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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

稲ハザ

2006-10-15 09:54:45 | 農村環境


 稲ハザについては今までにも「稲のハザ掛け」「ハザ掛けのブルーシート」などで扱った。ハザのある風景というものも少なくなって、このごろではいきなりコンバインで刈ってしまうから、天日で干すハザ掛け風景は稀である。自家用米は天日で、なんていう考えもすでに昔のことで、そこまで考えて手をかける人たちはマニアといってもよいほどだ。ところが、山間の稲作地においては、このハザ掛けはいまだに当たり前なのだ。その要因として考えられるのは、①コンバインが入れるほど田んぼが大きくないとか、②コンバインで収穫するほど規模が大きくない、あるいは③まわりがみんなそうだから、なんていうものが多い。妻の実家でも同様で、軽トラックを所有していないから、いまだに田んぼに軽トラックが入るなどということはできない。だから一条刈りのバインダーで稲を刈るというスタイルが長年続いている。わたしの実家で一条刈りのバインダーを使っていたなんて言うのは、わたしが子どものころ、ちょうど自ら機械で稲を刈ることを覚え始めたころのことであり、もう30年以上前の話である。まさしくわたしの生家と妻の生家では30年という開きがあるといっても過言ではないのである。しかし、飯田下伊那に限らず、県内の山間地域の水田地帯では、なんら珍しいことではなく、今でも一条刈りのバインダーが活躍している。コンバインが当たり前になる以前には、一条ではなく二条、三条などといった多条刈りのバインダーがあったが、いまやそんなものは必要とされておらず、一条刈りのバインダーか多条刈りコンバインなのだ。

 そんなことで、平地の水田地帯には珍しい稲ハザも(前にも「ソバの花が咲く」で触れたことがあるが、今や平地では稲穂の姿ですら当たり前ではなくなっていが)山間地では珍しくないのだ。

 「稲のハザ掛け」でもふれたが、稲の干し方にはいろいろあるようだ。一般的には一段のハザに干していくスタイルが多く、長野県内ではほとんどがこのスタイルになる。ただ、山間地域、たとえば飯田市以南の下伊那郡、遠山谷、飯山下水内の岳北地域、旧鬼無里村などの西山、北安曇、木曽谷などにそうした干し方が多い。いずれも比較的谷あいという立地から、高くすることでより風通しをよくしたり、日当たりをよくしているという印象を受ける。ハザ干しも、ただ干せばよいというものではない。刈り取る時期やそれに関連してその時期の天候というものも左右する。秋雨前線が停滞していたりすると、乾かすつもりがなかなか乾かずにカビっぽくなるなんていうこともないとはいえない。とくに山間になればなるほど、微妙な立地が乾きの影響を受ける。一段掛けとなると、どうしてもハザの数は増える。一枚のたんぼに並列してハザを作ったりすると、そのハザの間が狭かったりすると風通しは悪くなる。山間ともなれば田んぼの幅が狭いから、どうしてもハザの設置には苦慮する。となれば多段にするという考えは必然的な流れとなるのだろう。

 数年前、まさしくそんな状況に陥って、乾かした稲藁の表面にカビのように斑点が出た。稲に影響はないのだろうが、見るからに乾きが悪いという印象はあった。やはり並列にハザを設置したところにそんな症状が多かった。せっかく天日で干したにもかかわらず、乾燥機に入れるということになりかねないわけだ。

 
 さて、稲ハザに関してちょっと検索してみると、ハザの作り方なるページがけっこうある。そんなページを実ながら思ったのは、よそでは竹の支柱で作るところもあるんだと知った。みるからに弱そうな印象だがどうなんだろう。考えてみれば地域によってハザの材料が異なるとことは当たり前である。我が家のあたりなら、そこそこ立派な竹竿が採れるから、竿は竹を使う家が多い。そこへいくと竹が少ない地域にいけば、竹ではなく木材を利用することになるのだろう。多段掛けをするような地域はそのハザを持たせるだけの頑丈さが必要だから、当然木を利用するようになる。実家のイメージでいるとよそでまったく違うハザを見てびっくりしたりするものである。妻の生家もそう遠くないところではあるのに、わたしの生家とはハザの雰囲気が違う。なぜ違うかといえば、竹竿を使わないのである。ヒノキを竿として利用している。竹にくらべれば長持をするということでヒノキを利用しているが、まわりの家がみなそうとは限らない。やはり家ごとに自家にある材料を使うから竹があれば竹なのだ。

 妻の生家で毎年ハザ掛けをしながら技を磨いているが、実はヒノキにくらべれば竹の方が掛けやすいのだ。もう何年も竹竿のハザに掛けた経験はないのだが、わたしの生家で掛けていた時は、もっと掛けやすかったということを掛けるたびに思っているのである。それは、ヒノキに比較すると滑りやすい竹、という材質からくるもので、掛けた稲が竹竿ならよく滑るからそれほど気を使わなくてもスルリと掛かるわけだ。わすが零点何秒という差であるが、竹の方が早く掛けられるのである。加えてヒノキの肌には刺が出ていたりして、気をかけていないと刺さったりする。だから掛けやすさという点では明らかに竹の竿の方がやりやすいのである。

 ところで一般的にはハザと言うが、わたしの生家での呼び方は当初はハゼであったように記憶する。この呼び方はどうも諏訪地方に多い呼び方のようで、我が家のあたりではあまり聞かない。加えてハザは一段が当たり前であったが、麦を作っていたころの麦のハザはは多段であった。なぜ麦のハザが多段であったかは、すでに稲作が始まっていて、麦を作っていない田んぼには稲が植わっていたせいで、干す場所がなかったということもあるのだろう。


 写真は妻の生家の近くにあるハザ干し風景である。山間ということで、田んぼの中より道端側の方が日当たりがよいために、こうして道の両側に運んで干されている。日当たりが悪い田んぼだったりすると、田んぼの乾きも悪いため、地面からの湿気もやってくる。それにくらべれば道路なら地面が乾いているから稲そのものも乾きやすいだろう。なかなかこんな数十年前を思い起こすような風景はそうはない。

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