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夏目漱石3 生い立ちと性格

2016-06-27 14:37:16 | 夏目漱石
夏目漱石 ウィキより↓
1867年2月9日(慶応3年1月5日)、江戸の牛込馬場下に名主・夏目小兵衛直克、千枝の末子(五男)として出生。父・直克は江戸の牛込から高田馬場一帯を治めている名主で、公務を取り扱い、大抵の民事訴訟もその玄関先で裁くほどで、かなりの権力を持っていて、生活も豊かだった。 母は子沢山の上に高齢で出産した事から「面目ない」と恥じたといい、漱石は望まれない子として生まれたといえる。

当時は明治維新後の混乱期であり、生家は名主として没落しつつあったのか、生後すぐに四谷の古道具屋(一説には八百屋)に里子に出されるが、夜中まで品物の隣に並んで寝ているのを見た姉が不憫に思い、実家へ連れ戻した。

その後、1868年(明治元年)11月、塩原昌之助のところへ養子に出された。塩原は直克に書生同様にして仕えた男であったが、見どころがあるように思えたので、直克は同じ奉公人の「やす」という女と結婚させ、新宿の名主の株を買ってやった。しかし、養父・昌之助の女性問題が発覚するなど家庭不和になり、7歳の時、養母とともに一時生家に戻る。一時期漱石は実父母のことを祖父母と思い込んでいた。養父母の離婚により、9歳の時、生家に戻るが、実父と養父の対立により21歳まで夏目家への復籍が遅れた。このように、漱石の幼少時は波乱に満ちていた。この養父には、漱石が朝日新聞社に入社してから、金の無心をされるなど実父が死ぬまで関係が続く。養父母との関係は、後の自伝的小説『道草』の題材にもなっている。   
      
       若い頃の漱石
    -----------------------------------
幼児期の生活環境が、その人格に及ぼす影響は
思ったよりも大きいようです
私はネットで「虐待の連鎖による人格異常」という人と
知らずに何年も相対した事があります
その人は、自らの体験や症状を具体的にでもないですが
何度も言っていました
医学的には「パーソナリティ障害」というそうですが
元は「人格障害」という名称(病名)だったそうです

漱石は、時に激高して子供を殴ったり蹴ったりしたそうです
それは、漱石の次男伸六氏が語っていますし
鏡子夫人が書いた『漱石の思ひ出』にも
娘をいきなり殴った事が書かれているそうです
何故、自分の子供を殴ったり蹴ったりするのか
通常はこれは異常な行動とされます
子供や奥さんはそれらの「発作」が起きることを恐れており
そうなる前に「顔が茹でたように赤くなる」とも言っています
幼児期に、何らかの精神的肉体的虐待を受けたものは
それらをひきずって、一生涯、
性格に何らかのよくない影響を受け続けるようです

漱石は長年胃を患っていたそうですが
精神的懊悩や恐怖などとの胃や体の関係は証明されています
「病は気から」と昔から言われてきましたが
これは、「ストレスと体の関係」として
現在では定説になっています

漱石の元々の性格と、生まれ育った環境
養母との関係、実親との関係など、少なからず
幼い・若い漱石に良くはない影響を与えたのは確かでしょう
二度目の養母が非常に吝嗇であったとか
親が定まらないという究極の「落ち着かない生活環境」
実親からは疎まれていたとか、要らない子供だった、
などから来る心の傷は、漱石の人格形成に少なからず影響した
そして、非常に頭のいい漱石は、おそらく
自分の中で理性では消化しようとしながらも
内から来る何物かには抗えなかったのではないでしょうか

弟子を大事にし、多くの後輩を育て面倒を見たと言われる漱石
その神経質な小説からは窺い知れない一面を持ち合わせています
もしも、漱石の生い立ちに、このような不幸がなかったなら
漱石の人生も、小説も違ったものになっていたかもしれません
ですが、人の心を捉え続けているのは
そういう「複雑な生い立ちから形成された陰のある性格」
であったからこそのものであると思うと
複雑な心境がします

私は「虐待の連鎖」については、ネットで随分調べた事がありました
又、新聞記事やテレビなど、それらに関するものは
随分と熱心に見てきました
人の心に及ぼす傷、PTSDなど、心の闇を解き放てるものが
今の時点では完全なものはないようです

大きな事件が起きた時などに、その背景生い立ち
犯人の、ですが、数多くそれらの影響を感じないわけにはいきません
漱石のように聡明な人は、このような形で
後世に残るものを残していけました
ですが、誰もが聡明で生まれるとは限りません
理性と感情と、その後の性格形成をどのようにするか
また、どのように人格形成を自分でうまくやっていけるのか
各々の事情は違うでしょう

先日、小年の裁判員裁判で初めての死刑判決が確定しました
その時の弁護人の言葉も考えさせられるものがあります
残虐な殺人を犯した犯人が、その生い立ちを語った時
全てが本人の責任であろうかという難しい問題に突き当たります

確かに人を殺した事は重罪です
ですが、そこに至る犯人の生い立ちを聞いた時
思わず、複雑な心境になりました
亡くなった方は戻ってきません
一体殺したのはこの犯人一人なんだろうか?
背景にあった親やその他も犯人の一人ではないのだろうかと
私は死刑制度には賛成の立場です
話が大分逸れてしまいましたが
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