京都のいぬぅ

I wanna be a master of life.

ロボットと心(2)

2006年01月30日 01時45分59秒 | 
もし、仮に心をもったロボットができたとして、
人はどれくらい彼らを受け入れることができるのでしょうか。

日本人は手塚治虫の鉄腕アトムなどにより、
ロボットを肯定的にとらえる文化的な背景があるので、抵抗は少ないでしょうが、
一方、西洋ではロボットは人類に仇名す敵として描かれることが多く、
人に取って代わるのではないかというロボットに対する潜在的な恐怖があります。

人がロボットをどう捉えるかについて
「不気味の谷」というものがあります。
ロボットが人の姿に近づくと親しみが増していきますが、
ある時点で急に気味悪くなるというものです。
(可愛がっていたものがある時、自分の存在自体を脅かすものとなったら、
その反動も大きいでしょう。)

ロボットに対する認識は年齢によっても変わってきます。
赤ちゃんに子供型ロボットを見せると、ニコニコしながら見ますが、
六歳くらいになると不気味がります。



心のあるロボットをつくるということは、
心とは何かという科学的な事実だけが必要なのではなく、
自分の属するものとは違うものに対する偏見や猜疑心など、自分たちの負の心も深く掘り下げて見つめることも合わせて求められます。




ロボットの社会問題として
労働力をロボットにとられることでおきる
失業率の増加、社会の不安定化が挙げられ、
これは過去、現在と問題となっている移民問題と酷似していると言えます。
歴史をみても、人々は景気がいいときは移民の流入をどんどん推奨する一方、
一旦景気が悪くなると、その原因を移民のせいにし、
不平不満の矛先を移民に向けるものです。

ロボットの場合、
ロボットに心がなかっとときには、人間は仕事をするロボットを単なる機械としてしか見なかったのに、
ロボットが心をもつとなれば、完全に人としての扱いはなくとも、
人に対する不満や憎悪の対象となるのは
心理学的にも十分に考えられることです。

どちらの場合も、他民族つまり自分たちとは違う集団に属するということで生じる心の問題です。
自己集団の線引きをどこにするか、一度外にはじき出した集団に対しては
人は恐ろしいまでに冷酷になれるのです。

社会の進歩の速度に比べ、人の心の進化はあまりにも遅く、
この問題は半永久的に付きまとってくるでしょう。

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