたのですから、
幸運でした。

 
あまなつ、不知火(でこぽん)を手に説明する高橋さん(左)、隣は御所浦から見えた緒方さん


 
     
会場では、伝えるネットが持参した写真を展示させていただきました。
内心、新しく製作した写真パネルで高橋さんを驚かせたいと思っていたのですが、
この写真をすでには浜松で見た、とのこと。さもありなん。
1月18日に行われた浜松雄踏町で行われた生産者説明会には、
浜松窓口メンバーが写真を持参して高橋さんを迎えていたのでありました。


あまなつは、口じゃなくて、頭で食べる?

あまなつは、田ノ浦で1950年ころに生まれた突然変異種です。
水俣病のいちばんひどいころ、元・漁師たち30軒が集まって生産が始まったといいます。

当時、あまなつの苗木は1本400円。
400円といえば、一日分の日当にあたったというのですから、どれだけ高価であったでしょうか。
苗木を買うために半年出稼ぎに行き、あとの半年であまなつ栽培に従事するという生活だったそうです。
水俣病で海を追われ、あまなつ栽培に甦りを賭けたのが伝わってくるようです。

1977年ごろからあまなつの取り組みが始まり、
当時、「あまなつは口じゃなくて、頭で食べる」と言われたと高橋さんは語りました。
水俣病被害への支援として、あまなつは全国の支援者に買われていったことを、
しかし、高橋さんは「ウソはつづかない」とまとめました。
生産者の甘えを戒め、品質を求める努力を重ねてこられた、と。

その真摯さこそ、水俣の人たちの姿勢、と感じないではいられません。

農薬をかけないことで発生しやすくなるサビダニ病は、ダニの発生によるもの。
新芽によって傷つけられ、細菌がはいりこんでしまうカイヨウ病。
スス病は、虫の排せつ物がついて、そこにカビが生えるもの。
病気の説明をしてくれて、栽培暦みを丁寧にしてくださいました。

その話に時折、水俣病事件の事実が混じってきます。
生活の場面から、ただ水銀が人の目に触れないようにされているだけの埋立地。
生産者の毎日、あまなつの1年と重なって、新たな実感が伝わってくるような思いがしました。

高橋さんたちの話をきいたあとは、あまなつの酸味を使ったちらし寿司のお昼をいただきました。
農薬のかかっていない皮だからこそできるオレンジピール。
そのオレンジピールを使ったスポンジ・ケーキ。
そしてなんといっても、芳醇なジュースをいっぱい盛り込んだママレード。
生活クラブのみなさんの催しは、とっても美味しいから、大好きです。

次は甲府で生産者説明会をされるのだという高橋さんたちとは、そこでお別れしました。


現地の方のあとに、地縁血縁なきものが「水俣」を語る功罪

水俣現地の方のお話のあとに、伝えるネットが話すという企画は、
もしかしたら、主催される側でも思い悩まれたのではないかという気がします。
私たちだって、設立当初ほどの負担感は幾分か薄れたものの、
いまだに、当事者でない者が「水俣」を語っていいのか、という問いと二人三脚なのですから。

地縁血縁がないにもかかわらず、何が、「水俣」に向かわせているか。
もしくは、当時者でない何が「水俣」を引き受け得るか。

やはり、「くらし」だろう、と思う訳です。
同時代に生きるものの場、というか、くらしの場で引き受けるのでなければ、
先駆的に被害を負った人びとに並んでいけない、と思うのです。
そんなことを考えていて、現地・水俣の方の話を受けて伝えていくのであれば、
私たちももっと率直にお話してもいいのではないか、と心を決めたのでした。

「水俣」を語るのであれば、まして、子どもたちに伝えようとするならば、「希望」を語るのでなければならないし、
「希望」をこそ語りたいと願ってきました。
それだけでなく、3.11以降も、「水俣」が伝えようとしていること、私たちが共感で伝えようとしているものは、
何の揺らぎもない、と思っておりました。

それなのに、このところ、ウツウツと思い悩むようになってきていました。
フクシマで起きていること、この国がフクシマでしていることを見ないではいられなくなってきてから。

水俣のみなさんは、「うしてらるるものか」と言われてこられました。
「棄てられるものか」という抗議の言葉です。
フクシマは、その言葉を思い起こさせました。
これは、「棄民」ではないか。

そう思うと、水俣のみなさんの救いとなりうるはずの「同じことをさせない」という誓いなど、
現実的に壊れ果てていると同時に、「棄てられる民」となることの酷薄さについて、思いを馳せる足らなさに気づいたのでした。
それが、どんなにひどいことか思いめぐらせられていたのか。
いま、フクシマで起きていることを見たら、「水俣」を伝えてきて足かけ13年、200回以上の出前なんて、
いったい何だったの、って。

   
当日の様子、偉そうに椅子に座ったまま(左)お話させていただきました。無礼でごめんなさい。


いまこそ水俣で何があったかを知り、くらしに引き受けること

生活クラブ埼玉のみなさんにみていただくために、
水俣病の認定制度と「救済」を振り返るまとめのスライドを用意しました。
今現在、3月で打ち切ろうとされている特措法による「救済」の実態を伝えるスライドも用意しました。
(スライドの作成にあたっては、水俣の医師・高岡滋さんのツイッターのつぶやきを引用させていただきました。)
水俣病事件で何が行われたか、あるいは行われようとしているか、改めてしっかり知っておきたかったからです。
ちゃんと知り直して、それから、同じことがフクシマでなされないか、監視したいと思うのです。

こんな社会にあって、なお、子どもたちに「希望」を伝えられるのでしょうか?
講師としてじゃなく、市民のひとりとして、生活クラブのみなさんに投げかけさせていただいたつもりです。
無名で無力なひとりであっても、何かできることがあるでしょうか?

2,3日経って、追いかけるように、当日話を聞いてくださった方からのアンケートが届きました。

「知らないことがあって、ひとりの力の無力さを感じます。伝えるネットワークの活動・・・すごいと思います」
「当事者でなくても行動できるだけの当事者意識を深く感じたことを、大切に忘れずにいる事がすばらしい」
「水俣を学ぶことはフクシマ後を考えることだし、もっと一般的な社会問題を考えることでもある」
「やはり、こうやって地道に諦めずに伝えていくことの大切さを改めて感じました」
「水俣病のことは漠然と知っていましたが、こんなに深い意味のあるものだったのに驚いています」

訊ねたのは、私のほうでした。
それなのに、アンケートに答えてくださるみなさんは、さらに励まし、答えの先にいらっしゃるようなのでした。
こういうやりとりって、お互いに、無名で無力だと知っているからできるのかもしれません。
そして、こういう相互のやりとりが、無名で無力であるにも関わらず、
何かを動かしていくのかもしれないと思ってはいけないでしょうか?

大きな声で「希望」は語れません。
しかし、「絶望」とは縁遠い、お互いの出会いと営み、つまりくらしのなかの共感はある気がします。




2011.12.9 出前体験感想  その2

2012-01-06 21:15:57 | 出前レポート
2011.12.9 出前体験感想  その2
~ 「水俣」を伝えるプロジェクト at  調布中学校 ~


昨年12月9日に実現した出前活動に参集くださった
埼玉大学教育学部 安藤稔彦先生と大学生17名のみなさんから感想のつづきです。
それにしても、子どもたちのグループ名の命名力の豊かさに脱帽ですね!



グループ「ながお」にて

水俣のことを自分だってまだまだ全然わかっていないのに
子どもたちと一緒に考えることなんてできるのだろうか。
非常に不安な気持ちで今回の会に臨んだ。

子どもたちにチッソについてのイメージを聞いたところ、
「絶対にゆるせない」「社長を殺してやりたい」といった感想が多かったため、
誰が悪い誰が悪くないとは割り切れるものではなく、
いろんな人がそれぞれ一生懸命頑張っていても起こってしまうことがあるということ、
答えはいつでもあるものではなく考え続けていくしかないのだということを
子どもたちが少しでも感じてくれたら自分としては成功かなと思っていた。

最後の全体会の時に他の班の女の子が「複雑だなあと思いました。」と言っていたが、
これが班の子どもたちに私が感じて欲しかったことだと思った。

どうして複雑なのか、なにが解決なのか、そんな難しいことは私もまだまだわかっているとは全く言えないし、
中学生に一日で理解して欲しいとは思っていない。
「複雑だな。」「難しいな。」そう思ってくれたらこれからに繋がるのではないかと思う。

正直、中学一年生がどのようなことを考えていてどのような内容や言葉なら理解できるのだろうかということが
分からなくて困った。
私にも中学一年生の妹がいるが、その妹と話すときは困らない。
初めて会う子どもだということで戸惑ってしまったのだが、
もっといろいろなことを話していろいろなことを一緒に考えられたら良かったと思う。

水俣を学ぶ者としてだけではなく、教育学部の学生としても非常に良い機会をいただけたと思っている。
ありがとうございました。


グループ「たまごかけごはん」にて

先日は大変お世話になりました。
中学生の方々との交流がとても新鮮で元気をもらいました。

私が特に感じたのは中学生の皆さんが教師とも親とも違う大学生の存在にとても関心を抱いていることです。
私自身もそうだったのですが、今の中学生は見も知らぬ大人と関わることが少ないように思います。
また、大人のようで大人ではない大学生に親しみと警戒心を抱いているような、
そんな表情をしていたことが印象に残っています。

さまざまなことを日々取りこんでいく彼らに、より多くの出来事と、温かく成長を見守っていく先生や親、
仲間や多くの人とともに大きくなっていってほしいと思います。

このたびは貴重な体験をさせていただきました。本当にありがとうございました。





グループ「何も思いつかないパティーン」にて

まず、感じたのは体験したことをリアルに伝えることの難しさでした。
自分が体験したことのないことに興味を持って話を聞くというのはめったにないことだと思います。
その話に魅力があればもちろん興味を持って貰うことはできると思います。

私が中学生に興味を持って貰えるような工夫がもっとできれば良かったのですが、
その工夫や準備がきちんとできずに、上手く話ができなかったことを残念に思いました。

また、せっかくの機会をいただいたのに自分が感じた水俣の魅力を上手く伝えられなかったことが心残りです。
今後、またこのような機会があるとするならば、相手は今どこまで水俣学習をしているかなど、
事前にわかることは知っておき、その上でどの切り口で話をしていくのかを考えるべきだと思いました。
そうすれば、どんな反応が返ってくるかや、質問されるであろうことも想定でき、
こちらの伝えたいことも上手く表現できるのではないかと考えました。

今回機会をいただけて、本当に勉強になりました。
私は将来教師になろうと思っており、授業で水俣を扱いたいと思っていたので、貴重な経験をさせていただきました。
今回は思ったように伝えられなかったと悔やむことばかりでしたので、
もっと勉強して田嶋さんのように人を惹きつけられるような話ができるようになりたいと思います。
このような機会を与えて下さり本当にありがとうございました。

子どもたちが作ってくれた頭文字をつなげると水俣になるグループ名や、
寒い中外で出迎えてくれた細かい心遣いもとても嬉しかったです。


グループ「なんでやねん」にて

先日はお世話になりました。
私が水俣を学び始めてから3年がたちますが、今回始めて自分自身が水俣病を伝えるという立場に立ったような気がします。

普段は水俣を訪れ、伝えていただくことで終わりにしてしまっていましたが、
今度は伝える立場に立つのは私たち自身であるということを改めて実感しました。
プログラムの最後の感想で、これから伝えていくのは自分たちだと言ってくれたことがとても印象に残っています。
将来、教職を目指す私にとって、このような子どもたちのために水俣病に限らず、
さまざまなことについて伝え、一緒に考えていくという姿勢を忘れないようにしていきたいと思いました。

そして、伝えることの難しさもとても感じました。
うまく話を振ることができなくて、なかなかみんなで話しあうことができなかったりで、
力量不足ではありましたが、短い時間の中で何か一つでも感じ取ってもらったり、
考えてもらうことができたらなと思います。

田嶋さんがおっしゃっていたように、一方的に伝えるのではなくて、
一緒に考えていくことで、子どもたちの学びにとどまることなく、
私たち自身の学びにもつながり、今回のように水俣病のことから、
差別の問題だったり色々な身近な問題と結びつけて考えていくことができることにも気づかされました。

今回は、子どもたちに伝えるというよりも、私自身が子どもたちから多くのことを気づかせてもらったような気がします。
また、機会があればぜひ関わらせていただけたらと思います。
ありがとうございました。 


グループ「中島くん」にて

調布中学校への出前授業は初めての試みで、とても緊張した上に失敗ばかりのものとなってしまいましたが、
このように上手くいかなかったことも含めて自分にとってとても良い経験になりました。

私が担当したのは中島くんチームでした。
そこにいた7人の中学生は水俣病について学び始めたばかりで、
どのように自分の考えを言葉にしたらよいのかわからない様子でしたが、
正直な思いを話してくれたり、一緒に考えたりすることができました。

また彼らの中ではまだいまの水俣がイメージできないという感じていたようだったので、
私は自分が水俣へ行ったときの写真(海で遊んでいるものばかりでしたが)を見せながら、
みんなが初め持っていた水俣病へのこわさや暗いイメージから少しでも今の水俣、
カラーの水俣を感じてもらおうと説明しました。

そして、グループのある子が水俣を学ぶ前と学んだ後での印象の違いとして、
こわいイメージだったものが、今では水俣には優しい人がいるということを知ったと言ってくれていて、
単純に嬉しかったです。

私は水俣病を学んで今年でもう3年が経ちました。
そして、私たちは水俣病に関わるたくさんの方々からたくさんのメッセージを受け取ってきました。
こうやってたくさんのことを伝えてもらってきたわたしたちがこれからやっていくべきことは、
私たちが伝えられたことをまた次の世代へ伝えることだと思います。
水俣合宿の中で伝えることの大切さについては、度々議論にあがっていましたが、
今回はその大切さを改めて感じられた時間でした。

またこのような機会がありましたら、是非とも参加させてください。ありがとうございました。




グループ「た○あ○応援隊」にて

水俣を伝えるということの難しさを身をもって実感できたと思う。
限られた時間の中で本当に少ししか話すことができなかった上、
できるだけ多くのことを伝えようとして自分一人で演説状態になってしまったりと、
至らぬ点は数えきれないほどあった。
時間が許せばもっと多くの写真や実際に行ったことなどを披露できればよかったが、
満足にできなかった点が本当に悔やまれる。
それでも中学生たちが、“教科書の数行・数ページにも満たない水俣病についての中には、
想像以上のことが詰まっている”ということに少しでも気づいてくれていればとうれしく思う。




グループ「みのもんた」にて

先日は、素敵な時間をありがとうございました。
私は今、学部3年生であることから、進路の選択に迫られながら生活しています。
その中で、1年生の頃から関わり続けている水俣での経験を、どのように生かしていくのか、
というのは自分の中でのひとつの課題でありました。

教師として、なおも続く公害とその影響をどのように子どもたちに伝えていくのか、
田嶋さんのお話を聞いていてそのヒントをいただいた気がしました。

また、グループでの話し合いの中での子どもたちの反応は本当に素直なものばかりで、
かつて自分が水俣について学習し始めたときの気持ちを思い起こさせるものがありました。
今、当事者の方たちとも関わらせていただく中で、
ある意味では自分の抱く感情に抑制がかかってしまっている部分があるからそう感じたのかもしれません。
素直な自分の感情を、もう一度振り返って考えてみようと思うきっかけになりました。

そして、教師を目指す上で、"伝える"ということは何に関しても同じなのだということを学びました。
田嶋さんの「水俣を"伝える"」、西牧先生の「想いを"伝える"」ことは、
子どもたちに必ず届くものだということがわかりました。

さまざまな事情を抱える子どもたちが増えている今、
1人の教師として、大人としてどのように関わっていけばいいのか、改めて考えていきたいと思います。
今回の出会いを機に、またなんらかの形でお会いできることを楽しみにしております。
本当にありがとうございました。  


グループ「Taopaipai」にて

基本的にはあまり上手く話を引き出すことが出来なくてごめんなさいというのが最初に来てしまうのですが、
それでもそれぞれの仕方で水俣と向き合っていた姿が印象的でした。
特に写真を見に行ったときのみんなの顔がとても印象的で、
写真に閉じ込められた歴史を一つ一つ噛み締めているんだなぁなどと感じていました。
僕が中学生の頃だったらああいう対象との向かい合い方は果たして出来ただろうかと自分自身に問い返す機会にもなりました。
貴重な機会と出会いをありがとうございました。


そして、グループ「ミケランジェロ」にて参加してくださった安藤先生から

他はフレッシュな学生さんたちなのに、うちだけオヤヂが担当になってしまい、
中学生の皆さんにはひたすら申し訳なく思いました。
反貧困ネットの佐藤さんがサポートに入ってくださったのがせめてもの救いでした。

何よりも寒い一日で、体育館での話し合いはちょっと大変でした。
それでも、最後までつきあってくださった皆さんに拍手です。
「そもそもなぜ汚水を海に流してしまったのか」「なぜ人を人と思わなくなったのか」などなど、
大切な疑問がいっぱい出されました。
そういう大事な問いを丁寧に考えていくことこそが学びとして大事ということをお伝えしたかったのですが、
うまくいったかな?

いずれにしても、皆さんと交流できたことは、私たちにとってほんとうによい体験となりました。
田嶋さん、西牧先生、奥田さん、そして調布中の関係者の皆様に心より御礼申しあげます。





実は、いつから「大人」なのか、「大人」になるとそんなふうになるのか、私もいつも思っています。
みなさん、子どもたちの疑問や考えは、はるかに年上の私を揺さぶるほど意志に満ち、
弱い者への優しさに満ちています。
そのまま大人になるなら、なれるなら、みなさんの手で社会は変わります。
きっと。
今回、埼玉大学教育学部のみなさんと調布中の子どもたちと持った「水俣」を伝えるプロジェクトは、本当に意義ある取組みでした。
すべてのみなさんに感謝を。

そして、最後に、「大人」とは何かを問うこの問いかけを学生のみなさんと共有しようと思います。
私が「大人」ではない、などと言ったら、「いいかげんにしろ」と言われてしまいますね。
だから、私は、自分の責任ということを考えています。
伝えるネットの活動は、その責任の取り方の一つだと思っています。
ですが、みなさんに「水俣」を伝えるとき、子どもだから大人だからというような隔てを考えたことはありません。
ありのままの私の魂から伝えたいと思っています。

魂、などと、大袈裟でしょうか? 
水俣には「魂、うつれ」という言い方があるのだそうです。
可愛くてならない幼子の額に自分の額をくっつけて「魂、うつれ、うつれ」とあやすのだそうです。
私は、「うつれ」と願うことのできる魂をもった大人になりたいです。


 


2011.12.9 出前体験感想  その1

2012-01-05 22:02:08 | 出前レポート
2011.12.9 出前体験感想  その1
~ 「水俣」を伝えるプロジェクト at  調布中学校 ~


早めに記事のアップをしたかったのですが、年越ししていましました。
本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。



さて、昨年12月9日に実現した出前活動に参集くださった
埼玉大学教育学部 安藤稔彦先生と大学生17名のみなさんから感想が届きました。
子どもたちからも感想が届きました。
この記事と次の記事の2回にわけて、ご紹介します。
私たちは、子どもたちの感想を読むことで、「水俣」を学び直します。
気づきをもらい、問い直します。

調布中では、1クラスそれぞれ4グループにわかれ、5クラス20グループで、
さまざまな「水俣」が語り合われました。
子どもたちは、事前のグループ分けにのぞみ、そのためだけのグループに名前を付けました。
名前の頭字は、「み・な・ま・た」となっています。
各グループに参加したみなさんの感想です。


グループ「ミルキーウェイは荒井の味now」にて

中学生の前で、しかも40分間という長い時間、自分が中心となって話をし伝えるという経験は、
私にとって初めての経験でした。

まず反省点として挙げられるのは、もっと計画をきちんと練ってから、
この出前授業に臨めばよかったということです。
行き当たりばったりで、「水俣」について伝えることは私には無理でした。
まだまだ伝えたかったこともたくさんあったのに…と後悔しています。

また、私たちの班ではいじめ問題についてみんなで話し合いました(話し合おうと計画していたわけではなく、事の成り行きでそうなりました…)。
いじめ問題というとてもセンシティブな問題にもかかわらず、
私はずかずかいろいろなことを生徒たちに対し質問していました。

「どうしてその子をいじめるの?」「その子のどんなところが嫌なの?」と。
まさか、自分のグループにそのいじめの対象の子供がいるだなんて思ってもみませんでした。
本当に自分の配慮が足らなかったと反省しています。

ただ、話し合いの過程で、現代の障害者に対する差別や、
水俣病でおこった差別を関連させて話し合いを続けた結果、
そのいじめられていた子が会の最後に挙手をして、「差別はいけないことだ」と発言してくれたり、
学習の時にふざけ気味だった生徒に「ありがとうございました」と言ってもらえたことは、
私にとってとてもうれしい出来事でした。

学習会が終わった後、いじめられていた子が発達障害を持った生徒であると知り、
この調布中の私の班で見られたケースは決して特殊なケースではなく、
どこでもおこりうるケースであるなと思いました。

将来私は教師になろうと考えています。
もし、私が教師になった時に、このようなケースと出会ったら私はどのように対応するのか。
その答えはまだ私の中で出ていません。

しかし、今回調布中で経験したことが、この問題について考えるきっかけになりました。
今回は貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。




グループ「まつとしき」にて

先日はありがとございました!
水俣のことを伝えることを大事にしたいと思っていた私はこのような機会があるとは思っていませんでした。
でも何を伝えるかというのはとても難しいところでした。

やっぱり中学1年生であり討論などはあまり経験はないと思います。
それでも一生懸命リアクションしてくれました。
少しでも全然いいのです。

子供達から私にはなかったような視点(水俣は明るいイメージ,患者さんは頑張ってて偉い)を聞き、
患者さんの強いところをしっかりわかっているなというところ、とても感動しました。

でもやっぱり満足できる討論にはなりませんでした‥落ち度は私にあります。
それでもこたえようとしてくれた生徒達に感謝です!!
ありがとうございました。



グループ「まりもっこり」にて

先日は貴重な機会をいただきありがとうございました。
水俣病を学習していくにつれて、漠然ですが、
将来もし教師になったら水俣病について子どもたちに教えたいと思っていました。
そして今回、教師ではなく学生という立場からですが、
子どもたちと一緒に学習をする機会をいただけたことは、私にとって願ってもないことでした。

正直、何をどう伝えればいいのか、子どもたちはどれくらい積極的に学習に取り組んでくれるのか、
分からないことだらけでした。
いざ、グループ学習を始めてみると、私の小難しい話に対して、目を見て聞いてくれたり、
相づちをしてくれる子ばかりで嬉しかったです。

同時に、自分ばかりが話しをしてしまい、
なかなか子どもたちに考えさせるような問いかけができなかったことを悔やんでいます。
なんとか最後の5分くらいで、『誰が今後、水俣病を伝えていくのか』を問いかけました。

最初は、水俣市民・遺族や親族・水俣病に興味がある人など、同じ日本で起きた公害なのに、
どこか他人任せな意見が多かったです。
もちろん、私が彼ら位の年齢だったらこのように答えていたと思います。
しかし、他の何人かから『自分』という答えが出てきた時には、驚きながらも嬉しかったです。

水俣病は複雑な問題です。

わたしも調布中に行くまで、まだまだ水俣病の学習を始めたばかりで知識も乏しい自分が水俣病について
中学生に話していいものか悩みました。
でも子どもたちの意見を聞きながら、事実を全て知らないと語れないというのは間違いだと思いました。
知ることも大事だけど、少しでも知ったことを誰かに伝えることの方が大切なのではないかと
改めて考えさせられました。

伝えるというと、おそらく子どもたちは、田嶋さんのようなスタイルをイメージしたでしょう。
しかし、それだけが手段ではないことの意味を含めて、
家に帰ったら今回の水俣学習のことを家族に話してみてほしいと最後に子どもたちに話しました。
ぜひ、家族に話してくれた子がいたらうれしいです。

今回は本当に私自身、改めて気づくこともあり、いろいろと勉強になりました。
またこのような機会がありましたら、ぜひ参加させてください。





グループ「魂の叫び声」にて

先日は貴重な体験をさせて頂き、誠にありがとうございました。
うまく伝えられたかどうかわかりませんが、少しでも中学生達の学習のためになれていればうれしいです。

私がみんなに伝えたことは、必ずしも「水俣病」についてではなかったような気がします。
というのも、私の水俣学習を通して学んだこと、そして伝えたいと思ったことが、
「水俣病」という病についてではなかったからです。

水俣学習を通し、私は会社や地域・行政・国などの社会や、苦悩する人々、
さらには権力に立ち向かう人々について知るようになりました。そして気づいたことが二つあります。

一つは、人が人の思いを受け取れなくなってしまったからこそ、
水俣病がこんなにも多くの人を長い間苦しめてしまったのではないかということ。

そしてもう一つが、人が人の思いを受け取れなくなってしまっていることは、
私たちの日常にも言えることであるということです。

だからこそ、私はみんなに人の思いを大切にしてほしく、みんなの日常で起こっていることを題材に、
できるだけみんなと一緒に考えながら、私が水俣学習を通して学んだことを伝えようとしました。

私自身、人の思いを受け取れているかといえば、そうでないときの方が多い気がします。
調布中学校のみんなを含め、多くの人と思いを受け止め合えるように日々を過ごしていきたいと思います。

最後に、貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
人の思いを受け取るというのは正にお二人のおっしゃっていたことなのだと思います。
人の思いを受け取れるように、まずは思いに気づけるようになりたいです。





グループ「Mario Brothers」にて

先日は、出前授業に参加させていただき、ありがとうございました。
貴重な経験ができたと思っています。
中学生との交流は、水俣学習を始めたばかりの自分を思い出させてくれました。
自分も何も知らなかったな、と。

しかしその反面、今の中学生たちは、私が中学生のときよりも、
水俣病に対する意識が高いように思えました。
それは、もちろん子どもたち一人一人の姿勢によるものでもありますが、
やはり先生方の水俣病学習への強い姿勢がそうさせたのではないかと感じました。

また、私は反省会のときの西牧先生の発言に感動しました。
今まで私はずっと生徒側の立場で、
先生の気持ちはほとんどと言ってよい程考えたことがありませんでした。
しかし、西牧先生の意見を聞けたおかげで、
先生たちがどう生徒と向き合っているのかが少しわかった気がしました。
教師を目指すからには、これからは私も生徒のことを考える立場になっていかなければならないのだなと
実感しました。

最後に、田嶋さん西牧先生、そして調布中学校の皆さま、本当にありがとうございました。



グループ「マイメロディ」にて

始めに、子どもたちに水俣病のことについてどれくらい知っているのかを訪ねてみると、
小学校の教科書に載っていたということでした。
そこで、その時水俣病についてどう思ったのかと尋ねてみると、
1人の男の子から「怖いイメージ」という返事が返ってきました。

また、いづみさんの講義の内容についての感想も聞いてみると、
やはり怖かったという返事が多く聞かれました。
特に、ネコが狂い踊っている様子や、痙攣している人の様子が衝撃的だったようです。

今回の交流で、私のグループでは、子どもたちから様々な感想や、
考えを引き出せなかったということが私としては後悔しているところですが、
子どもたちが言っていた水俣病に対する「怖い」というイメージは、きっとすごく素直な感想で、
改めて、水俣病というものがどういう風にとらえられているのかということを
知ることができたように思いました。

また、今回の交流ではお互いに緊張の中で、うまく会話ができなかったという反省があり、
どうしたら子供ともっと距離を縮めて話すことができただろうかということは、
もっと考えたいと感じています。

最後の反省の中で、「教育は時間のかかるもの」というお話が出ていましたが、
今回のこういった交流の中で、私が関わることのできた子供たちのなかに、
水俣病問題というものが少しでも残り、忘れられないでいてもらえるとうれしいなと思いました。






グループ「たこやき」にて

中学生に質問を投げ掛けるのはとても難しかったです。
でも、私にとってもとても貴重な時間でした。
「水俣病の人は今どんな想いで生きているのだろう」とみんなで考えました。

プログラムが終わったあとの片付けの時間に、グループの女の子がもう1回会いに来てくれて、
話している中で「私にできることないかな。水俣に行ってみたい。私は差別しないで見たいな。」
と言う女の子がいました。

伝えるネットの方のお話をきいて思ったその気持ちを素直に言えるなんてすごい!と思いました。
私自身、大学で改めて水俣病についてのことを知ったり水俣の人にお話を聞いたりして、
複雑な人間関係や利害関係を知り、自分にできることはないだろうか、
と思っても簡単なことじゃないから、と最近では安易に言えないと無意識に思ってしまいます。
でも、私もお話をきいて思う素直な気持ちをまずは大事にしたいなと思いました。
先生方、中学生のみなさん、このような機会をありがとうございました。



グループ「ミラクルたいち&村田」にて

私はミラクルたいち&村田というグループで討論をさせていただきました。
自分が討論の内容を引っ張りすぎてしまい、
生徒さんの心からの自主的な考えを遮ってしまっているのではないかという不安がありました。

少し強制的に意見を聞く形にはなっていしまいましたが、
(時間内にある程度の気持ちを聞きたいという思いが先走っていました。)
生徒さんの口から発せられる気持ちを聞くことができたので、良かったと思っています。

私たちのグループでは2つの立場になって水俣病を見るという討論の内容でした。
1つ目は水俣病患者としての立場、もう1つはチッソの社員としての立場としてです。

1つ目の水俣病患者としての立場だったらというという質問に対して、
生徒さんはチッソに対しての憤りをぶつけていました。
工場に対して石をなげる、半分冗談でおっしゃったと解釈しました、
殺したいと思いも伝えてくれました。
そういう憤りをもって考えられるということは、
水俣病患者さんがどういう思いなのかと考える過程がなければ、なしえない部分だと考えます。
水俣病と生徒さんの距離が縮まったなと感じました。

2つ目のもしチッソの社員だったらという質問に対しては、
最初水銀を止める、社長に訴えるなど個人として自分がどうあるべきかと考えていました。
そこで再度じゃあ子どもや奥さんがいて養っていかなければいけない状況だったらどうする?
という質問をしたところ、生徒さんの反応は一瞬止まっていました。
しかし、時間がたってから社員皆で力をあわせて訴える、社長に直接言うのは怖いけどそれでも、
自分で会社を辞め水俣病患者さんのために働くという新しい、さらにレベルアップした考えが出ました。

私は生徒さんからこのような考えを聞けるとは思ってもいませんでした。
生徒さんが一生懸命様々な人の気持ちになって考え、どうするべきかを考えてくださっていて、
とてもうれしく思いました。
水俣病という今も進行中の事件について知り、
またそのことを知ることで人の気持ちを考えることを体験するという重要性を再認識しました。

また、あるグループ内の生徒さんが「大人になったら水俣に行ってみたい。行かないとわからないから。」
という言葉にも感動をしました。
まさにそのとおりだと感じました。
水俣病だけではなく自分が知らないことをより身近に感じるためには、
自分をその地に置くことで、距離感を縮めるしか方法はないと思います。

インターネットやテレビ、新聞などとメディアはたくさんありますが、
自分が直接赴いて得た情報が一番だと考えます。
個人的に、この討論を通して「学びの継続性」というものをどうするべきなのかを
もっと考えていかなればいけないなと感じました。

わたしは生徒さんと会い、生徒さんが水俣に対しての想いが芽生え、
距離感が縮まったことにとてもうれしく思いました。
しかし、一方でこの想いはいつか消えてしまうのだろうか、
なんだかもったいないなとしみじみと感じました。

どうか今回の討論で抱いた水俣病への思いを継続して持ち続けてほしいと感じました。
また、教育者になるものとして継続性をどう達成するかを今後考えていきたいと思いました。

今回の討論で、私は私の知っている水俣を伝えるという目標がありました。
しかし、逆に生徒さんに伝えられた部分が実際は多かったのではないかと感じています。
自分が討論することで生徒さんに水俣について伝えられたのか自信はありませんが、
生徒さんの考えて出された水俣病に対しての気持ちを知ることができただけでも
私は嬉しく思いました。

気持ちだけではなく、今後こうしたいんだという思いも聞けて、
私も生徒さんに負けないくらい頑張らなきゃなと学ばせていただきました。
ありがとうございます。
寒い中、勉強で忙しい中討論をさせていただき本当に本当にありがとうございました。



グループ「Mitoro」にて

自分が中学生だった頃を思い返すと、授業の中で知識としてほんの数分学ぶだけだった水俣病に
田嶋さんのお話を通して触れる中学生を見て、素直に羨ましいなと思いました。

真剣に聞いている姿や、グループに分かれて大学生に質問している姿を見ると、
社会問題が単語としてだけでなくて、
気になることとして立体的に中学生達の中に伝わっているのかもしれないと感じることができました。

私のグループでは、体育館に飾ってある写真の中から気に入ったものを選んでくるということをしました。
それを選んだ理由も言ってもらったのですが、それぞれ選んだ写真も理由も違って、
とても興味深かったです。

中学生が言ってくれたことにハッと気付かされることも多くありました。
中学生達が持った水俣病の印象が選んだ写真に反映されている気もしました。
言われたから無理やり選んだという子もいたかもしれませんが、
とっさにでもその写真を言うということは心のどこかでそれが一番ひっかかったのだと思います。

私の力不足で議論があまりうまくいかず反省点は多々ありますし、申し訳ないことをしたと思いますが、
一緒にあの空間を共有して、話せたことはとてもうれしかったです。

水俣病にまた何かで触れた時に、
知識だけではなくてチラッとその写真のことや田嶋さんのお話のことが浮かんだりするだけで、
他の社会問題などの捉え方にもつながっていくのかもしれないと思いました。
とても良い経験ができました。ありがとうございました。







どうして熱いかって訊かれても・・・。
自分の気持ちをさぐってみれば・・・・、第一に子どもたちをとても大切に思っているから。
これからの未来を活きていくあなたたちを思えば、熱くなります。
それから、「水俣」に学んだことが、私に生きる勇気や、生きる意味や行方を教えてくれていると思うから、かな・・・。
とてもちっぽけな自分を感じれば、そんな気持ちがどんなに大切かしみじみとしてきて、
一緒に頑張ろうねぇ、って思えて、それが熱いって感じられたのかも。
体育館いっぱいにみなさんが広がって、学生のみなさんが一生懸命語りかけて、
それを囲んでいる子どもたちの様子は私の心を熱くしましたよ。