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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

[Ⅺ 335] ヨブ記巡禮 (4) / 見る前に飛べ‥   

2025-03-11 11:04:19 | 生涯教育

私の所属していた聖書研究会では、この個所の焦点「神 - サタン」に関しては、大方の先輩指導者は「聖書にそのように書いてあるのだから間違いはないのよ。その通りに信じればいいのよ。Leap Before You Look‥つまりはね、見る前に飛べばいいのよ。あまり余計な事は考えずにね‥」という考え方が支配的でした。私はそんな時に「それじゃ答えにはならないじゃないですか!」と反論したものです。私は研究会では素直ではない人間としてケムたがられていたようですが、聖書研究会の指導者たちの言はあながち間違いとは言えません、信仰とはそのようなものなのだから。《〈最高善〉としての神を信ずることは反省する意識には不可能である。》(ユング翁p.88)  とまれ「神 - サタン」がヨブに与えた試練はすさまじいものでした。

サタンはヨブの子どもたちがいつものように宴を開いている時に、シバ(※アラビア半島南西端今日のイエメンとも。ソロモン王即位を祝って訪問したシバの女王として知られる)の者たちが牛とろばを奪いしもべたちを殺したのです。続いて神の火が羊としもべたちを焼き滅ぼし、さらにはカルデヤ人(※バビロニア人のこと。チグリス・ユーフラテス河川の流域に形成された広大な地域に住んでいた)がラクダを奪いしもべたちを殺しました。このようにして家畜としもべたちは全滅します。

ところがサタンの仕業はこれにとどまりませんでした。宴を開いていたヨブの愛した子どもたちを大風をもって家を潰し、何と全員を圧死させてしまいます。この惨禍から逃れてきたしもべの報告を聞いたヨブの心はどのようなものであったのか‥全ての家畜を失うことはまだいい、しかし心から愛し育ててきた子供たちの全てを一瞬にして喪った時のヨブ及び妻は、叫び狂いのたうち回るほどの衝撃を受けた筈です。ヨブ記の著者はこう記します。ここはよく知られた箇所です(1:20-22、聖書原文)。

【 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。】

ヨブは上着を裂き頭をそり地に伏して拝しました。彼はここでも神への信仰を篤く守り通したことがわかります。驚嘆すべきヨブの信仰です。上着を裂き頭をそり地に伏して‥というヨブの行為は、悲嘆の表現ではありますが、これは申命記神学での神への忠誠を表わす所作でもあったのです。「そしてわたしは前のように四十日四十夜、主の前にひれ伏し、パンも食べず、水も飲まなかった。」(申命記9:18)、「彼らは荒布を身にまとい、恐れが彼らをおおい、すべての顔には恥があらわれ、すべての頭は髪をそり落す。」(エゼキエル書7:18)、「その日、万軍の神、主は 泣き悲しみ、頭をかぶろにし、荒布をまとうことを命じられたが」(イザヤ書22:12)ここで言う「かぶろ」とは禿(はげ)のことで頭を剃ることを意味します。

この部分でヨブはそのような当時の習俗に忠実であったことが記されますが、ヨブと妻の心の内奥の悲嘆については全く触れていないことが私には不思議に思われるのですが、あえて「ヨブ記」著者はこれを避けたのです。神に重んじられその忠実な信仰に神さえも感服していたとも思案されるヨブの信仰の只ならぬ深みが既に表現されているからです。「わたしは裸で母の胎を出た」以降の表現は主体者の言い表すことのできない悲嘆と苦悶感情に満ちています。

この箇所は聖書の「エレミヤ書」に類似の表現が見られます。私はかつて次のように記しました(Ⅴ263:泣きべそ聖書-23) ‥‥「これは夜もすがらいたく泣き悲しみ、そのほおには涙が流れている。そのすべての愛する者のうちには、これを慰める者はひとりもなく、そのすべての友はこれにそむいて、その敵となった。 」(哀歌1:2) 預言者エレミヤは預言者として召されたのはユダの王ヨシヤの治世エレミヤが二十歳の頃(前627年)でした。やがてエルサレムの陥落(前586年)に伴う南王国ユダの滅亡とバビロン捕囚というイスラエルの民の悲惨を経験します。彼の嘆きはとまらない。かつての華やかな時を思い起こす。「ああ、むかしは、 民の満ちみちていたこの都、国々の民のうちで大いなる者であったこの町、今は寂しいさまで坐し、やもめのようになった。もろもろの町のうちで女王であった者、今は奴隷となった。」(哀歌1:1) エレミヤの書記はユダの捕囚は70年にわたると言うエレミヤの預言を記しました。エレミヤは民から迫害され受け入れられないなかで、エルサレムの滅亡を神の言葉として語り続けました。だがエレミヤも一人の人間。預言者の職にあってなおユダの民の人間としての苦しみと悲しみに対する深い情愛と共感を保ち続けました。エレミヤは奴隷となってバビロンに引かれていくユダの町の女王を目にしました。昔はその女王を取巻いていた人間も今や彼女に近づこうとはせず、彼女の悲しみを慰める者はいない。その女王は孤絶のなかでひとり涙を流している。‥‥

エレミヤの記した並々ならぬ深い悲嘆は私にはよく理解できます。神の命令とは言えわが子イエスの磔刑の十字架のそばで子への涙を流す聖母マリアのような慈悲の心が伝わります。エレミヤが”涙の預言者”と呼ばれてきたことも理解できます。ところが「ヨブ記」著者はこのような表現を使わなかった、ヨブや妻の内奥を探り探索し夥しい言葉を記録するならば、神とその前に立つヨブとの間の緊張感の糸が緩むと考えたからだと思います。クールで冷淡に見えるヨブよ ! 

しかしながらヨブが神に忠誠を誓う悲嘆の儀式をもって簡明に全てを語らせようとしていますが、彼や妻の内奥が特に子どもたち全員の”格別に不条理な死”に遭遇して、心が平穏であったとはとても考えられません。ただそれを「ヨブ記」の著者は記さなかっただけ‥これでは私は得心できないのです。


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