(この画像は、結婚式のドレスの試着をした頃のママ。32歳でした。実際の披露宴ではこの黄色いドレスは着ていないので貴重画像です)
アタシはママのおっぱいと結婚したワケではありません。ま、おっぱいとは結婚できませんから、おっぱいが好きで結婚したワケではありませんという意味ですが…。
アタシのことを好いてくれた稀有な存在のママ。おっぱいがどうであれ結婚していたでしょうし、おっぱいがどうであれ三人の娘を授かり、今に至っていただろうと思います。
でも、ママのおっぱいは好きです。正確に言うと好きでしたかもしれませんけど…。
ママと付き合い始めたこの画像の頃、ママは32歳でそれは素敵なおっぱいの持ち主でした。
その後、三人の娘の授乳という重要な任務を終えたおっぱいは、ママの体型の変化とも相まって魅力は失われていくのでありますが、やはり女性の第二次性徴で変化が大きい部位であることからも女性らしい体型的特徴のひとつがおっぱいなんだと思います。
乳がんになり、それを切除するということは内臓の切除とはまた違った思いがあります。
確かに三人の授乳を終え、もう子供は予定していない段階での発見であったことは不幸中の幸いかもしれません。でも、ならない人のほうが多いということを考えれば、なって欲しくなかったというのが本心です。
まだ幼い娘たちにとって、ママと入浴すれば"おっぱい"と言って撫でたり突っついたりするのが、おっぱいへの郷愁であり、大人の女性の身体に対する興味であり、今後自分の体型が変化していく際に見本があるという安心であるんだと思います。
その一部を切除されたおっぱいとその傷痕に対して、どう接すればよいのか娘たちは迷うことでしょう。
いや、本心をいえば乳がんと判って、どう接すればよいのか戸惑っているのはアタシです。
入院が伴いますので、ママとはいろんな話をしますが、ママがどう思っているのかとか、切除することとかに関しては込み入った話はしてません。
(ママの人生最大のサービスカット。2006年4月、ママ33歳)
ママとは込み入った話をしないぶん、ネットでいろいろと調べました。
昔(といっても15年程前)までは、再発を防ぐために乳がんの切除といえばリンパ腺も筋肉も含めて取るのが普通だったようですし、今では重粒子線治療という先進医療で切らずに温存するという選択もあるようです。
ママに重粒子線治療の話をしたこともありましたが、費用が膨大だということもあり一蹴されました。
もうママの頭の中ではおっぱいを切ることは仕方が無いことだという割り切りがあるようです。
アタシもそれは仕方の無いことだと思っています。
もちろん手術をしたからといって、ママのことが嫌いになることはありませんし、ママのおっぱいが嫌いになることもないでしょう…。
ちょっといろいろなことが心の中をぐるぐるして、まだアタシが一番心の整理ができていないのかも知れません。
本心は切って欲しくはないということなんだろうと思います、自分のことを客観的に見れば。
ただ、この期に及んでそんな事を言い出すのは、大人げないことも判っています。
今は、無事に手術が終わってくれることと、娘たちがママのおっぱいの傷痕を理解してくれること。そして、娘たちが成人して自分も注意を払ってくれるようになることを、ただ願っています。
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