水俣病Fさん訴訟、溝口訴訟 最高裁弁論報告集会
2013年3月15日 永田町・砂防会館にて
溝口さんは、最高裁に何を求めるか
報告集会は、Fさんへの黙祷から始まりました。
2004年のチッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決で水俣病とされながら、認定されないで再び最高裁まで水俣病認定を求めているFさんは、判決を待たずに3月3日に亡くなったからです。
裁判は娘さんによって引きつがれることになりました。
私は、子どもたちにこう伝えたことがあります。
いのちある者は、死んでいく定めです。
だからこそ、愛する母親が何によって死ぬことになったか、子どもは知りたい。
溝口秋生さんは、だから、お母さんの命日には「水俣病の認定申請はどうなったか」と、電話で問合せつづけたの、と。
しかし、熊本県は、認定申請書類を17年間放置したまま、息子の思いに応えようとはしませんでした。
溝口さんが環境省の役人にこう語りかけていたのを見たことがあります。
「水俣病じゃなくたっていい。ただ、どうしてこうなったか知りたいだけなんだ」と。
最高裁で弁論をした溝口さんのことを、弁護士さんがこう報告されていたことが、ひときわ印象深かったです。
最高裁の法廷といえば、それなりの権威にまとわれた場所です。
最高裁で語りかけた溝口さんは、権威に臆することなく、弁論書面をはみでるかたちで、平常心で誰にでも語り掛けるように言われたそうです。
もう自分は80歳を過ぎた。いつまで裁判をやらせるつもりなのか、と。
弁護士さんは、その姿を見て、すでに、溝口さんは司法を越えているのではないか、と思われたそうなのです。
(弁護士さんの発言通りではありませんよ。記憶力よくないですから)
だから、判決は、ただ溝口チエさんだけを、Fさんだけの認定を求めるのではなく、水俣病認定の足きりとして機能している判断基準を見直す内容でなければ、勝ったとはいえない、と裁判の意味を振り返る機会となりました。
かせしてもだえる永野さんが寄り添って
耳の遠い溝口さんの傍らには、パソコンで要約筆記をされる水俣・相思社の永野三智さんが付き添っておられます。
永野さんにとって、溝口さんは恩師にあたります。溝口先生に書道を教えてもらったそうです。
その永野さんが、最後にマイクをとって発言されました。
自分は水俣が嫌いだった。
水俣を出て18歳で子どもを産んだ。
ぼろぼろになって水俣に戻ることになったが、子どもを連れて戻ることがためらわれた。
子どものふるさとを水俣にすることになると思ったからだ。
そしたら、溝口先生が闘っていた。
水俣のなかで裁判をしていることは、とても大変なことなんだ。それなのに。
自分は、水俣病と向き合うことにした。
水俣病患者さんのために働きたいと思って、相思社で働くようになった。
溝口先生が、水俣で少しでもくらしやすくできるように、私はしたい。
率直で衒いも何もなく、ご自分の言葉で語られた永野さんを立派に思います。
私は、今年1月、水俣で、彼女から「かせして、もだゆる」という言葉を教えてもらいました。
4月16日、最高裁はどう裁いてみせるのか
弁論が行なわれたのが3月15日。
そして、4月16日に最高裁の判決が出されることになりました。
長引く裁判ばかりのなかで、これは、異例の速さだそうです。
なんだか、いい予感がしません。
基本的人権に関心があるとは思われぬ政権と、人間的想像力をなくしたまま拙速に処理をはかるお役所の気配が濃厚だからです。
判決は4月16日午後3時から溝口訴訟について、同日午後4時からFさん訴訟について申し渡されるそうです。
判決後に予定されている環境省交渉は、したがって午後9時から。
81歳の溝口さんを午後9時からというのは、どういう按配なのでしょうか。
連絡によれば、翌17日には熊本県庁で午後3時から交渉が予定されているそうです。
権力や権威を取り払ってしまえば、市民としての付き合い方というのが見えてくると思うのですが、疑問です。
2004年、チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決が出た日、判決が出た足で、環境省の交渉が始まりました。
私は、報告集会の予定されている会場で、ねぎらうために用意した手づくりのりんごケーキを持って、環境省から患者さんたちが戻ってくるのを待っていました。
隣に、原田正純先生、向かいに、宇井純先生がいらして、3人で待っていたのですが、待てど暮らせど、環境省から戻ってみえません。
しびれを切らして、環境省に行って、環境省役人がこう言われるのを聞きました。
「裁判所は裁判所の判断で、私どもには私どもの判断がある」と。
もし、この耳でその言葉を聞いていなければ、誰かに「そう言ってたよ」と教えられたなら、私は信じなかったと思います。
小学校6年生の社会科の授業で、三権分立を教えられました。
大人たちは、国は、なんて素晴らしい仕組みを持っているのだろう、と、そう思った新鮮な感動は、私のなかにしっかりと刻まれているからです。
目撃すること、その場に居合わせることは、とても大切なことです。
私は、目撃しに行こうと考えています。ひとりの市民として。
改めて、4月16日のご案内をさせていただきます。
■溝口訴訟・Fさん訴訟 最高裁判決 (第三小法廷)
15:00― 溝口訴訟判決 *14:10に整理券交付が締切られ、抽選を経て傍聴券交付・入廷。
16:00― Fさん訴訟判決 *15:10に整理券交付が締切られ、抽選を経て傍聴券交付・入廷。
14:00までに最高裁南門にお集まり下さい。
■溝口訴訟・Fさん訴訟 最高裁判決報告集会
18:00開場 18:30-20:00 弁護士会館10階 1003号室(入場無料)
※霞ヶ関駅【地下鉄丸の内線】B1-b出口直通/最高裁から徒歩30分
水俣からは、一次訴訟原告の坂本しのぶ・渡辺栄一さん、同じく胎児性患者の長井勇さん、行政不服に勝利した緒方正実さん、佐藤英樹団長ほか互助会訴訟原告の皆さんも、判決と集会に上京されます。
■環境省交渉
21:00― 霞ヶ関合同庁舎5号館 環境省 1階 第四・第五共用会議室 (20:30入場)
*遅い時間設定ですが、集会後に交渉に臨みます。 霞ヶ関駅【地下鉄丸の内線】B3出口徒歩1分
*庁舎内に入る際、身分証明書(運転免許証等)の提示が必要となる場合があります。
*翌17日は、熊本県庁で交渉を行います。(午後3時の予定)
<呼びかけ>
溝口訴訟弁護団 溝口訴訟上告取下げ実行委員会 (代表 弁護士 山口紀洋)
〒103-0027 東京都中央区日本橋2-16-3-61 吉勝法律事務所 連絡先090-7816-4974(鈴村)
F氏認定義務付け訴訟弁護団 (代表 弁護士 田中泰雄)
〒530-0047 大阪市北区西天満1-2-5 大阪JAビル13F 大阪法律センター法律事務所
<協力>
東京・水俣病を告発する会 チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会
〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1-21―7 静和ビル1A
2013年3月15日 永田町・砂防会館にて
神奈川総合高校のみなさんに「水俣」を伝えに行った出前報告をしながら、
やっぱり、15日のことをお伝えしたくなりました。
私的に印象に残ったことばかりですが、まぁ、生活者感覚の報告ってこんなものかな
(って、また居直っちゃった。・・・?)
やっぱり、15日のことをお伝えしたくなりました。
私的に印象に残ったことばかりですが、まぁ、生活者感覚の報告ってこんなものかな
(って、また居直っちゃった。・・・?)
溝口さんは、最高裁に何を求めるか
報告集会は、Fさんへの黙祷から始まりました。
2004年のチッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決で水俣病とされながら、認定されないで再び最高裁まで水俣病認定を求めているFさんは、判決を待たずに3月3日に亡くなったからです。
裁判は娘さんによって引きつがれることになりました。
私は、子どもたちにこう伝えたことがあります。
いのちある者は、死んでいく定めです。
だからこそ、愛する母親が何によって死ぬことになったか、子どもは知りたい。
溝口秋生さんは、だから、お母さんの命日には「水俣病の認定申請はどうなったか」と、電話で問合せつづけたの、と。
しかし、熊本県は、認定申請書類を17年間放置したまま、息子の思いに応えようとはしませんでした。
溝口さんが環境省の役人にこう語りかけていたのを見たことがあります。
「水俣病じゃなくたっていい。ただ、どうしてこうなったか知りたいだけなんだ」と。
最高裁で弁論をした溝口さんのことを、弁護士さんがこう報告されていたことが、ひときわ印象深かったです。
最高裁の法廷といえば、それなりの権威にまとわれた場所です。
最高裁で語りかけた溝口さんは、権威に臆することなく、弁論書面をはみでるかたちで、平常心で誰にでも語り掛けるように言われたそうです。
もう自分は80歳を過ぎた。いつまで裁判をやらせるつもりなのか、と。
弁護士さんは、その姿を見て、すでに、溝口さんは司法を越えているのではないか、と思われたそうなのです。
(弁護士さんの発言通りではありませんよ。記憶力よくないですから)
だから、判決は、ただ溝口チエさんだけを、Fさんだけの認定を求めるのではなく、水俣病認定の足きりとして機能している判断基準を見直す内容でなければ、勝ったとはいえない、と裁判の意味を振り返る機会となりました。
かせしてもだえる永野さんが寄り添って
耳の遠い溝口さんの傍らには、パソコンで要約筆記をされる水俣・相思社の永野三智さんが付き添っておられます。
永野さんにとって、溝口さんは恩師にあたります。溝口先生に書道を教えてもらったそうです。
その永野さんが、最後にマイクをとって発言されました。
自分は水俣が嫌いだった。
水俣を出て18歳で子どもを産んだ。
ぼろぼろになって水俣に戻ることになったが、子どもを連れて戻ることがためらわれた。
子どものふるさとを水俣にすることになると思ったからだ。
そしたら、溝口先生が闘っていた。
水俣のなかで裁判をしていることは、とても大変なことなんだ。それなのに。
自分は、水俣病と向き合うことにした。
水俣病患者さんのために働きたいと思って、相思社で働くようになった。
溝口先生が、水俣で少しでもくらしやすくできるように、私はしたい。
率直で衒いも何もなく、ご自分の言葉で語られた永野さんを立派に思います。
私は、今年1月、水俣で、彼女から「かせして、もだゆる」という言葉を教えてもらいました。
4月16日、最高裁はどう裁いてみせるのか
弁論が行なわれたのが3月15日。
そして、4月16日に最高裁の判決が出されることになりました。
チエさんの遺影を持つ溝口さんと、永野さん
長引く裁判ばかりのなかで、これは、異例の速さだそうです。
なんだか、いい予感がしません。
基本的人権に関心があるとは思われぬ政権と、人間的想像力をなくしたまま拙速に処理をはかるお役所の気配が濃厚だからです。
判決は4月16日午後3時から溝口訴訟について、同日午後4時からFさん訴訟について申し渡されるそうです。
判決後に予定されている環境省交渉は、したがって午後9時から。
81歳の溝口さんを午後9時からというのは、どういう按配なのでしょうか。
連絡によれば、翌17日には熊本県庁で午後3時から交渉が予定されているそうです。
権力や権威を取り払ってしまえば、市民としての付き合い方というのが見えてくると思うのですが、疑問です。
2004年、チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決が出た日、判決が出た足で、環境省の交渉が始まりました。
私は、報告集会の予定されている会場で、ねぎらうために用意した手づくりのりんごケーキを持って、環境省から患者さんたちが戻ってくるのを待っていました。
隣に、原田正純先生、向かいに、宇井純先生がいらして、3人で待っていたのですが、待てど暮らせど、環境省から戻ってみえません。
しびれを切らして、環境省に行って、環境省役人がこう言われるのを聞きました。
「裁判所は裁判所の判断で、私どもには私どもの判断がある」と。
もし、この耳でその言葉を聞いていなければ、誰かに「そう言ってたよ」と教えられたなら、私は信じなかったと思います。
小学校6年生の社会科の授業で、三権分立を教えられました。
大人たちは、国は、なんて素晴らしい仕組みを持っているのだろう、と、そう思った新鮮な感動は、私のなかにしっかりと刻まれているからです。
目撃すること、その場に居合わせることは、とても大切なことです。
私は、目撃しに行こうと考えています。ひとりの市民として。
改めて、4月16日のご案内をさせていただきます。
■溝口訴訟・Fさん訴訟 最高裁判決 (第三小法廷)
15:00― 溝口訴訟判決 *14:10に整理券交付が締切られ、抽選を経て傍聴券交付・入廷。
16:00― Fさん訴訟判決 *15:10に整理券交付が締切られ、抽選を経て傍聴券交付・入廷。
14:00までに最高裁南門にお集まり下さい。
■溝口訴訟・Fさん訴訟 最高裁判決報告集会
18:00開場 18:30-20:00 弁護士会館10階 1003号室(入場無料)
※霞ヶ関駅【地下鉄丸の内線】B1-b出口直通/最高裁から徒歩30分
水俣からは、一次訴訟原告の坂本しのぶ・渡辺栄一さん、同じく胎児性患者の長井勇さん、行政不服に勝利した緒方正実さん、佐藤英樹団長ほか互助会訴訟原告の皆さんも、判決と集会に上京されます。
■環境省交渉
21:00― 霞ヶ関合同庁舎5号館 環境省 1階 第四・第五共用会議室 (20:30入場)
*遅い時間設定ですが、集会後に交渉に臨みます。 霞ヶ関駅【地下鉄丸の内線】B3出口徒歩1分
*庁舎内に入る際、身分証明書(運転免許証等)の提示が必要となる場合があります。
*翌17日は、熊本県庁で交渉を行います。(午後3時の予定)
<呼びかけ>
溝口訴訟弁護団 溝口訴訟上告取下げ実行委員会 (代表 弁護士 山口紀洋)
〒103-0027 東京都中央区日本橋2-16-3-61 吉勝法律事務所 連絡先090-7816-4974(鈴村)
F氏認定義務付け訴訟弁護団 (代表 弁護士 田中泰雄)
〒530-0047 大阪市北区西天満1-2-5 大阪JAビル13F 大阪法律センター法律事務所
<協力>
東京・水俣病を告発する会 チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム実行委員会
〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1-21―7 静和ビル1A