このような「うつ病」「うつ症状」は、多彩な症状や変化を人間にもたらします。「うつ病」へのアプローチは近年総合的に検討されるようになりました。薬物療法も進展しカウンセリングと合わせてアプローチするのが一般的な治療法になっています。また自殺者の大半において「うつ病」が基礎疾患となっていることも解明されつつあります(WHO統計調査)。日本の2020年統計ではわが国の年齢階級別にみた死因は、10~39歳(男女計)の全年齢階級で第1位が「自殺」です。10~14歳の「自殺」については、全死亡の約29%を占め前年第1位の「悪性新生物」に代わって第1位です。また15~29歳では「自殺」による死亡が全死亡の50%以上を占め、「不慮の事故」や「悪性新生物」による 死亡を大きく上回っていることに注目すべきでしょう。
話が思わず横道にそれましたが、私も体験した「うつ病」は原因はとまれ人間に心身の不調をもたらし、場合によっては希死念慮をもたらします。また自分の若い子どもの死を深く悼む心理というものは、傷が癒えず深刻なまま親の心を長いあいだ苛み続けてやまないものです。先述の小倉陽子さんや川嶋みどりさんのように。私はヨブの生きた時代にも同様の現実があったのだと考えています。葬送の歴史をたどって研究した事が私にもありますが、古の時代からこのような「死の悲嘆」を示す葬送儀礼に見ることもできます。
とすれば心の確執葛藤を抱え込み神への反意嘆息を吐露し続けるヨブを前にして、縷々神学的な話をする若きゾパルら友人たちは、的外れな言説をヨブに投げかけていたとも言えます。うつ病は物事に対して真面目に取り組み人に対しても誠実な人間がかかりやすい病気と言われます。ヨブは今で言う「うつ病」に罹患していたとしたらどうでしよう‥友人たちの慰撫の言葉や忠告がヨブの耳に入らなかった(心に届かなかった)可能性もあります。但しヨブはスケールの大きな勇胆で神に近い人間でありその人格はキリスト・イエスを髣髴とさせるものでしたから「うつ病」の罹患云々は適切ではないかもしれません。でも自分の子ども十人を一挙に喪い妻も去ってなお感受性のない土くれのような心でヨブが平然としていた‥これも考えにくい事柄です。
私の場合、私が「うつ病」に罹患していたにもかかわらず、周囲の者はよかれと考えて”善意”で私に新しいお嫁さんを紹介する者もいました。何人もが写真を持参して新しいお嫁さんを‥。「亡くなってもお子さんたちがいるから慰められますね」と声掛けする者が何人もいました。それらの”善意”は私にとっては残酷なものでした。妻亡き後の日々にも、仕事は無理せずに‥と声掛けしてくれる会社の者も多かったのですが、新企画提案や新執筆者の開発が出版編集者の仕事であるはずなのに、そのような新しい企画も出せず自分の殻に閉じこもり旧来の執筆者と交際費を使って飲み会を漫然と繰り返している者が多い編集室では、無理するな‥の声は空虚に響くだけでしたね。辛い苦しい日々は続きました。
励ましや慰撫‥というものは、悲嘆のさ中にある人間には”届かない”ものです。ましてやヨブは悲嘆の中からあまりに酷い仕打ちに自らの死をも飲み込み、創造者であり全能の神への異議申し立てを行っているさ中に(ひょっとして「うつ病」に沈んでいたさ中に)、人生経験も浅き若き神学者ゾパルの声は届かなかったと考えるのが自然ですよね。
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