フォトシティさがみはら受賞作写真展
視覚障がい者とともに写真を楽しむ
~ 2014年10月17,18日
まだまだ、26日も27日もあるよ ~

尾崎さんは、すっごく緊張して会場にやってきたと言いました。
会場の入り口で撮った写真、尾崎さんの緊張が写っているかも。
振り返ってみると、尾崎さんをかばうつもりで、せっかくのガイドの機会をわたしが奪ってしまったのではないか、と反省しています。
尾崎さんが気に入ったという、林ナツミさんの『本日の浮遊』語ってもらえばよかったな、ごめん。
数え直してみたら、視覚障がいのみなさんを写真展会場にお誘いするようになってから、5年目だった!
5年目にして、ガイド・ボランティアに交通費補助が出るようになりました。
5年目にして、「ガイドでやかましくくてごめんなさい」の断り書きが、フォトシティのマーク付きで貼りだされるようになりました。
だけど・・・・。

この「断り書き」ちょっと違うんだよな~。
「静かにしてほしい」んじゃなくって、「気をつけるけど、うるさかったらゴメン」ってニュアンスの断り書きをしてね、って頼んだんだよ。
初めて取り組んだ年に、居合わせた男性に「うるさいっ!」って叱られたから。
静かに写真を見たいひとの邪魔をしたくない、で、気をつけるけど、ご理解を、っていうことなのに、な。
でも、ま、ひとつひとつ積み重ねていくんだから。
5年目の今年は、高校生も参加してくれて、桜美林の大学生も参加してくれて、チーム・フォトシティになれた感じがします。
作家さんとのコミュニケーションあればこそのガイド
もちろん、視覚障がいの友人たちを迎えるために、いろいろと準備をします。
検索したり、関連をさぐったり、事前の作品理解が必要だと思うので。
だから、いつも、受賞作品集や、ガイドブックが、どれこそノドから手がでるほど欲しいと思います。
しかし、ガイドブックは直前にならないと手に出来上がらないし、写真集が受賞の対象であるにもかかわらず、写真集は1冊しかなくて、事前にわたしてもらうことができません。
せめて、市内3館ある図書館用に買ってくれて、そのうちの1冊を、ガイド用に事前に貸してもらえないだろうか、、、と、いつも思います。
だから、いつも、不安な気持ちで写真展の開催を迎えるのですが、それを補うのが、授賞式での作家さんたちの言葉であり、授賞式に合わせて行われるシンポジウムであり、レセプションでのわずかな会話です。
授賞式翌日に行われるギャラリー・トークも大きな助けとなります。
審査員のおひとりでもある東京都写真美術館の笠原さんの造詣の深いトークによって浮かび上がってくる写真作品の解釈、作家さんたちの考えや気持ち。
そのひとこと、ひとことを、視覚障がいの友人たちのために刻みます。」
そうすると不思議です。
写真作品が、文字通り奥行きを深くしていって、友人たちに、こう、手のひらに乗せて語れるような気分になってくるんだよね。
(あくまで、気分、気分ですよ)
GAMAの撮影開始のためにユタさんにご宣託をもらったというオサム・ジェームズ・中川さん。
そっか、あれは、ガジュマルの根っこなのね、とか。
考えてみれば、ずいぶん失礼な質問を林典子さんにしてしまったよう。。。
「誘拐の場面では、写真を撮るより人間としてすることがあるように思えますが」とお尋ねすると、30歳になったばかりの白く張りのある美しい横顔の国際フォト・ジャーナリストの彼女は、「介入することで事態が変わるかどうかを判断しながらシャッターを押す」と気負うのでもなく、自然に答えてくれました。
誘拐結婚のあきらめたような、呆然とした失意の表情の花嫁が、やがて母親の表情に変わっていくのを捉えた写真家は、でも、なお、いのちを絶って結婚を拒絶した娘の墓と、その前で泣き崩れる婚約者の写真を、写真展の最後に置く、と毅然と語りました。
林ナツミさんは、写真と同じようにおちゃめな感じがする、彼女も美しく毅然とした感じのする女性でした。
WEBで作品を発表し始めたという経緯も、写真に刻んでいく「ウソ」の「浮遊」も斬新です。
高校生の尾崎さんも、翌日のガイドとなったお二人の桜美林大性も、「浮遊」作品のファンとなりました。
でも、「お皿からパンを落とさないように緊張した顔をしている」というガイドは、ご本人だからこそ、できるガイドです。
ナツミさんが、視覚障がいの方に作品を伝えたいと積極的に思ってくださっていることが伝わってきて、本当にうれしかったです。
いつも、視覚障がいの友人たちが口にしてくれています。
伝えようとしてくれている、自分たちの存在に気づいてくれている、それがうれしい、と。
ナツミさんらしい伝え方が、思いもかけない方法で生まれてくるような予感がします。
あらためて、フォトシティさがみはら写真賞の受賞者は、受賞作品は、素晴らしいですよ!
→ ふたたび、こちらをどうぞ。
写真の前のコミュニケーションで、写真がみえてくる
作家のみなさんからヒントをいただいて、ガイドに取り組んで----。
視覚障がいのみなさんとともに、って、それだけで終わらない、ということを実感したのは、桜美林のお嬢さんたちのガイドを目撃したからです。
そこで、楽しく笑い声を立てた視覚障がいの外山さんを目撃したからです。

桜美林の学生さんは、お二人とも気持ちの良いお嬢さんたちでした。
ひとりは、奄美大島出身の方。
もうひとりは、なんと、内モンゴルから日本に留学している中国の方でした。
そのお二人が一生懸命伝えてくれたから。
その上に、おふたりとも、それぞれの心を開いて写真から感じ取るものを素直に語ってくれたから。
どんなに鮮やかに外山さんの前に写真が拡がっただろうかと思います。
いあ~、奄美大島ガジュマルの木にすむ「ケンムン」の話は、写真展会場をガマにしてしまったんじゃないでしょうか?
中川さんのGAMA=ガマのなかには、ガジュマルの根が天井をはい、そのひげ根が幾筋もしだれさがっています。
本当は、暗くて見えないガマの内部が、長時間露光と、その写真の中に映し出されていないけれど、確かにいる中川さんの照らし出す懐中電灯によって撮影されています。
奄美大島出身の彼女は、ガジュマルの根に、ガマに隠れた沖縄のひとはガジュマルに癒されただろう、と語ったのでした。
ガジュマルはとても太くて、「ケンムン」とよばれる木の精というか、妖怪が住んでいる、と教えてくれました。
「ケンムン」は手足がとても長くて、ガジュマルをぐるりと手で抱くことができる。
ガジュマルを丸く腕で抱いて手を合わせさせて、その手を釘で打ち付けるのだ、と。
そうすると、「ケンムン」は動けなくなって死んでしまって退治できる。
だから、ガジュマルの木には釘が打ちつけてある、釘の打ち付けられたガジュマルには、もう妖怪はいず、悪さをすることがない、と。
自分の通った幼稚園のガジュマルは、みんな釘が打ちつけてあった、と。
ガマに隠れた沖縄のひとたちは、そんなガジュマルの木々囲まれていたのか、洞窟の暗闇に思いを馳せました。
もともと中川さんのGAMAの写真は、目で見えないものを見ようとする写真たちです。
写真を隅々まで言葉で追いながら、言葉を探しながら細部まで目を凝らしながら、さらにガジュマルと「ケンムン」の語りをきいて、女子大生のすがしい語りをきいて、外山さんの笑い声をきいて、写真展を堪能することができました。
内モンゴル出身のお嬢さんは、「内モンゴル出身というと馬に乗れるでしょう?」なんて訊かれて弱る、と言っていました。
ネパールの遊牧民の暮らしの写真のように。
そして、マンション暮らしの自分に、馬に乗れるはずがない、と笑うのでした。
そう、どこでだってコミュニケーションです。
写真を見ることも、鑑賞することも。そう思えます。
最後は、なぜ跳んでいるのを見ると元気がでるのだろうと、ワイワイ言いながら、林ナツミさんの作品を目いっぱいガイドし合いました。
そのうち、跳んでいるのにどうして髪は揺れていないのだろう、と、「この写真は跳躍後か、跳躍前か、と好奇心を発揮。
わたしたちも浮遊写真を撮ろうっ!、となって、創作意欲までいただいたのでした。
この日帰りがけの外山さんです。
ナツミさんの浮遊写真の前で記念写真です。

これは、わたし、と。
お嬢さんたちとの記念写真は、宝物なので、外山さんだけに、ね。
視覚障がい者とともに写真を楽しむ
~ 2014年10月17,18日
まだまだ、26日も27日もあるよ ~

尾崎さんは、すっごく緊張して会場にやってきたと言いました。
会場の入り口で撮った写真、尾崎さんの緊張が写っているかも。
振り返ってみると、尾崎さんをかばうつもりで、せっかくのガイドの機会をわたしが奪ってしまったのではないか、と反省しています。
尾崎さんが気に入ったという、林ナツミさんの『本日の浮遊』語ってもらえばよかったな、ごめん。
数え直してみたら、視覚障がいのみなさんを写真展会場にお誘いするようになってから、5年目だった!
5年目にして、ガイド・ボランティアに交通費補助が出るようになりました。
5年目にして、「ガイドでやかましくくてごめんなさい」の断り書きが、フォトシティのマーク付きで貼りだされるようになりました。
だけど・・・・。

この「断り書き」ちょっと違うんだよな~。
「静かにしてほしい」んじゃなくって、「気をつけるけど、うるさかったらゴメン」ってニュアンスの断り書きをしてね、って頼んだんだよ。
初めて取り組んだ年に、居合わせた男性に「うるさいっ!」って叱られたから。
静かに写真を見たいひとの邪魔をしたくない、で、気をつけるけど、ご理解を、っていうことなのに、な。
でも、ま、ひとつひとつ積み重ねていくんだから。
5年目の今年は、高校生も参加してくれて、桜美林の大学生も参加してくれて、チーム・フォトシティになれた感じがします。

もちろん、視覚障がいの友人たちを迎えるために、いろいろと準備をします。
検索したり、関連をさぐったり、事前の作品理解が必要だと思うので。
だから、いつも、受賞作品集や、ガイドブックが、どれこそノドから手がでるほど欲しいと思います。
しかし、ガイドブックは直前にならないと手に出来上がらないし、写真集が受賞の対象であるにもかかわらず、写真集は1冊しかなくて、事前にわたしてもらうことができません。
せめて、市内3館ある図書館用に買ってくれて、そのうちの1冊を、ガイド用に事前に貸してもらえないだろうか、、、と、いつも思います。
だから、いつも、不安な気持ちで写真展の開催を迎えるのですが、それを補うのが、授賞式での作家さんたちの言葉であり、授賞式に合わせて行われるシンポジウムであり、レセプションでのわずかな会話です。
授賞式翌日に行われるギャラリー・トークも大きな助けとなります。
審査員のおひとりでもある東京都写真美術館の笠原さんの造詣の深いトークによって浮かび上がってくる写真作品の解釈、作家さんたちの考えや気持ち。
そのひとこと、ひとことを、視覚障がいの友人たちのために刻みます。」
そうすると不思議です。
写真作品が、文字通り奥行きを深くしていって、友人たちに、こう、手のひらに乗せて語れるような気分になってくるんだよね。
(あくまで、気分、気分ですよ)
GAMAの撮影開始のためにユタさんにご宣託をもらったというオサム・ジェームズ・中川さん。
そっか、あれは、ガジュマルの根っこなのね、とか。
考えてみれば、ずいぶん失礼な質問を林典子さんにしてしまったよう。。。
「誘拐の場面では、写真を撮るより人間としてすることがあるように思えますが」とお尋ねすると、30歳になったばかりの白く張りのある美しい横顔の国際フォト・ジャーナリストの彼女は、「介入することで事態が変わるかどうかを判断しながらシャッターを押す」と気負うのでもなく、自然に答えてくれました。
誘拐結婚のあきらめたような、呆然とした失意の表情の花嫁が、やがて母親の表情に変わっていくのを捉えた写真家は、でも、なお、いのちを絶って結婚を拒絶した娘の墓と、その前で泣き崩れる婚約者の写真を、写真展の最後に置く、と毅然と語りました。
林ナツミさんは、写真と同じようにおちゃめな感じがする、彼女も美しく毅然とした感じのする女性でした。
WEBで作品を発表し始めたという経緯も、写真に刻んでいく「ウソ」の「浮遊」も斬新です。
高校生の尾崎さんも、翌日のガイドとなったお二人の桜美林大性も、「浮遊」作品のファンとなりました。
でも、「お皿からパンを落とさないように緊張した顔をしている」というガイドは、ご本人だからこそ、できるガイドです。
ナツミさんが、視覚障がいの方に作品を伝えたいと積極的に思ってくださっていることが伝わってきて、本当にうれしかったです。
いつも、視覚障がいの友人たちが口にしてくれています。
伝えようとしてくれている、自分たちの存在に気づいてくれている、それがうれしい、と。
ナツミさんらしい伝え方が、思いもかけない方法で生まれてくるような予感がします。
あらためて、フォトシティさがみはら写真賞の受賞者は、受賞作品は、素晴らしいですよ!
→ ふたたび、こちらをどうぞ。

作家のみなさんからヒントをいただいて、ガイドに取り組んで----。
視覚障がいのみなさんとともに、って、それだけで終わらない、ということを実感したのは、桜美林のお嬢さんたちのガイドを目撃したからです。
そこで、楽しく笑い声を立てた視覚障がいの外山さんを目撃したからです。



桜美林の学生さんは、お二人とも気持ちの良いお嬢さんたちでした。
ひとりは、奄美大島出身の方。
もうひとりは、なんと、内モンゴルから日本に留学している中国の方でした。
そのお二人が一生懸命伝えてくれたから。
その上に、おふたりとも、それぞれの心を開いて写真から感じ取るものを素直に語ってくれたから。
どんなに鮮やかに外山さんの前に写真が拡がっただろうかと思います。
いあ~、奄美大島ガジュマルの木にすむ「ケンムン」の話は、写真展会場をガマにしてしまったんじゃないでしょうか?
中川さんのGAMA=ガマのなかには、ガジュマルの根が天井をはい、そのひげ根が幾筋もしだれさがっています。
本当は、暗くて見えないガマの内部が、長時間露光と、その写真の中に映し出されていないけれど、確かにいる中川さんの照らし出す懐中電灯によって撮影されています。
奄美大島出身の彼女は、ガジュマルの根に、ガマに隠れた沖縄のひとはガジュマルに癒されただろう、と語ったのでした。
ガジュマルはとても太くて、「ケンムン」とよばれる木の精というか、妖怪が住んでいる、と教えてくれました。
「ケンムン」は手足がとても長くて、ガジュマルをぐるりと手で抱くことができる。
ガジュマルを丸く腕で抱いて手を合わせさせて、その手を釘で打ち付けるのだ、と。
そうすると、「ケンムン」は動けなくなって死んでしまって退治できる。
だから、ガジュマルの木には釘が打ちつけてある、釘の打ち付けられたガジュマルには、もう妖怪はいず、悪さをすることがない、と。
自分の通った幼稚園のガジュマルは、みんな釘が打ちつけてあった、と。
ガマに隠れた沖縄のひとたちは、そんなガジュマルの木々囲まれていたのか、洞窟の暗闇に思いを馳せました。
もともと中川さんのGAMAの写真は、目で見えないものを見ようとする写真たちです。
写真を隅々まで言葉で追いながら、言葉を探しながら細部まで目を凝らしながら、さらにガジュマルと「ケンムン」の語りをきいて、女子大生のすがしい語りをきいて、外山さんの笑い声をきいて、写真展を堪能することができました。
内モンゴル出身のお嬢さんは、「内モンゴル出身というと馬に乗れるでしょう?」なんて訊かれて弱る、と言っていました。
ネパールの遊牧民の暮らしの写真のように。
そして、マンション暮らしの自分に、馬に乗れるはずがない、と笑うのでした。
そう、どこでだってコミュニケーションです。
写真を見ることも、鑑賞することも。そう思えます。
最後は、なぜ跳んでいるのを見ると元気がでるのだろうと、ワイワイ言いながら、林ナツミさんの作品を目いっぱいガイドし合いました。
そのうち、跳んでいるのにどうして髪は揺れていないのだろう、と、「この写真は跳躍後か、跳躍前か、と好奇心を発揮。
わたしたちも浮遊写真を撮ろうっ!、となって、創作意欲までいただいたのでした。
この日帰りがけの外山さんです。
ナツミさんの浮遊写真の前で記念写真です。

これは、わたし、と。
お嬢さんたちとの記念写真は、宝物なので、外山さんだけに、ね。