台北名物(?)「補習班」が建ち並ぶ一角に足を運んだことがあった(大学時代に中学受験の算数指導に携わっていたせいか何故か呼称を存じてました)、のですが、合格実績を記した短冊が所狭しと貼られている様は、関西のスパルタ進学塾のそれを髣髴とさせ壮観でした。台湾や韓国は日本以上に熾烈な学歴社会のようですが、とりわけ台湾では小学生高学年の7割が塾通いをしており、全体の50%が毎月6000元(約21000円)以上の月謝を納めている(なる台NEWS)のだそうです。台湾の「補習班」は単なる受験指導というより共働き世代が子供を預ける場としての意味合いもあるようですが、家計可処分所得に占める割合は相当なものではないでしょうか。
◆アジア留学生に奨学金、日本で就職促す 2千人に国支給(朝日)
◆ ケシクズ ◆様(超特選ブログ)のところで紹介されていた記事です。「中国、韓国などアジア諸外国の・・・・」という記事の冒頭を見ただけで、その内容の如何に関わらずどっと夏バテといった塩梅(休み明けの今週は実に辛かった・・・・)ですが、「住居費分、学費免除分、生活費など月計20万~30万円相当の支給を検討中」という件は何とも仰天です。大学進学に際し、自宅外・私立(医学部・薬学部等以外)の場合だと4年間で概ね1千万程度を見込む必要があります(FPの教科書的に教育費を試算してみるとため息が出ます)が、私の母校の初年度納入金を調べてみたところ、当時の1.5倍程度(国立大も同程度ですね)に高騰しており、家計負担のハードルがより高くなっているのは間違いありません。
毎月勤労統計調査(日経)による5月の現金給与総額の27万7491円という数字と比べても、経済産業・文部科学両省の構想は庶民の感覚と著しく乖離した随分な厚遇だなと呆れかえるばかりです。(平沼赳夫・前経産省大臣あたりはこれをどう評価するものやら)
所謂「格差」というものは教育という現場では随分前から体現していたように思いますが、それにしても、公教育の質的低下と地方から首都圏の大学に進学する経済的ハードルがここまで広がってくると、教育という入り口での格差の固定化が懸念されるところです。「中国、韓国などアジア諸外国の優秀な人材に、日本企業にもっと入ってもら」うことを考える前に、地方の優秀な高校生の進学の機会均等を確保するセーフティネット(奨学金)の拡充こそが先決だと思いますし、「中国、韓国などアジア諸外国」が大好きな朝日新聞はその辺りをどう考えているのか? 中国や韓国の反発ばかりに目がいっているようですが、こんな愚策に対してこそ「子育て世代の反発は必至だ」と記すべきでしょう。
ちなみに、都心のB小やK小といったところから通っている生徒には役人の師弟が多かったですね。親が文科省という生徒も結構いましたが、彼らは「ゆとり教育」という愚民化カリキュラムを推し進める傍ら、自分の子供は塾通いさせて難関国・私立中受験をさせていたという次第です。「自分の子供を難関の筑波大付属中に進学させれば、〝国公立〟に通わせているという大義名分が成り立つのだそうだ」という話も小耳に挟んだことがあるのですが、こうした学生時代の裏話を話すと反感を持つ子育て世代の方は多いです。
社会保障費の財源等に関して消費税の引き上げは不可避だとは思いますが、生・損保の保険料控除があるくらいですから、「教育関連費控除」もあって然るべきだと個人的には思います。高校や大学といった教育機関に限らず、一定の学習塾や習い事等も認定対象にすれば、優良な民間教育産業を育成する効果にも繋がるのではないでしょうか。
国家百年の計である教育という地盤の重要性を改めて見つめなおすととともに、子育て世代への「現実的かつ実効性のある」優遇策(健康保険の出産育児一時金を5万増やしたところでなぁ・・・・)を講じる必要に迫られているように思います。
◆アジア留学生に奨学金、日本で就職促す 2千人に国支給(朝日)
◆ ケシクズ ◆様(超特選ブログ)のところで紹介されていた記事です。「中国、韓国などアジア諸外国の・・・・」という記事の冒頭を見ただけで、その内容の如何に関わらずどっと夏バテといった塩梅(休み明けの今週は実に辛かった・・・・)ですが、「住居費分、学費免除分、生活費など月計20万~30万円相当の支給を検討中」という件は何とも仰天です。大学進学に際し、自宅外・私立(医学部・薬学部等以外)の場合だと4年間で概ね1千万程度を見込む必要があります(FPの教科書的に教育費を試算してみるとため息が出ます)が、私の母校の初年度納入金を調べてみたところ、当時の1.5倍程度(国立大も同程度ですね)に高騰しており、家計負担のハードルがより高くなっているのは間違いありません。
毎月勤労統計調査(日経)による5月の現金給与総額の27万7491円という数字と比べても、経済産業・文部科学両省の構想は庶民の感覚と著しく乖離した随分な厚遇だなと呆れかえるばかりです。(平沼赳夫・前経産省大臣あたりはこれをどう評価するものやら)
所謂「格差」というものは教育という現場では随分前から体現していたように思いますが、それにしても、公教育の質的低下と地方から首都圏の大学に進学する経済的ハードルがここまで広がってくると、教育という入り口での格差の固定化が懸念されるところです。「中国、韓国などアジア諸外国の優秀な人材に、日本企業にもっと入ってもら」うことを考える前に、地方の優秀な高校生の進学の機会均等を確保するセーフティネット(奨学金)の拡充こそが先決だと思いますし、「中国、韓国などアジア諸外国」が大好きな朝日新聞はその辺りをどう考えているのか? 中国や韓国の反発ばかりに目がいっているようですが、こんな愚策に対してこそ「子育て世代の反発は必至だ」と記すべきでしょう。
ちなみに、都心のB小やK小といったところから通っている生徒には役人の師弟が多かったですね。親が文科省という生徒も結構いましたが、彼らは「ゆとり教育」という愚民化カリキュラムを推し進める傍ら、自分の子供は塾通いさせて難関国・私立中受験をさせていたという次第です。「自分の子供を難関の筑波大付属中に進学させれば、〝国公立〟に通わせているという大義名分が成り立つのだそうだ」という話も小耳に挟んだことがあるのですが、こうした学生時代の裏話を話すと反感を持つ子育て世代の方は多いです。
社会保障費の財源等に関して消費税の引き上げは不可避だとは思いますが、生・損保の保険料控除があるくらいですから、「教育関連費控除」もあって然るべきだと個人的には思います。高校や大学といった教育機関に限らず、一定の学習塾や習い事等も認定対象にすれば、優良な民間教育産業を育成する効果にも繋がるのではないでしょうか。
国家百年の計である教育という地盤の重要性を改めて見つめなおすととともに、子育て世代への「現実的かつ実効性のある」優遇策(健康保険の出産育児一時金を5万増やしたところでなぁ・・・・)を講じる必要に迫られているように思います。
受験生の数も減っているのですから、センター試験と逆行する独自色の動きがあって然るべきだとは私も思います。
内の高校は北海道の田舎町の高校なので完全な国公立志向でしてね。
「マーチ行く位なら釧路公立大学行った方がマシ」てな世界でしてね。
(あんな田舎な釧路でキャンパス・ライフは厭だと思っていたが・・・・)
私も小樽商科大学目指して勉強したんですがセンター試験の数学2Bで全然問題が分らずそのまま帰りましてね。
センター試験駄目だったら、今迄国公立志向だった高校だったのですが、そこは教職員も私学専門になりましてね、私学を受けるために補習を受けました。
私が札幌の私学に合格出来たのも英語の白岩先生の猛レッスンがガツンと利きましてね。白岩先生には感謝感激です。
98年の話だから、今から8年も前の話ですがね。親が厳しくて「浪人は認めない、大学に落ちたら俺(親父)の経営する焼き鳥屋で働け、札幌大学と札幌学院大学は糞だ、北海学園か北星学園に池」とまぁ厳しい事云われてね、何とか北海学園に現役合格出来た思い出が有ります。
そういえば天母の日本人学校近くで宝石店をやってるむじな氏が好きそうな台独原理主義のオサーンがいたなあ。。。
このオサーン、漢字すら支那のものなので台湾語をローマ字で表記する運動してたっけ。
所謂「学」は無さそうですが、宝石店をやってるだけあって金は持ってそう。
>
ところが、台湾の場合は、大学に行くことだけが出世の道ではないからなあ。
台湾大学出ても、陳水扁とか馬英九みたいな体たらくしか出てこないんだし。それに比べて低学歴の陳菊あたりのほうがよっぽどがんばっているし能力も高いよな。また、私の知り合いで、中卒だけども、独立運動いろいろ手伝っていたり、店出してがんばっているほうが、本当の意味で社会に役立っているというか賢いというかマトモだと思う。
実際、ちゃんと仕事している人は必ずしも学歴なんて関係ないからね。
最近の「親緑学者声明」だとか台湾メディアの没義道ぶりを見ていると、台湾において「大学」とは何?って感じになります。
台湾は表面的には学歴階層社会に見えますが、実際にはもともと平等社会だったためもあって、日本よりもはるかに公平ですよ。
「大学出ても大したことがない」なんてザラですから。日本のほうがはるかにキツイ階級階層社会。
>台湾の場合、共通テスト以外にも学校ごとに試験を行う日本と違い「聯考」とよばれる統一入学試験しかないのでさらに状況は深刻です。
>
台湾の聯考は、日本の共通一次のモデルになった。だから、日本の共通一次とセンター試験は駄目なのです。一日も早く昔の大学別の試験、国立の1期2期の時代に戻すべきです。
私は特になにも考えず普通に公立中→家の近くの県立高校というコースでした。予備校とかも特に行かなかったのですが高校当時旺文社模試とか言うのがあって受けてみたら、校内偏差値90以上(アホ高校でしたのでw)!とか出てびっくり。
K奈川県内全体でも成績10位内に入ったもんなあ。。。今の私はその名残も無し(禿藁
>「中国、韓国などアジア諸外国の・・・・」という記事の冒頭を見ただけで、その内容の如何に関わらずどっと夏バテといった塩梅(休み明けの今週は実に辛かった・・・・)ですが、「住居費分、学費免除分、生活費など月計20万~30万円相当の支給を検討中」という件は何とも仰天です。
先生!台湾もアジア諸外国に入りまつかw?ちょうどうちの坊主も日台2重国籍なのでできればその制度台湾籍の方で利用しちゃおっかなあ?(藁
>所謂「格差」というものは教育という現場では随分前から体現していたように思いますが、それにしても、公教育の質的低下と地方から首都圏の大学に進学する経済的ハードルがここまで広がってくると、教育という入り口での格差の固定化が懸念されるところです。
台湾でもやはり親の所得格差で子供の進路が決まってしまう部分がありますね。それこそ幼稚園段階から補習班やお稽古事をしなければいい大学に入れないというような。台湾の場合、共通テスト以外にも学校ごとに試験を行う日本と違い「聯考」とよばれる統一入学試験しかないのでさらに状況は深刻です。あと健康な男子は2回浪人したら徴兵で3浪もできないですから大変ですよ。
あと、台湾の場合中学を出たあと成績により一般高校と職業学校に分けられてしまうこともあり、高校ですでに事実上進路が決まってしまうシステムです。
>いや、それよりも、普通の民間企業で3年くらいは働かせるほうがよっぽどいいと思います。
これには激しく同意!学校出てすぐにまた学校という特殊社会に入った人間(教師)が生徒に「社会の厳しさ」を説く不思議。
私はとっても田舎の高校に行きました。
生徒の半分くらいは農家な感じの。
進学組は学年の半数足らず。
大学に進学する人の勉強時間は3~5時間。
田舎には高校生対象の塾とか進学ゼミなんて無かった。
(最近は出来たみたいだけど)
今考えると、親も子も世間知らずなわけで、こんな状況で勉強する雰囲気が生まれる筈も無く、毎日放課後には日が暮れるまでおしゃべりしてました。
都会の進学校に行く従兄弟に聞いたら8時間前後。
どうやって、そんな時間が生まれるのか理解不能でした。
ゴハンやお風呂は?お手伝いは?寝る時間は?
(まぁ、私はかなりの世間知らずでしたので)
母親の世代も状況はあまり変わらなかったようなんですけど。
奨学金は学年で1~3番くらいの成績でないと貰えないと誰かから聞いたことがありました。
自分に関係の無いことはあんまり覚えてない。orz
>アジア留学生に奨学金
日本人の学生にも同等にあげて欲しいし、日本での犯罪率の高い国の学生にはあげて欲しくないです。
>
広島は中高一貫だけど、金沢は違いますよん。中学から高校に行けるのは4割弱。
広島と金沢に高校があるのは、旧高師があった名残。
実は私もそうだったりします。(爆)
>国立大附属は、「ゆとり教育」の最先端学校だよん!だから大義名分も何も別にやましいことはないの。
あぁ、今風に言えばそういうことになりますね!教育実習生をからかって泣かせちゃったりとか、悪いことしたなぁ。(汗)
>ただ、普通の公立の「ゆとり」がそのまま「勉強しない」につながるのに対して、試験受けて選ばれてきて、わりと勉強熱心か裕福な家庭が多いから、「ゆとり」でできた時間を有効活用して、自然に切磋琢磨しあうんだよね。
それありますね!音楽の授業なんか映画鑑賞といった塩梅でしたが、ピアノとかヴァイオリン習っているヤツが多いからペーパーテストはいきなり真面目モードで出されても出来ちゃうみたいな。数学でも入学して早々「ピタゴラスの定理」について延々とやっていましたが、そういう意味では「ゆとり」教育でしたなぁ。(汗)
国立一期の附属でも広島とか金沢みたいに、政令都市と違わないところの附属は中高一貫なんですよね。剣道やってた私的には羨ましかったりしました。
もう15年位前の話ですが、自分の頃もそんな感じでしたねぇ。あの頃は受験生も多く「予備校バブルな」時代でしたが、代ゼミの直前講習で受けた「早大小論文講座」が慶應法学部の本番でドンピシャで助かったなぁ。(汗)
「下克上」と言えば、信長が大好きな小泉首相も湘南高校から慶應経済だからあんまりピンと来てないんでしょうね。
「能力と意欲さえあれば何とかなる」という希望を今の中高生諸君が持てる様な塩梅であって欲しいと思います。
うーん、私自身私立の医学部でもなければ子供のバックアップするのは親として普通でしょ?とか当時思ってましたが、今では大損こいた親に悪いことしたなと思ってます。反面教師としていただければ幸いです。(爆)
問題は今の日本の場合「勉強すること」以外で認められる階段というかルートがなくなってしまったことでしょう。
明治時代なら職人の棟梁になることも社会的には立派なことだったはずだし、実際戦前の職業学校はかなり社会的評価も高かった。
→問題は、どうやって現在の学歴・偏差値主義的な社会の日本で「別ルート」を認めさせるか。棟梁などの「現場」の人々は、建築士などの「会議」な人と比べて「陰」的な役割でつい蔑ろにされやすいんですよね。その「現場」の人をいかにして正当に評価が出来る社会にするか、思考する必要がありますね。
問題があるのは、「勉強して東大をはじめとする学歴ピラミッドで評価される」という人間評価システムの単線性でしょう。
→かといっても偏差値・学歴ほどわかりやすい基準はありませんしね…。う~む。
いや、それよりも、普通の民間企業で3年くらいは働かせるほうがよっぽどいいと思います。
→結論は民間の厳しさを身を持って体験させた方が良いということで。
これは結果的に質の低下につながると思います。
今の教員の質を考えると、「手当目的で、だらだら授業する」ことになりかねない。
→確かに今の状況だとそうなるでしょうね。若い元気のある教師なら話は別ですけど。
米国がそうだから。
米国は教育格差が世界でも最大で、かつ地元で生まれ育った米国人の教育レベルが低すぎるから、その分を海外から優秀な人間を入れることで、補っているわけですからw。
みんな「ハーバード」というとすごいと思うだろうけど、ハーバードの院生には、足し算も満足にできない人間なんてごろごろしているw。
→米国も大変なんですな。
というか、これは先進国に普遍的な現象。
先進国は「近代」のレベルを通り越しているので、近代国家の典型的なシステムである監獄、病院、学校にいろいろな問題が出てくるのは当然。
だからポスト近代の新たなシステムを考えないといけないわけ。
>あの「ゆとり教育」によって生徒・親の学校教育に対する信頼は完全に崩れたといってもいいでしょう。
いや、「ゆとり」を実施しなくても、近代学校システムは早晩信頼性を失っていたはずです。
問題は日本があまりにも先進国になりすぎたためなのです。
だから学校というシステムが機能しなくなった。
>しかし、塾も家庭の問題で通えないという人も多いです。所得の格差も問題ですが教育の格差の方がもっと深刻です。
教育格差なんて昔から存在しますよ。
問題は今の日本の場合「勉強すること」以外で認められる階段というかルートがなくなってしまったことでしょう。
明治時代なら職人の棟梁になることも社会的には立派なことだったはずだし、実際戦前の職業学校はかなり社会的評価も高かった。
>もし、この状態を放置していたら上位の人間はいつまでも上位にいて、下位の人間はいつまでも下位にいる、つまり「格差の固定化」・「下克上の果たせない社会」に陥ってしまいます。
格差のない社会なんてないでしょう。
しかも現在言われている「格差」というのはあくまでも「所得格差」であって、資産の格差ではありません。資産格差は統計上は増えていません。
問題があるのは、「勉強して東大をはじめとする学歴ピラミッドで評価される」という人間評価システムの単線性でしょう。
「勉強はできないが、手先は器用」とか、別の能力でも評価され、それで生きがいが見つけられてばいいのに、そうなっていないところが問題。
>それを防ぐためには、所得の低い家庭に対し援助することと、学校教育の抜本的改革(「教育実習生をを塾で修行させ、合格基準に達すれば教員免許を与える制度を作る」
いや、それよりも、普通の民間企業で3年くらいは働かせるほうがよっぽどいいと思います。
>・「補習・残業などに対しては時間外手当を与える」等)が必要でしょう。
これは結果的に質の低下につながると思います。
今の教員の質を考えると、「手当目的で、だらだら授業する」ことになりかねない。
>日本の教育はこんな状況に陥る危機に瀕しているというのに、外国人(実際は中韓)ばかりを優遇させる日本の教育、もう笑うしかないですな。
米国がそうだから。
米国は教育格差が世界でも最大で、かつ地元で生まれ育った米国人の教育レベルが低すぎるから、その分を海外から優秀な人間を入れることで、補っているわけですからw。
みんな「ハーバード」というとすごいと思うだろうけど、ハーバードの院生には、足し算も満足にできない人間なんてごろごろしているw。
先進国なんてそんなもんです。
地方だけど国立大附属中・高の出身者としてひとこと。
国立大附属は、「ゆとり教育」の最先端学校だよん!だから大義名分も何も別にやましいことはないの。
ただ、普通の公立の「ゆとり」がそのまま「勉強しない」につながるのに対して、試験受けて選ばれてきて、わりと勉強熱心か裕福な家庭が多いから、「ゆとり」でできた時間を有効活用して、自然に切磋琢磨しあうんだよね。
でも、それができるのは、試験で選ばれたから。普通の学校で「ゆとり」なんてやったら、学力低下につながるのは当たり前。
高校生としての意見ですが、自分の友達の大半が入試のとき塾などの講習を受けています。
理由は、「学校の勉強はあてにならない」・「塾の先生の方が教え方が上手い」・「塾の入試情報の方が正確」等です。
自分も中坊の時は、学校を休んで塾で勉強したいと本気で考えていたほどでしたし、入試のときも担任に「君は受からない」と言われましたが、塾の先生からは「必ず受かる」と言われ、実際に受かりました。
あの「ゆとり教育」によって生徒・親の学校教育に対する信頼は完全に崩れたといってもいいでしょう。
しかし、塾も家庭の問題で通えないという人も多いです。所得の格差も問題ですが教育の格差の方がもっと深刻です。
もし、この状態を放置していたら上位の人間はいつまでも上位にいて、下位の人間はいつまでも下位にいる、つまり「格差の固定化」・「下克上の果たせない社会」に陥ってしまいます。
それを防ぐためには、所得の低い家庭に対し援助することと、学校教育の抜本的改革(「教育実習生をを塾で修行させ、合格基準に達すれば教員免許を与える制度を作る」・「補習・残業などに対しては時間外手当を与える」等)が必要でしょう。
日本の教育はこんな状況に陥る危機に瀕しているというのに、外国人(実際は中韓)ばかりを優遇させる日本の教育、もう笑うしかないですな。