ヨブが体験したであろう人間の「悲嘆(感情)」について続けて考えます。ヨブの妻のことです。
〈第2章〉では再びサタンが神の前に現われたことが記されています。サタンが神に命ぜられたごとくヨブの飼っていた全ての家畜と全てのしもべたち、そして子どもたち全員を殺し、ヨブ夫婦に対する残酷苛烈な一仕事を終えた後のことです。
【 神はサタンに言います‥私が言ったようにヨブは正しく神である私を恐れ悪に遠い人間であることに気づいたであろう。ヨブはそれほど完全な人間であることがわかったであろう、と。サタンは神に答えます‥それでは次に彼の肉体・骨と肉とを撃ってみなさい、彼は必ずあなたをのろうでしょう、と。すると神はサタンにヨブ自身の身体を襲い傷つけることを許すのです。但し命だけは助けよ、と。再び残酷な仕打ちを神はサタンに命じます。今度はヨブ自身の身体の病気でヨブを打ちのめそうとサタンは出かけて行きます。そしてヨブを襲い、足の裏から頭の頂まで全身を”いやな腫物”でおおいました。】
この病気はかつてのハンセン病か梅毒と考えられてきましたが、現代の医学者によれば少し違う病気のようです。ここでは深入りしません。全身をこの嫌な腫物で覆われたヨブはその痒さと不快さに耐えかねて陶器の破片で自分の身体を掻きむしります。この腫物に対する治療の方法もなく、痒さと痛みに耐え瘡蓋(かさぶた)を搔きむしるしか手立てはなかったのです。
【 その姿を見てヨブの妻は彼に告げます‥私たちは子どもたち全員を殺され、全てのしもべも殺され、家畜も全て殺された、無一物になって貧困に苦しむ毎日なのに、追い打ちをかけるようにあなたは全身をいやな腫物におおわれ苦しんでいる、なのにあなたはまだ神に対する忠誠と信仰を守っている、もういい加減にして神をのろって自死しなさい‥と。】
聖書はこのようにあっさりと記してはいますが、私は著者がヨブの妻のことには詳しく触れていないことを奇妙に思ってきました。かつての私の学んだ聖書研究会でもヨブの妻のことについては全くふれることはありませんでした。これも今になって考えると不思議なことです。
ヨブは妻の悲嘆にも深い共感と理解を示すことのできた人間だったでしょう。しかしヨブはその妻に対しては次のように言い突き放します。「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災いをも、うけるべきではないか。」(2:10)、と。こう言って妻の言葉には一顧だにしませんでした。神への批難も口にすることはありませんでした。この姿勢や態度が神の誉をうけた「正しい人」特有のものだとしたら‥私には腑に落ちない感情が残ります。
主人公は確かにヨブです。しかしヨブの悲嘆は同時にヨブの妻の悲嘆でもあった筈です。しもべを喪い家畜を喪ったことに伴う経済的損失は重大なものだったけれども、そんなことよりもその子どもたち全員を喪ったときの妻の悲嘆の大きさ深さというものは私たちの想像を超えるものだった筈です。それはひょっとするとヨブ自身の悲嘆の深さと大きさをはるかに超えていたのではないか。「ヨブ記」の著者は彼女のその後についても何も触れてはいませんが、往時も禁止されていた自死を彼女は選んだのではなかったか‥神を呪って‥と私は考えています。自分のお腹を痛めて出生した子どもたち全てを喪うことは、彼女の未来が閉じられた‥と考えていいと思います。子を喪った母親の例えようもない苦悶と絶望感と悲嘆のことです。
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