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夏目伸六著「父 夏目漱石」より一部掲載(1)

2016-07-04 21:58:54 | 夏目漱石
以下、夏目漱石の次男、伸六氏の著書「父 夏目漱石」からの文です
夏目伸六氏は、数え年九才の時、父漱石を亡くしました

       
ですので、幼い時代しか父漱石と暮らしたことはなく
小さい子供と父、という関係でしか過ごせなかった
大人になっての、漱石と父と子の関係は持つことができませんでした
ですので、父漱石との関係、感情は、その幼い時の体験が元になっています
以下、引用です
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私は時折、私の友達やらいろいろの知人から、
私の父についての感想を聞かれることがあるが、
私はそんな時、よく妙に淋しい気のすることがある。
それは恐らく、私が父に対してほとんど愛情らしい愛情も抱いていなかった
ーー今も同様依然として抱いてないーー
そうした気持ちから来る感情かも知れない。
しかし父の死後、だんだん大きくなるにつれて、
私もいつか父の作品をあれやこれやと読むようになった。
そしてそこから、私は次第に本当の父の姿に親しみを抱くようになって来た。
「満韓ところどころ」のような作品を読むたびに私はいつも
父が本当にああした人間であったと、
知らず識らず心のどこかに淡い懐しさを覚え始めた。
その癖幼い私の眼に映じた現実の父の姿からは、
私はどうしても真の懐かしさを感じ得ない。
「伸ちゃん達はとてもよかったのよ。
だってお父様が一番病気のいい時に育ったんですもの」
私は先日一番上の姉の所で、こうした話を耳にした。
それを聞きながら私は急に父に対して済まないような心地がした。
私の部屋の書棚の上に二枚の兄の写真にはさまれて父の写真が飾ってある。
その写真を毎日起臥(おきふし)眺めながら、
私は今でもフッと深刻な恐怖に襲われて、
思わず写真から顔を背けることが時折ある。
まだ、何一つ意識らしい意識さえ持ち合わさなかった幼い頃から、
私はずっと父を恐れて来た。
父がニコニコ機嫌よく笑っていた顔も、
また私等小さい子供達と一緒に大口開いて笑った顔も、
私は未だ明瞭(はっきり)と覚えている。
しかしこうした父らしい姿を見ながらも、
私はその裏に隠れたかすかな不安をどうすることもできなかった。
小さい私はたしかにその頃から絶えず父の顔色を猫のように
いじけた気持ちで窺っていた。
父と二人で相撲をとりながら、一生懸命に、
一遍でも良いから父を敗かそう敗かそうと真赤になって
痩せた腹にしがみついていた時でさえ、私の心の底には
いつ怒られるか解らないという、不安が絶えずこびりついて離れなかった。
当時の私にとっては、いつ怒鳴られるかーー
たしかにそれが父に対する最大の恐怖だった。
父の死後、私はだんだんと父の病気について
いろいろな話を聞くようになった。
そしてそれ以来、私はずっと父をこの病気を通してのみ眺めてきた。
またこうした長い間の習慣のためか、私は自分が
この病気を通してでなければ絶対に父を見ることの
できなくなっているのには少しも気付かなかった。
しかし姉のこの言葉はフト私の心に、それまでついぞ
考えてもみなかった新しい思いを吹込んでくれた。
今までずっと父に対して冷淡な硬い気持ちを抱き続けてきた私にとって、
それはたしかに晩春にけむる糠雨のように
淡い温暖(ぬくもり)を持った侘(わび)しい一つの発見だった
もちろん、私は父の病気であったことを承知している。
しかしこの父からそうした病気を除いたとしたらーー
あるいは私はそこにのみ真実自分の親としての
父の姿を求むべきではなかったのだろうか。
小さい子供達を相手に面白そうに巫山戯(ふざけ)あったり、
イロハがるたにわざわざ自分の方から割り込んできて、
「尻ひって尻つぼめ」と「頭隠して尻隠さず」という札だけを
必ず二枚自分の前へ独占して、一生懸命に
そればかり眺め据えながら、いざとなるとそれさえ
たちまち私等に横取りされていた、そうした時の父親こそ、
私等にとって真実親しみのある本当の父の姿ではなかったのだろうか。
「おい、ほら、しっかりしろ」
と掛声を掛けながら、よく私等を相手に相撲をとっていた
その時の父の気持ちは、恐らく世間一般の父のそれと
少しも異なる所はなかっただろう。
しかし、こうした父が、もし自分の薄いぺしゃんこな腹に
大きなお凸頭(でこ)を押付けて、うんうん真赤になって
唸っていた、その時の私の気持ちを知ったとしたらーー
傍眼(はため)にはいかにも一心不乱に父に親しみきっているように
見えながら、その癖心の底ではどうしても
この父に、真の親しみを抱きえなかった。
私の本当の気持ちを知ったとしたら、恐らく父としても
かなり淋しい気持ちがしたのではなかっただろうか。
私はこの意味において父をずっと偽り通してきた。
父の真実の気持ちさえ、私には決して通じなかった。
従って、今こうして、自分が生前、
父を本当に欺き通してしまった。
そして、父は少しもそれを知らずに死んでしまったということを考えると、
私は知らず識らず父に対して、病気を離れた真実の父に対して、
本当に申し訳なかったという侘しい後悔の念を感ずるのである。

(つづく)
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