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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

5年目にして、ガイド・チームと呼べるものに

2014-10-23 20:42:56 | 部会レポート
フォトシティさがみはら受賞作写真展
視覚障がい者とともに写真を楽しむ


~ 2014年10月17,18日
     まだまだ、26日も27日もあるよ ~





尾崎さんは、すっごく緊張して会場にやってきたと言いました。
会場の入り口で撮った写真、尾崎さんの緊張が写っているかも。

振り返ってみると、尾崎さんをかばうつもりで、せっかくのガイドの機会をわたしが奪ってしまったのではないか、と反省しています。
尾崎さんが気に入ったという、林ナツミさんの『本日の浮遊』語ってもらえばよかったな、ごめん。


数え直してみたら、視覚障がいのみなさんを写真展会場にお誘いするようになってから、5年目だった!

5年目にして、ガイド・ボランティアに交通費補助が出るようになりました。
5年目にして、「ガイドでやかましくくてごめんなさい」の断り書きが、フォトシティのマーク付きで貼りだされるようになりました。

だけど・・・・。




この「断り書き」ちょっと違うんだよな~。
「静かにしてほしい」んじゃなくって、「気をつけるけど、うるさかったらゴメン」ってニュアンスの断り書きをしてね、って頼んだんだよ。
初めて取り組んだ年に、居合わせた男性に「うるさいっ!」って叱られたから。
静かに写真を見たいひとの邪魔をしたくない、で、気をつけるけど、ご理解を、っていうことなのに、な。

でも、ま、ひとつひとつ積み重ねていくんだから。
5年目の今年は、高校生も参加してくれて、桜美林の大学生も参加してくれて、チーム・フォトシティになれた感じがします。


  作家さんとのコミュニケーションあればこそのガイド

もちろん、視覚障がいの友人たちを迎えるために、いろいろと準備をします。
検索したり、関連をさぐったり、事前の作品理解が必要だと思うので。

だから、いつも、受賞作品集や、ガイドブックが、どれこそノドから手がでるほど欲しいと思います。
しかし、ガイドブックは直前にならないと手に出来上がらないし、写真集が受賞の対象であるにもかかわらず、写真集は1冊しかなくて、事前にわたしてもらうことができません。
せめて、市内3館ある図書館用に買ってくれて、そのうちの1冊を、ガイド用に事前に貸してもらえないだろうか、、、と、いつも思います。

だから、いつも、不安な気持ちで写真展の開催を迎えるのですが、それを補うのが、授賞式での作家さんたちの言葉であり、授賞式に合わせて行われるシンポジウムであり、レセプションでのわずかな会話です。
授賞式翌日に行われるギャラリー・トークも大きな助けとなります。
審査員のおひとりでもある東京都写真美術館の笠原さんの造詣の深いトークによって浮かび上がってくる写真作品の解釈、作家さんたちの考えや気持ち。
そのひとこと、ひとことを、視覚障がいの友人たちのために刻みます。」
そうすると不思議です。

写真作品が、文字通り奥行きを深くしていって、友人たちに、こう、手のひらに乗せて語れるような気分になってくるんだよね。
(あくまで、気分、気分ですよ)

GAMAの撮影開始のためにユタさんにご宣託をもらったというオサム・ジェームズ・中川さん。
そっか、あれは、ガジュマルの根っこなのね、とか。

考えてみれば、ずいぶん失礼な質問を林典子さんにしてしまったよう。。。
「誘拐の場面では、写真を撮るより人間としてすることがあるように思えますが」とお尋ねすると、30歳になったばかりの白く張りのある美しい横顔の国際フォト・ジャーナリストの彼女は、「介入することで事態が変わるかどうかを判断しながらシャッターを押す」と気負うのでもなく、自然に答えてくれました。
誘拐結婚のあきらめたような、呆然とした失意の表情の花嫁が、やがて母親の表情に変わっていくのを捉えた写真家は、でも、なお、いのちを絶って結婚を拒絶した娘の墓と、その前で泣き崩れる婚約者の写真を、写真展の最後に置く、と毅然と語りました。

林ナツミさんは、写真と同じようにおちゃめな感じがする、彼女も美しく毅然とした感じのする女性でした。
WEBで作品を発表し始めたという経緯も、写真に刻んでいく「ウソ」の「浮遊」も斬新です。
高校生の尾崎さんも、翌日のガイドとなったお二人の桜美林大性も、「浮遊」作品のファンとなりました。
でも、「お皿からパンを落とさないように緊張した顔をしている」というガイドは、ご本人だからこそ、できるガイドです。
ナツミさんが、視覚障がいの方に作品を伝えたいと積極的に思ってくださっていることが伝わってきて、本当にうれしかったです。

いつも、視覚障がいの友人たちが口にしてくれています。
伝えようとしてくれている、自分たちの存在に気づいてくれている、それがうれしい、と。
ナツミさんらしい伝え方が、思いもかけない方法で生まれてくるような予感がします。


あらためて、フォトシティさがみはら写真賞の受賞者は、受賞作品は、素晴らしいですよ!
  → ふたたび、こちらをどうぞ。


  写真の前のコミュニケーションで、写真がみえてくる 

作家のみなさんからヒントをいただいて、ガイドに取り組んで----。
視覚障がいのみなさんとともに、って、それだけで終わらない、ということを実感したのは、桜美林のお嬢さんたちのガイドを目撃したからです。
そこで、楽しく笑い声を立てた視覚障がいの外山さんを目撃したからです。


   


桜美林の学生さんは、お二人とも気持ちの良いお嬢さんたちでした。
ひとりは、奄美大島出身の方。
もうひとりは、なんと、内モンゴルから日本に留学している中国の方でした。


そのお二人が一生懸命伝えてくれたから。
その上に、おふたりとも、それぞれの心を開いて写真から感じ取るものを素直に語ってくれたから。

どんなに鮮やかに外山さんの前に写真が拡がっただろうかと思います。


いあ~、奄美大島ガジュマルの木にすむ「ケンムン」の話は、写真展会場をガマにしてしまったんじゃないでしょうか?
中川さんのGAMA=ガマのなかには、ガジュマルの根が天井をはい、そのひげ根が幾筋もしだれさがっています。
本当は、暗くて見えないガマの内部が、長時間露光と、その写真の中に映し出されていないけれど、確かにいる中川さんの照らし出す懐中電灯によって撮影されています。

奄美大島出身の彼女は、ガジュマルの根に、ガマに隠れた沖縄のひとはガジュマルに癒されただろう、と語ったのでした。
ガジュマルはとても太くて、「ケンムン」とよばれる木の精というか、妖怪が住んでいる、と教えてくれました。
「ケンムン」は手足がとても長くて、ガジュマルをぐるりと手で抱くことができる。
ガジュマルを丸く腕で抱いて手を合わせさせて、その手を釘で打ち付けるのだ、と。
そうすると、「ケンムン」は動けなくなって死んでしまって退治できる。
だから、ガジュマルの木には釘が打ちつけてある、釘の打ち付けられたガジュマルには、もう妖怪はいず、悪さをすることがない、と。
自分の通った幼稚園のガジュマルは、みんな釘が打ちつけてあった、と。

ガマに隠れた沖縄のひとたちは、そんなガジュマルの木々囲まれていたのか、洞窟の暗闇に思いを馳せました。

もともと中川さんのGAMAの写真は、目で見えないものを見ようとする写真たちです。
写真を隅々まで言葉で追いながら、言葉を探しながら細部まで目を凝らしながら、さらにガジュマルと「ケンムン」の語りをきいて、女子大生のすがしい語りをきいて、外山さんの笑い声をきいて、写真展を堪能することができました。

内モンゴル出身のお嬢さんは、「内モンゴル出身というと馬に乗れるでしょう?」なんて訊かれて弱る、と言っていました。
ネパールの遊牧民の暮らしの写真のように。
そして、マンション暮らしの自分に、馬に乗れるはずがない、と笑うのでした。

そう、どこでだってコミュニケーションです。
写真を見ることも、鑑賞することも。そう思えます。

最後は、なぜ跳んでいるのを見ると元気がでるのだろうと、ワイワイ言いながら、林ナツミさんの作品を目いっぱいガイドし合いました。
そのうち、跳んでいるのにどうして髪は揺れていないのだろう、と、「この写真は跳躍後か、跳躍前か、と好奇心を発揮。
わたしたちも浮遊写真を撮ろうっ!、となって、創作意欲までいただいたのでした。

この日帰りがけの外山さんです。
ナツミさんの浮遊写真の前で記念写真です。



これは、わたし、と。
お嬢さんたちとの記念写真は、宝物なので、外山さんだけに、ね。






『水俣~患者さんとその世界』を水俣へ

2013-09-11 00:27:58 | 部会レポート
2012年度さがみはら市民協働ファンドゆめの芽助成プロジェクト
『水俣~患者さんとその世界』音声ガイド 再録音・再編集版が
市立水俣病資料館と熊本学園大学水俣学センターへ



やっと、やっと、実現しました。

『水俣~患者さんとその世界』の音声ガイドに取り組んで、はや1年以上。





かように、音声ガイドが何ものかを知って、さまざまな行程を経て、





ガイドの改訂は、今年、4月3日にまで及び、400以上のガイドの手直しを重ねて





改訂の段階で年度を越していたものを、6月に再度、1秒以下の単位で位置を合わせる編集作業を経て、

もうこれは、助成プロジェクトを超えてしまっておりますが、

版元のシグロ、山上さんの助言を入れて、一応の公式性を確保して、

ようやく、9月7日、水俣市立水俣病資料館の館長さんに手渡し




同じく、9月8日、環境被害に関する国際フォーラムが現地・水俣「もやい館」にて、いままさに開催されようとするそのときに(あ~、なんて迷惑なんだろう!!)、熊本学園大学水俣学現地センター・センター長である花田先生に手渡ししました。






音声ガイドに完成品というものはありません。
わたしたちが制作した音声ガイドは60点ぐらいのものかもしれません。
実際に、寄贈させてはいただいたものの、その稚拙さに、お蔵入りするものかもしれません。

しかし、この世界的名作『水俣 患者さんとその世界』に音声ガイドをつけようと試みた者がいる、ということは、いつか、水俣病事件を本当に読み解きうる時代が訪れたなら、その過程のひとつの努力として刻印されるに違いない、と、わたしたちは自負しようと思います。

シグロの山上さんは、NPO法人MASC(メディア・アクセス・サポートセンター)の理事長さんでもあります。
その山上さんは、映像をバリアフリーにしていくということは、ひとつの新しい文化の創造につながると言われています。


先の選挙結果を受けて、また、華やかなオリンピック誘致報道と裏腹の福島の汚染水漏洩に直面しながら、まだ、市民は文化を変革させていくことはできるのだ、と思うと、勇気がわいてきませんか?


以上、わたしたちの制作した音声ガイド寄贈報告でありました。

『水俣 患者さんとその世界』音声ガイド付き上映会

2013-01-06 21:03:05 | 部会レポート
半年がかりの、ゆめの芽プロジェクト。
見えてくるもの、聞こえてくるものをガイドできた・・・かな?


2013年1月5日 PM1:30~上映開始
おださがプラザ(ラクアルオダサガ4F)にて



  前日まで音声ガイドを編集してました

7月21日、「西洋の台所 HAMA」で開催した講演とトークの集い<音声ガイドって、な~に!?>から、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月・・・・、半年かかってつくった音声ガイドお披露目上映会が行われました。
なんと、正月の第1土曜日。残念ながら、相模原の視力障害者協会の賀詞交換会にバッティングするという最悪の設定での開催でした。

ごめんなさ~い。
だって、ハンディのある方が気安く来られる駅近くの会場で、予約を入れることのができる土曜日は、1月5日しかなかったのです。昨年の10月末の段階で。

予約が遅すぎたのかもしれません。
予約が遅くなったのは、音声ガイドが出来上がってもいないのに、って、会場を押さえるのをためらったからです。何もかたちのないところから始めています。しかも、専門家じゃないし。自分たちでも、ちゃんと上映会にこぎつけることができるかどうか、半信半疑だったのです。
どうなにかなる、いざとなればキャンセルもって、思う金銭的ゆとりはありません。
ましてや、開催できるかどうかもわからないのに、告知する勇気も持てませんでした。
勇気、いえ、決意と言い換えるべきでしょうね。覚悟が足らなかった、反省します・・・

結局、最後の編集の直しDVDを手にしたのは、1月4日でした。
正直、2時間47分という長時間のドキュメンタリーにつきあっていただけるものになっているかどうか、不安を抱えながら上映会にのぞむことになりました。



録音作業のことが新聞記事になりました。



  盲導犬も行儀良く、いっしょに

とても寒いお正月のいちばん最初の土曜日。
それなのに、50人ほどの方が来場してくださいました。本当にありがとうございます。
うち半数は、視覚障害のみなさん。

伝えるネット・浜松メンバーの中王子みのりちゃんも来てくれました。
数少ないスタッフで、会場に入ってから30分足らずで上映にこぎつけるのに、みのりちゃんも大いに活躍してくれました。
っていうか、早めに来てくださった来場者の方にイス出しからいろいろ手伝っていただきました。
あんなに事前に機器の接続の練習をしたのに、ひとつジャックを入れ忘れてスクリーンの投影に時間がかかってしまい、『阿賀に生きる』でお世話になった秦さんが駆けつけてくれたのをこれ幸いと、音声ガイド発信の段取りに動員。
ああ、また、これで言われちゃう。「なんて人遣いがあらいんだ!」って。

この日、3人の方が盲導犬を使う方でした。要らぬ心配で、盲導犬が複数で、大丈夫かなって思っていたのですが、全然大丈夫。その行儀のよさに、感心しきりでした。




今回の会場は定員175名でした。だからもっと大勢来てくだされば、それは、もちろんありがたかったのですが、2時間47分の上映に、途中でトイレに立ったりするのにも、余裕があって助かりました。
ハンディのある方といっしょに鑑賞するのに、ささやかな配慮が、期せずにできたのは幸いでした。

音声ガイドは会場の後方でミニFM発信機で行いましたが、みなさんの背中を見ていると、なんだか気持ちがひとつになっていくのを目撃している気持ちになりました。
最後の株主総会の場面など、みなさんの背中が緊張しているのが見えました。
いっしょに鑑賞する醍醐味というのがあるのだ、と思うのでした。



 音声ガイドに“できあがり”はありません

フイルム上映だった『阿賀に生きる』にくらべると、今回の『水俣』は、DVD上映なので、タイミングを合わせるのが、比較にならないほどラクでした。2時間47分で、ズレは2秒ぐらいのものだったでしょう。
次第、次第にズレるのです。不思議です。
上映画面とピタッとあったときのシンクロ音声は、とても気持ちいいものですが、今回、コンマ何秒かは、ずっとズレていました。ズレを直すより、この方が大丈夫だと判断してのことです。
しかし、人間の感覚というのは、また面白いものです。
音声ガイドを流した自分自身が、そんなに感覚が優れているとは思えないのですが、どこかで、ちゃんとコンマ何秒かのズレを認識しつづけているのですから。

それでも、ズレがさほど苦にならずに流すことができました。うわ~やった、です。

最後にみなさんに感想をいただきました。
音声ガイドの感想は、「まだ、出来上がり途中に感じた」から「とてもよくできていた」まで、さまざまでした。
実際、音声ガイドを流しているさなかでも、ああ、ここは、もっとこうすべき、ああすれば、という箇所は何箇所もでてきました。
また、ガイドをつくるひとの人生経験、想像力、個性など、ガイドにはさまざまに反映します。
それは、つくる側だけでなく、聞く側にとっても同様でしょう。
ガイドはひととひとの出会いのかたちそのものだと思う所以です。

たとえば、来場くださった環境ライターの奥田みのりさんは、箇条書きでこんな感想をくださいました。

●映画を見ているだけでは知りえない情報が、音声ガイドだとわかる。(わかってしまう)

例1)海岸沿いで、女性を追いかける患者さんのシーン。
音声ガイドは、その女性が映画スタッフだと教えてくれる。
普通に映画を見ていたら、地元の女性(近所の人)だと思うだろう。

例2)杉本栄子さんが登場し、音声ガイドが「姉さんかぶり」と、栄子さんの手ぬぐいをかぶっている様子を説明。
あのようなかぶり方をそう呼ぶのですね。

「二艘の船がもやって帰ってくる」
なるほど。あの状態を「もやって」と表現するのですね。
もやいの意味は知っていても、あの船の状態を見て、「もやって」と表現するか
というと私はできません。頭では知っていても、言語感覚は、水俣人でない自分を意識しました。

「トロ箱」
あの木箱は、トロ箱と呼ばれているのですね。

例3)
「石灰水のひびわれ」
地面のひびわれ、あれが石灰水によるものだとは知らなかったです。

これらの点が、私にとっては有益な情報でした。
音声ガイドによるこのようなメリットがあるとは考えてもみなかったので、体験しなくては気づかない発見でした。

●登場人物の名前が一度紹介された後で、再びその人物がでてくると、ふつうは、誰が誰だかわからなくなるが、音声ガイドがそのつど、誰の発言か、誰の行動か教えてくれるので、理解が進んだ。

今回の映画のように、多くの人が登場する映画では、とても役に立つと思います。


●音声ガイド聞き始めてから10分くらいは、音声ガイドの音と、映画の音が別々に聞こえていたが、途中から、区別することなく聞けるようになった。

●映画の最初のほうでは、ところどころ眼鏡をはずして映画を見てました。
私はド近眼なので、眼鏡がないと、映像が判別できないのですが、音声ガイドがあるから大丈夫だろうと、その状態をテストしてみたかったのです。
でも、やはり、水俣の映像となると、しっかり見たい気持ちのほうが大きくなってしまい、途中から眼鏡をはずすことは辞めてしまいました。(苦笑)

●偶然かもしれませんが、男性の音声ガイドの方の声が、土本さんの声と似ていると感じました。

箇条書きにすると、なんだか味気ないですが、音声ガイドの映画は、同じ映画を別の角度から見せてくれる装置だと感じました。ですから、同じ映画でも、二度目は音声ガイド付きで!というのはありだと思います。

特に、今回の映画のように、水俣の言葉がわかりづらかったり、映像と音声が当時の録音技術のやりかたでずれてたり、音声がききとりずらかったりする場合、聞き取りやすい音声ガイドはまさにガイドになると思いました。

そして、なにより、こうした映画が、より多くの方に見てもらえることが私としては一番嬉しいです。
ですので、完全版に着手されたこと、本当にすばらしいと思います。




  やっぱり、いま、ここで「水俣」

上映会を終えてみて、音声ガイドを、リハーサルからだけでも3回聞いて、その上で大きなスクリーンで見て、ガイドを流して、これまででいちばん大粒の涙がこぼれました。
浜元フミヨさんの「ひとのいのちは金では買えん」という叫びに。

いま、ここで生きる私たちは、何度も振り返って、目で見るのでなく、耳で聞くのでなく、「水俣」を「患者さんとその世界」を刻印していかなければならないような気がします。

最後に、この作業をいっしょに担ってくれたみなさん、作業の場ではいっしょではなかったけれど、支え、応援してくれたみなさんに、感謝を。

音声ガイドに終わりがないように、刻印する営みは、まだまだつづいていきます。

ユーロスペースで音声ガイドしちゃった!

2012-12-14 23:22:18 | 部会レポート
~ 阿賀から水俣へ 音声ガイドの旅はつづく~
『阿賀に生きる』16mmニュープリント上映
渋谷・ユーロスペースにて
2012年12月14、15日


  ニュープリントを記念して早朝ロードショー

『阿賀に生きる』がニュープリントになりました。
フイルム技術が残っている間にニュープリントを、という呼びかけがあったことは、これまでもお伝えしてきました。そして、実際に新しい16mmになりました。
このニュープリント化を記念して、11月24日~12月21日まで渋谷・ユーロスペースにて記念ロードショーが行われています。

  


いやぁ、ユーロスペースの若い技術者の方が、「フイルム上映なんて初めて」と言われていたのですから、確かに、このニュープリント、稀有なことなのですよね。
私たちは、何回も見ているせいかな・・・、確かに、フイルム上映って、あったかい感じがするんですよね。
不思議。。。


 もうひとつの映画鑑賞としての音声ガイド

このニュープリント・ロードショーのオマケとして、私たち音声サポート部会が作成した音声ガイドを付けた上映が、12月14日と15日の2日間にわたって実現することになりました。

これまで、私たちが実施した音声ガイド付き上映会は、すべて自分たちの主催事業としての上映会でした。
今回、商業館での上映に音声ガイドを出張っていくのは、初めての体験となります。しかも、渋谷! それも、ユーロスペース!
これって、すごいことなんじゃなかろうか・・・!

このように音声ガイドを取り上げてくださることになったのは、ひとえに小林茂さんや配給・太秦さんのご理解があってのことでした。
ズバリ、私たちが音声サポート部会での体験を重ねることで得た、視覚障害者と映画をともに観ることは「目にしていて見えず、耳にしていながら聞こえない」ものを見、聞くことであり、それは、障害の有無に関係なく、もうひとつの映画鑑賞という方法を暗示している、という実感を理解してくださってのことなのです。

『阿賀に生きる』パンフレット寄稿ページです


でもね、冒険ですよね。
音響にしたって、映像にしたって、全然門外漢。音声ガイドにしたって駆け出しなんですもの。
なので、太秦さんの援助を得て、バックアップ体制をとって音声ガイド発信にのぞむことにしました。
(じゃなきゃ、怖すぎるよぉ!)

14日、例によってがさつなTの按配で失敗すること数箇所。
とても、やりきったとは言えませんが、ふ~っ、とにかくやりきりました。
15日は、選手交替でのぞみます。直前の直前ですが、よかったら、来館くださいませね。



 そして、いよいよ『阿賀』から『水俣』へ

さて、『阿賀に生きる』の音声ガイドが一般上映館での実現にこぎつけた、この自信のもとに(?)、現在、プロジェクト進行中の『水俣 患者さんとその世界』の音声ガイド付き上映会が、来年1月5日午後1時半より行われます。場所は、小田急相模原駅より徒歩0分。<おださがプラザ>にて。

現在プロジェクトは、録音を終えて、編集作業中です。
1971年製作のドキュメンタリー映画が音声ガイドを得て、もっと近づいて鑑賞することを可能にしました。



3.11を経たいまだからこそ、見て欲しい。
私たちは、そう願っています。


『水俣 患者さんとその世界』音声ガイドプロジェクトの進行日誌を
 tajima izumi の facebook にて掲載しております。
ご関心のおありの方はのぞいてやってくださいませ。

視覚障害者とともに見ることをスタンダードに

2012-11-18 14:01:16 | 部会レポート
~ フォトシティさがみはら写真賞受賞作品展における
写真鑑賞ガイドの取り組み ~ 


相模原市・市民ギャラリー
2012年10月13、20、22、27、28日


 実行委員会がバリアフリー展示を目指すなら

伝えるネット・音声サポート部会が取り組む「フォトシティさがみはら写真賞授賞作品展」を視覚障害者とともに見る試みも、3年目を迎えました。

3年目の今年は、<フォトシティさがみはら実行委員会>の取組みとして視覚障害者のためのガイドに取り組む、その取り組みのお手伝いをするのが<伝えるネット>という具合に、取り組み主体のシフトが移ったのを実感しました。
私たちが勝手に押し売りして行うガイドなのではなく、<フォトシティさがみはら>が視覚障害者のためにガイドをしようと決意していて、私たちは、そのお手伝いしたということです。

相模原市の<フォトシティさがみはら>のHPに、ガイド実施日が告知されました。
「視覚障害者のためのガイドを行っています。ご理解をお願いします」という注意書きも受付にありました。
バリアフリー写真展として開催したのは、実行委員会でした。
いつか、<伝えるネット>がお手伝いしています、というような文言がなくなることが、そんな言葉が要らなくなるほどになることが、次の目標です。


 相模原の写真展に豊橋からのヘルプ

<フォトシティさがみはら実行委員会>のその気持ちを大切な刺激として、私たちは、視覚障害者とともに写真を見ることに、さらに工夫をしようということになりました。
そのひとつの方法として、立体コピーの利用について、豊橋の力を借りることにしたのです。

<伝えるネット>は、昨年、かながわ市民活動奨励賞の賞金をもとに立体コピー機を購入しました。
視覚障害者のみなさんに、どうやったら立体コピーが分かりやすくなれるかの工夫は、常に求められるものです。今回も、写真作品の立体コピー化を試みました。

この立体コピー化という課題、今年は、豊橋の視覚障害者授産施「手のひら」に援助を求めることにしました。豊橋窓口の報告では、それはもう大騒ぎの試みだったようです。
立体コピーにして、わかる、わからない、はどうか、サイズはどのくらいにするのがいいのか。職員と通所者のみなさんが、ケンケンガクガクで試みたのです。
もちろん、立体コピーだけで写真がわかるわけではありません。立体コピーに触れてもらって、見える者が語り、触る者が確かめ、対象からの感覚を両者で「うん、うん」とうなずく。そのプロセス、その作業そのものを写真鑑賞と位置づけたら、写真家のみなさんの顰蹙を買ってしまうでしょうか・・・。

でも、そのときの、入所者と職員とのやりとりを想像するだけでも、私は、なんだかワクワクする時間に思えるのですが・・・。


  
写真は、立体コピー化作業に取り組む「てのひら」のみなさん


 目にしているものが見えてくる瞬間

豊橋から届いた立体コピーも活用しながらのガイド活動に取り組みました。
オマケとして、豊橋の<演じる側も見る側もバリアフリー朗読会>を体験して、演劇結社<ばっかり ばっかり>のマネも少し取り入れさせていただきました。
会場説明、展示写真の配列などを最初に説明させてもらって、他に鑑賞されていらっしゃる方のいないことをいいことに、拍手や、実際に歩いてみせて歩数で実感しもらうという方法を試してみました。
視覚障害のみなさんは、どこにどのようにいるか、ご自身の空間把握ができると安心できる、ということを教えられたからです。

でも、やっぱり、<ばっかりばっかり>のみなさんのようには、うまくいきませんでしたけど・・・・。



写真展会場で解説のようす



今年のさがみはら写真賞正賞受賞者は、北島敬三さん。受賞写真集は『ISOLATED PLACES.』でした。実は、この作品に触れたとき、これは手強いと思ったのが正直なところです。この「どこにでもあるような、履歴をなくして孤立した場所」というのを、言葉にするのが難しかったのです。

たまたま、フォトシティさがみはらの受賞式後のレセプションのとき、北島さんに視覚障害者とともに見る試みをお伝えする機会がありました。北島さんは、「そのようなことを聞いたことがない」と言われ、「ぜひ真剣に聞きたいから座って話しましょう」と言われました。それは、立食のレセプションだったからです。
とても誠実な方だなぁ、と思いました。その前の授賞式での発言やパネルディスカッションでも、実に雄弁な方だという印象は、持っていました。そのように対象に対して、とても誠実で、思索も深い方と受け止めました。
しかし、その名のとおりISOLATED写真作品は、言葉にすることを拒絶するかのようであったのです。

不思議です。私たちは、特別に言語表現に得意なわけでもないし、特別に写真理解のできる者というわけではないのです。
ですが、視覚障害の方とコミュニケートしながら、写真はこうなっていて、という、写っていることのみの説明をしているうちに、その「意味」が浮かび上がってくる気持ちになったのです。
そうか、そういう写真だったんだ、北島さんの作品は―。

相模原視力障害協会・女性部のみなさん、北島さんの作品が、いちばん心に残った、と言われました。

文字通り、目が見開かれるような、そんな思いがしました。

今年は、昨年の8名より少なく視覚障害者の来場は5名でした。
それでも、会場の理解、ボランティアの理解は、確実に重ねられて終えることができた、と自負します。

※ブログのアップが遅かったかために、<ばっかりばっかり>のお二人が参加されているバリアフリー公演のご紹介をすることができず、申し訳ありませんでした。
現在、<演劇結社ばっかりばっかり第11回公演 だからこそ愛>が北区豊島の「シアター バビロンの莫れのほとりにて」で、行われています。最終回は本日11月18日18:00~です。
「見えない人が特別な機材や音声ガイドなしで、見える人と一緒に丸ごと楽しめる芝居づくりをしている劇団」の公演を、お勧め申し上げます。