鑑三翁は69歳で亡くなった(1930〈昭和5〉年)。心臓の疾患だった。この頃の平均寿命は男性でおよそ50歳、女性でおよそ53歳(厚労省資料)。当時は乳児死亡率が高く(出生100件に対し12.4)、感染症の罹患率も高く医療も不十分な時代でもあり、統計の手法も現在とは異なるので単純比較はできないものの、鑑三翁は当時としては長寿であったといえるだろう。しかしこれはあくまで「平均寿命」であって、乳児死亡率の高さなどが平均寿命を引き下げていたこともあり、七十歳八十歳超の老人も数多いたことも確かなことである。
鑑三翁は「老人」や「高齢者」といった事柄に関する論稿は少ない。そのうちの論稿の二つを現代語訳した。「老年の歓喜」「老年の祝福」と題する論稿。
《老年の歓喜》
【若いことを喜び老年を厭うことは普通の人情である。しかしながら信仰の生涯をおくる者にとっては老年は必ずしも厭う事柄ではない。老境に入ると思想はますます明晰になり、今まで播いた種が成熟して実を結ぶことを見ることができる。人生の問題は徐々に解決されて、学生時代に教師から出題された数学の問題を熟考して解答を探り当てた時のような歓喜と満足とがある。そのほかにも川のかなたから音楽が徐々に私のもとに響くことがある。太陽が西の山々にうずくように輝く様子を見て(神の)光の国の栄光をおもいやることがある。時には過去を顧みて神の恩恵が顕著であったことを思い起こすと、感涙が頬を伝わり落ちて感謝の祈祷にむせぶことがある。実に信仰一途の生涯にあっては老年は最良の部分である。青年時代に苦学し、中年の時代に苦悶し、老年の時代に感謝の収穫を楽しむのである。誰かが言っていたが、信者の生涯には興味はない、と。なぜならば神は神が愛する者に最善のものを最後に賜わるのである。世間の人たちが悲しむ時に信仰をもつ者は喜ぶのである。人生の夕影が暗くなろうとする時に、信仰をもつ者は希望の星の輝きに無限の(神の)宇宙が彼の目の前に展開するのを見るのである。】(全集23、p.215)
この一文は「聖書の研究」200号に掲載されたものだ。1917(大正6)年3月10日発行、鑑三翁は56歳。明治45年に愛娘ルツが天に帰ってから数年後の事で、鑑三翁はルツの死後より「キリスト再臨運動」に熱心に取り組むようになっていた。この一文の書かれた翌年(1918年)には、東京基督教青年会館で「聖書研究者の立場より見たる基督の再来」と題して講演して再臨運動を開始し、『基督再臨問題講演集』を刊行した。翌1919年には大阪で「基督再臨研究大阪大会」に出席し講演している。
鑑三翁はこの一文では、数学問題のような若き日々の悩みが解決し煩悶は後退して、大いなる自然の中にある自分を発見し神の栄光を思いその恩寵に深い感動を覚えるようになっている事を思うにつけ、信仰生活にあっては「老年」は最良の部分であると記している。鑑三翁の老境における心の有り様を示すものだ。
この「老年」の積極的な肯定感はどのようにしてもたらされたものだろうか。鑑三翁は若い時代にアメリカに留学して本格的にキリスト教を学んだものの、アメリカ社会を覆う金満と強欲から逃れられないアメリカの教会活動に幻滅し帰国した。そして日本での生活を始めたものの、薩長政府による頽廃的強権が日本社会を支配していた中でようやく仕事の糧を得るものの、当時既に世間で名を知られていた鑑三翁は、薩長政府による宗教的不寛容と愛国主義的な政治的陰謀による者たちの策により、第一高等中学校教育勅語奉読式でいわゆる「不敬事件」を引き起こすに至った。そのような中で鑑三翁は病の床に伏せるが、新婚直後の妻かずは事件の心痛と共に重篤な病をひきおこし亡くなった。ここから鑑三翁の精神の危機的な生活が始まる。絶望の底でのたうち回った鑑三翁は、キリスト教への信仰も神への信頼をも失うに至ったのである。
鑑三翁は若き時から生活と闘い社会と闘い苦悶し苦闘してきた。
私はこの鑑三翁の心の世界を「全集」から取り上げ現代語訳し、拙い解釈を加えてきた。私の連載[愛する者を失ったとき(Ⅱ37-45)]、[不治の病気にかかったとき(Ⅱ46-56)]、[求安録(Ⅱ57-66)]、[病気は感謝すべきもの(Ⅱ67-71)]、[死の恩寵(Ⅱ72-76)]、その他に鑑三翁の若き時代の苦闘が表現されている。鑑三翁の「老年」の時は、それらの回顧の時でもあるが、「青年時代に苦学し、中年の時代に苦悶し、老年の時代に感謝の収穫を楽しむのである」と捉えているのがキリスト・イエス信仰の真髄を生きてきた鑑三翁の特質だ。「老年」の積極的な肯定感は、このような生涯の経験が背景として裏打ちされていると考えるべきだろう。
“万年青年”のごとき鑑三翁は日記に次のように記している。
【余自身は今年六十二歳であるが、余の人生のプロスペクト(前途の望)は二十代のそれと少しも異ならない、キリストを信ずる最大利益の一は何時(いつ)になっても若々しく在り得る事である。】(全集34、p.68、日記、1922年)
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