「日本人の英語」という本を借りたので読んでいるのだが、
どうも難しい。
まず、英語の例文が難しい。
『これがおかしい』『これならおかしくない』という例文が
あるのだが、違いが良くわからない。
まぁ、英語が良くわからないからこの本読んでるんだけどね。
しかしこの著者、日本語の文章の作成能力に満足していないらしく、
最初のほうでそれを告白してしまっている。もちろんそれは、
英文作成になれるための逆の例を示しただけなのだが、実際
日本語文章が読みにくいので、読み手に悪影響を与えている気がする。
日本語の『なさすぎる』を論理的におかしいと感じていながら、
この言葉が日本語としても正しくないことまでは気づいていない
ようだし。
そう思ってネットを検索すると・・・あれ?使われてる使われてる、
ここまで使われると誤用ではないのか?と思ってしまうくらい。
「死にざま」に対する「生きざま」と同じで、「ありすぎる」の反対として
「なさすぎる」が使われるようになったのではないかと思うのだが・・・。
まあ、言葉は生き物ですしね。
「全然」みたいに用法が変わってきたものもあることだし、いいのかな。
それにしても、日本の「ない」は「ゼロ」ではない、という説明は的を射ている。
「少ない」状態も「ない」って表現するものね。
「少なすぎる」状態が「なさすぎる」と意味的に同じと思うと
違和感が薄らぐかもしれない。
あと、読みやすさ、読みにくさというのは、文章のリズムにあると
思うんですよね。無理にこしらえた文は、読みにくくなる傾向があります。
どうも難しい。
まず、英語の例文が難しい。
『これがおかしい』『これならおかしくない』という例文が
あるのだが、違いが良くわからない。
まぁ、英語が良くわからないからこの本読んでるんだけどね。
しかしこの著者、日本語の文章の作成能力に満足していないらしく、
最初のほうでそれを告白してしまっている。もちろんそれは、
英文作成になれるための逆の例を示しただけなのだが、実際
日本語文章が読みにくいので、読み手に悪影響を与えている気がする。
日本語の『なさすぎる』を論理的におかしいと感じていながら、
この言葉が日本語としても正しくないことまでは気づいていない
ようだし。
そう思ってネットを検索すると・・・あれ?使われてる使われてる、
ここまで使われると誤用ではないのか?と思ってしまうくらい。
「死にざま」に対する「生きざま」と同じで、「ありすぎる」の反対として
「なさすぎる」が使われるようになったのではないかと思うのだが・・・。
まあ、言葉は生き物ですしね。
「全然」みたいに用法が変わってきたものもあることだし、いいのかな。
それにしても、日本の「ない」は「ゼロ」ではない、という説明は的を射ている。
「少ない」状態も「ない」って表現するものね。
「少なすぎる」状態が「なさすぎる」と意味的に同じと思うと
違和感が薄らぐかもしれない。
あと、読みやすさ、読みにくさというのは、文章のリズムにあると
思うんですよね。無理にこしらえた文は、読みにくくなる傾向があります。