園徳院
北政所ねねの甥である木下利房が邸宅を木下家の菩提寺に改めて創建しました。
北政所が晩年移り住み、77歳で没するまで過ごした。
通路から見た石塀小路
北書院北庭
伏見城にあった北政所の化粧御殿前庭を移したもので、
豪快な石組みや築山の滝石組が桃山期の庭園様式を伝えています。
巨石は当時の多くの大名が持ち寄ったといわれ、
伏見城の庭を作庭した賢庭がつくり、後に小堀遠州が手を . . . 本文を読む
鷲峰山 高台寺
臨済宗建仁寺派の寺院で、山号は鷲峰山(じゅぶさん)。
豊臣秀吉の死後、北政所ねねが秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、
北政所を厚遇した徳川家康が配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命し、建立しました。
豊臣秀吉公の正室「高台院」北政所の終の棲家となった高台寺は、
江戸時代の初め頃には永興院・永昌院・月真院・玉雲院・岡林院・春光院・昌純院、圓徳院の8つの塔頭を抱える . . . 本文を読む
相国寺
足利3代将軍義満が夢窓疎石(むそうそせき)を開山に、
10年の歳月をかけて築いた臨済宗相国寺派の大本山。
京都五山の第2位に列しています。
京都御所
庶民に開放されており、自由に紅葉狩りすることができる憩いの場です。
数百年前ならあり得ないほどの開放っぷりです。
平安宮一本 御書所
一本御書所(いっぽんごしょどころ)とは、世に流布している書籍を、
別に一本書写 . . . 本文を読む
御髪神社(HP)
日本で唯一、髪の神様。
御祭神 藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆき)
亀山天皇御代(1259年~1274年)
藤原鎌足の末孫である藤原基晴卿が宮中の宝物係として仕えていましたが、
九王丸という宝刀を紛失した責任をとり、
諸国行脚し文永五年に下関に居を構えました。
その三男の政之公が生計のために髪結職を始めたのが髪結業の始祖とされます。
家康の髪を結い . . . 本文を読む
落柿舎(らくししゃ)
松尾芭蕉の弟子であり、十哲の一人、向井去来の草庵です。
元禄4年(1691年)には、松尾芭蕉がここで嵯峨日記を記しています。
庭の柿を売る契約をしたのちに、
柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれています。
その際、去来は全額を返し、商人をえらく感激させたそうです。
柿主や 梢はちかき あらし山
住所: 京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町2
拝観時間 . . . 本文を読む
二尊院
正式名は小倉山尊教院華台寺(けだいじ)
承和年間(834~847)、嵯峨天皇の勅願によりり円仁(慈覚大師)が創建した天台宗延暦寺派の寺。
二尊院の名の由来は、釈迦如来と阿弥陀如来を本尊にして祀っているため。
釈迦如来は、現世から来世へと送り出し(発遣)、
阿弥陀如来は、西方極楽浄土へ迎え入れます(来迎)。
鎌倉時代に法然上人が居を定めたこともあります。
紅葉の馬 . . . 本文を読む
正覚寺
週末など特に、人でゴミゴミしている嵐山にあって、
ここだけはひっそりと静まり返っています。
そのわりに紅葉はなかなかのもので、穴場です。
観光寺院ではないために、お金も取りません。
紫式部、白式部、萩、秋明菊など花も色とりどり咲いています
参照
関西おいしいもの
住所: 京都市右京区嵯峨野々宮町12(地図) . . . 本文を読む
常照寺
本阿弥光悦は大変熱心な日蓮宗の信徒であり、
その隆盛を望み、土地を寄進しています。
ここは、そのうちの一つであり、
元和2年(1616)日蓮宗中輿の祖といわれる日乾上人が開創します。
寛永4年(1627)には仏教の学問所である鷹峰檀林を開設します。
またこの寺は二代目吉野太夫ゆかりの地としても有名です。
二代目吉野太夫は、本名を徳子といい、
慶長11年3月3日、六条三筋 . . . 本文を読む
源光庵
貞和2年(1364)に臨済宗大本山大徳寺の高僧、徹翁(てつおう)国師により隠居所として創建されますが、
元禄7年(1694)に曹洞宗復古道人の卍山(まんざん)道白禅師が曹洞宗に改宗しました。
源光庵庭園
北山を借景とした枯山水。
豊臣秀吉がおくった灯篭
五三の桐が刻まれています
悟りの窓
「禅と円通」の心を表しており、円は大宇宙を表現しています。
ずいぶん人がいない . . . 本文を読む
ラボの先輩に教えていただいたPhotoshopの使い方を早速、試してみました。一番初めの写真は先輩のものを真似させていただきました。練習中なのでお見苦しくなっておりますが、ご勘弁を。 . . . 本文を読む