宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

他者の意見を自分のものとする

2009-02-01 11:06:38 | ミーティング、ルール、民主主義
民主主義とは、当り前の話ですが、自分一人の思い通りには物事が上手くはいかないようになっている制度です。


自分にとって常識だと思っていたことは、往々にして他人にとっては常識ではありません。


そこで意見の修正を余儀なくされます。そのとき、その意見が自分のこだわりにかかわれば関わるほど、自分が引き裂かれるような感覚になります。


自分は自分として意見をもっていても、自分は同時に団体に属していると、その団体の意思に沿わなければなりません。


ある人が、

「デモクラティックスクールの中にい続けるには、自分の中心にとどまっていなければならない」

と言っていましたが、このように自分が引き裂かれるような経験がデモクラティックスクールでは多くあるゆえに、自分の中心に居続けることが重要だということなのでしょう。


デモクラティックスクールでは、誰もが、少なからず少数派になる場面が出てきます。個人の意思をもつ以上、それは必然的なことです。


学校の運営に関して自分の意思を主張できるのは、他にはない、デモクラティックスクールのもっとも大きな特徴です。


これはある意味でとてもつらいことです。意見が衝突した際には、自分の意思を削られたように感じながら、多数派の意思に従うからです。


普通の学校であれば、私たちは最初から意見を主張したりはしませんし、その機会もありません。ですから、意見を衝突させる機会もないし、それゆえに自分が引き裂かれるようにも感じません。


意見は意見でしかありません。意見をもつことは大切ですが、意見をもつことは必然的に他人の意見と衝突することを意味します。ある団体に属していなくても、私たちは社会には属しています。社会全体の決定に従うだけなら、それは普通の学校の校則に従うだけと同じ、社会の運営にコミットしていないことになります。


わたしたちは団体の運営にコミットするほど、自分の意見の修正を余儀なくされます。自分が変わることを強いられます。他者の意見を自分のものとすることを必要とされます。


デモクラティックスクールが社会の縮図である理由は、ここにもあります。


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日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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